第4話 夏至祭のはじまり
王都コベーンを蛇行して流れる川を、メレサ川と呼ぶ。
そのメレサ川から東に進んだ丘の頂上に、シャルヴェンヌ女子修道院は建っている。
ユディアラ王国の前身であるシルトレン王国時代、この地は丘の聖堂を中心として発展したらしい。現在も、緩やかな勾配の丘を取り巻くようにして民家が散らばっており、かつての姿がうかがい知れる。
しかし現在栄えているのは、メレサ川の西側である。コベーンがユディアラ王国の都と定められてから新しく作られた区域であり、宮殿や統括聖庁もそちら側にある。
そう言った背景から、メレサ川より東側が旧市街、西側が新市街と呼ばれていた。
シャルロットは現在、聖女選定が始まってから初めて丘を下り、メレサ川のほとりにしゃがみ込んでいた。
本日は、シーツをまとめて洗う日だ。五十枚ほどのシーツを、十名で洗濯することになっている。
川に浸した亜麻のシーツを丁寧に洗っていたシャルロットは、ふと耳に飛び込んできた会話に意識を向けた。
「ねえ、例のシスター、いつまでここに居座るつもりかしら」
「さあ。聖女選定が終わるまでじゃない?」
「厚顔無恥にもほどがあるわね。積極的に仕事してますって顔してるけど、今更評価が上がるとでも思っているのかしら」
「誰も選ばないよね、あんな男狂い」
くすくすと悪意ある忍び笑いを漏らしたのは、シャルロットの隣――と言っても、間に六人は座れるほどの距離がある――で洗濯をする、ふたりの少女だった。
確か、レリアと同じ修道女見習いだったと記憶している。
聞こえよがしに悪口を言われたシャルロットは、表向き平静を装って、黙々と手を動かした。
シャルロットの醜聞が流れてからひと月近く経つが、その内容は未だに皆の意識から消えていなかった。陰口を叩かれるのは、最早日常茶飯事だ。
しかし、状況が悪化したかというとそうでもない。
目下置いてもらっている薬草園は、正式な配属先とは呼べない。そのため、今回のように人手が必要な仕事があれば、シャルロットは真っ先に手を上げるようにしていた。
そんな彼女を冷ややかに見る修道女も、少なからず存在する。だが、断られてもめげずに頼み込むシャルロットに、態度を軟化させる者も出てきた。
喜ばしいことに、目上の者からは重宝がられるようになった。エランジェル女子修道院での経験を活かし、てきぱきと仕事をこなす姿勢が評価されたのである。
今まで後ろ指を指されても耐えられたのは、そうして認めてくれる人がいたことと、ベリルやレリアのような味方がいたからだ。
レリアは宣言通り噂を否定して回ってくれたし、ベリルは悪意に傷つくシャルロットを気遣い、和ませようとしてくれた。
ベリルとの就寝前の語らいは、さすがに従来通りとはいかなくなった。
今は灯りを灯さず、できる限り声を落として、周囲に気取られないよう気をつけている。
彼の顔が見えないことと、話しているうちに眠くなってくることが難点だが、致し方あるまい。噂が完全に消え去るまでは、我慢するほかなかった。
先ほど悪し様に言われて落ち込んだが、シャルロットはあることを思い出し、口元を綻ばせた。
明日から、いよいよ夏至祭が始まる。
夏至祭は二日にわたって行われ、修道女や聖女候補たちは、どちらかに休みを与えられる。
シャルロットは一日目、つまり明日が休日となる。レリアも同日の休みなので、ふたりでコベーンの市を回る約束をしていた。
シャルロットはシーツを固く絞ると、立ち上がって腰を伸ばした。
対岸には、新市街が広がっている。
彼女は未だに、あちら側へ行ったことがない。
明日、賑やかな王都中心部を見て回れるのかと思うと、心が浮き立つ。澱んだ心の内が、きれいさっぱり洗い流されていくようだった。
シャルロットは軽やかな足取りで新たなシーツを取りに行き、嫌味が耳に入らないほど、ひたすら作業に没頭した。
***
夏至祭当日。
レリアと共に新市街に足を踏み入れたシャルロットは、目を輝かせて周囲を見回した。
日の光をまばゆく照り返す白い漆喰壁に、煉瓦色や瑠璃紺色の瓦屋根を載せた家々。木製の扉には、オトギリソウやヨモギなどの草花で作った、魔除けの花輪が飾られている。
美しく舗装された石畳の大路には、道幅いっぱいを埋め尽くす人々が、ひっきりなしに行き交っていた。
広場では、大道芸人や吟遊詩人の前で人だかりができ、屋台では客引きの声が絶えず、騒々しい。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いは、焼き立てのパンのものだろうか。
「これが、コベーンの夏至祭なのですね」
修道院に入る前、故郷のアストロで夏至祭に参加した記憶が薄らと残っているが、これほど賑わってはいなかった。
やはり王都は街も人も、他とは規模が違う。
シャルロットが興奮気味にきょろきょろとしていると、不意にレリアが腕を引いてきた。
「シャルロット、前見て、前」
「あ、すみません……」
どうやら、人とぶつかるところだったらしい。
ふらふらと歩いていたシャルロットは反省して、肩をすぼめた。
レリアは仕方ないな、と言いたげに苦笑すると、シャルロットの手を握った。
「このままだと迷子になりそうだし、手を繋いでおくよ」
「重ね重ねすみません」
迷子防止に手を繋がれるなど、完全に幼児扱いである。
恥ずかしくなったシャルロットは、レリアの視線から逃れるように俯いた。
「いいのよ。でもまさか、シャルロットがこんなにはしゃぐなんて思わなかったな」
「大規模なお祭を見るのは、これが初めてなので……」
「そうなんだ」
頬を染めるシャルロットに、レリアは優しい眼差しを向けた。
「……なんだかシャルロットって、少し私の妹に似ている」
「え?」
「だから、ついつい世話を焼きたくなっちゃうんだよね」
レリアは言い終わってから、己の発言に驚いたように目をしばたたいた。
思わず口をついて出た、と言った様子だった。
「レリアには、妹がいるのですか?」
そう言えば、レリアから個人的なことを聞いたことがなかった。
家族の話も、これが初めてだ。
「うん。いるというか……いた、というか」
レリアは陰りのある表情で、ぽつりと口にした。
――彼女の妹は、もうこの世にはいないのだろうか。それとも、離ればなれになったのか。
どちらにせよ、レリアの傷口を抉るような質問だったらしい。シャルロットは慌てて謝罪した。
「ごめんなさい、無神経なことを聞きましたね」
「ううん、全然。妹のことを話題にしたのは、私だし」
レリアはかぶりを振った。
青果が並んだ屋台を覗き込みながら、彼女は続けた。
「妹も、シャルロットみたいにおっとりしてたんだ。まあ、あなたみたいなしっかり者ではなかったけど……なんだろう。雰囲気が似ているのかな」
「そうでしたか」
妹の姿を思い起こしているのか、レリアは遠くを眺めるように目を細めた。
レリアが親身になってくれるのは、そういった背景があったからなのか。
ゆっくりと屋台を見て回りながら、シャルロットは握った手に力を込めた。
「……妹さんに、感謝しなければいけませんね」
「どうして?」
「私が妹さんに似ていなければ、レリアと親しくなれなかったかもしれませんし」
レリアは虚を突かれた顔をしたが、やがてすっと視線を足下に向けると、静かに口を開いた。
「……そうかもね」
その沈んだ声音に、シャルロットは不安な心持ちになった。
なにか気に触るようなことを言ってしまっただろうか。
「レリア?」
呼び掛けると、レリアは物思いから覚めたようにはっと目をまたたいた。
「ごめん、なんでもない。それより、大広場に行かない? うちの修道院、大広場で出店してるんだよね」
「……ええ」
打って変わって明るい口調で提案するレリアに、シャルロットは頷いた。
レリアの様子が気に掛かったが、蒸し返すのも良くないだろう。
シャルロットは釈然としない気持ちを抱えながら、レリアに引っ張られるようにして雑踏の中を歩いた。
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