第2話 醜聞(2)

 その翌々日の朝、食堂から出たシャルロットは、すぐさまヴァネッサに引き止められた。

 あれほど無視していたのにどういう風の吹き回しかと、シャルロットは目を丸くした。

 ヴァネッサは戸口脇の壁に身を寄せると、腕を組み、居丈高いたけだかに問い質してきた。


「ねえ。あの噂、本当なの?」


 シャルロットは目をしばたたいた。


「なんの話ですか?」

「とぼけないでよ、もう修道院中の噂になってるのに。あんたが、男を部屋に誘ってよろしくやってるって話よ。しかも、毎晩取っ替え引っ替えだって言うじゃない」


 回廊に響き渡るような声量でそう言うと、ヴァネッサは鼠をいたぶる猫のような、意地の悪い笑みを浮かべた。

 食堂から回廊へと出た修道女たちが、ちらちらとこちらの様子をうかがっている。

 それにも気づかず、シャルロットはぽかんとした。

 あまりに荒唐無稽すぎて、なんと返せばいいのかわからなかった。


「まさか、その噂を信じているんですか?」


 やっとの思いで問いかけると、ヴァネッサは気分を害したように顔をしかめた。


「……なあに、じゃあ嘘だって言いたいの? 火のない所に煙は立たないって言うけどね」


 シャルロットはその言葉を聞いて、眉をひそめた。


(もしや、ベリルとの会話を聞かれていたんでしょうか)


 しかし、それも今ひとつ釈然としなかった。

 ベリル曰く、彼の姿を目視できるのはシャルロットだけらしい。当然、シャルロット以外の人間に、彼の声が聞こえるはずもない。

 他人が自分たちの会話を耳にしたとしても、シャルロットが大きな独り言を言っているようにしか聞こえないはずだ。


「その顔、やっぱり心当たりがあるんじゃないの」


 考え込むシャルロットに、ヴァネサはにやにやしとた。

 ベリルのことはさておき、噂の内容に関しては事実無根である。


「全く心当たりはありませんし、その噂はでたらめです」


 シャルロットはヴァネッサを見据えると、きっぱりと言い切った。


「そもそも、どうやってその男性と知り合うのですか? 私はこの修道院に来てこの方、敷地の外に出たことはありませんが」

「それは……前の修道院から付き合いのあった男を呼んでいるんじゃないの」


 シャルロットの毅然とした態度に当てが外れたのか、ヴァネッサはいささかうろたえた様子で答えた。


「では、その方たちをどのように呼び寄せるのですか? この修道院は、俗世間との関わりを基本的に禁じています。外部とやり取りをする手段はありませんよね。それに、今は騎士修道士の方が警固に就いていらっしゃいます。彼らの目をかいくぐって侵入するのは、かなり難しいのではないでしょうか」


 武力行使を許された修道士が、騎士修道士だ。

 普段、シャルヴェンヌ女子修道院には守衛が常駐している。しかし、聖女選定期間に限り、コベーン統括聖庁からも騎士修道士が派遣される。

 聖女候補たちの身の安全を確たるものにするため、というのが派遣の理由らしい。


 淡々と畳みかけるシャルロットに、ヴァネッサは怯んだように押し黙った。

 だが、彼女はこちらを睨めつけると、叩きつけるように言葉を発した。


「じゃあ、あの花束はなんなの? あんたが知らない人から薔薇をもらっているところ、私見たんだけど! あんたの情人が、わざわざ使いを出して贈ったんじゃないの?」

「あれは、統括聖庁の使いの方です。ヴァネッサ、あなたも見ていたのならわかっているでしょう? あれはマリユス司教が、私にお見舞いとして下さったもので」

「マリユス司教!」


 とんでもない言葉を耳にした、と言わんばかりに、ヴァネッサは声を張り上げた。


「信じられない。あなた、マリユス司教から花束をもらったことにするの? 思い上がりも甚だしいわね!」


 シャルロットに反論する暇も与えず、ヴァネッサは言い連ねた。


「あの公明正大なマリユス司教が、そんなことなさるはずがないじゃない! 自分の願望を、さも事実かのように話すのはやめてくれない?」


 ヴァネッサは、にっこりと笑った。彼女の満面の笑みを、シャルロットは初めて目の当たりにした。


「マリユス司教に失礼でしょう?」

「ヴァネッサ……」


 シャルロットは握り拳に力を込めた。

 ヴァネッサはどうあっても、自分を傷つけたいらしい。

 

(よくわからない)


 シャルロットは急に、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。

 ヴァネッサにとってのシャルロットは、マリユスから目を掛けられているように見える、目障りな存在なのだろう。

 しかしそう思うのなら、マリユスに近づけるよう、一層精進すればいいだけではないか。こんな迂遠な方法を採らなくとも。

 シャルロットと正々堂々と戦って、<剣の聖女>の座を勝ち取り、マリユスと同じ職場で働く。

 その目標に向かってひたむきに努力することが、どうしてできないのだろう。


「そう言えば私、シスター・シャルロットに麻布の端切れを渡したわ」


 第三者の声が耳に入り、知らずうなだれていたシャルロットは顔を上げた。

 シャルロットたちの会話を聞いていたらしい修道女が、こちらに近寄ってくる。それは確かに、シャルロットが端切れをもらった、衣類担当の修道女だった。


「確か、サシェを作りたいから、いらない端切れがないか聞いてきたわね」

「……はい」


 シャルロットが頷くと、ヴァネッサは勝ち誇った顔つきになった。


「へえ、そうなんですか。それじゃあシャルロット、あの花束をサシェにしたってわけ。よほど大切な人からもらったんでしょうねえ、わざわざサシェにするなんて!」


 ヴァネッサは愉快で堪らないとばかりに唇を引き上げ、声高に当てこすった。

 シャルロットはそれには答えず、周囲を見渡した。

 いつの間にか、回廊には幾人もの修道女たちが佇んでいた。その誰もが、こちらを見ながらひそひそと話をしている。

 次いでシャルロットは、脇に立つ衣類担当の修道女に視線を向け、顔を強張らせた。

 ――彼女から向けられたのは、はっきりとした猜疑の眼差しだった。





「止められなくてごめん!」


 シャルロットはヴァネッサに解放された後、今度はレリアに引っ張られ、家畜小屋の裏手まで来ていた。


「昨日の夜に噂を聞いて、朝いちでシャルロットに知らせようと思っていたんだけど。ひと足遅かったね……」


 起きてから朝食を食べ終わるまで、修道女たちは沈黙を貫かなければならない。それゆえ会話をするのは、朝食後まで待たねばならなかった。

 悄然とうなだれるレリアに、シャルロットは微笑んだ。


「いいえ、その気持ちだけで十分ですよ。気に掛けてくれてありがとうございます」

「ううん」


 レリアはのろのろと首を振ると、次の瞬間、猛然と顔を上げた。


「それにしても、あんな噂を信じるなんて馬鹿みたい! 修道女の鑑みたいなシャルロットが不純異性交遊? マリユス司教が愛想を振りまくぐらい有り得ない!」


 それはさすがにマリユス司教に失礼なのでは、と思ったが、口に出すことは控えた。

 ちなみに、<白き鏡>教の聖職者は、身も心も神に捧げる誓いを立てる。婚姻することはもちろん、異性と関係を持つなどもってのほかである。


「なぜ、このような噂が流れたのでしょう」

「そりゃあもちろん、ヴァネッサがあなたへ嫌がらせするために流したんでしょうよ」


 レリアは憤りも顕わに断言した。


「……やはりそうでしょうか」

「マリユス司教から花束をもらったって、シャルロットは主張したじゃない? それをあんな一方的に否定するなんて、噂を広めたいからとしか考えられないよ」


 確かにそうかもしれないと、シャルロットは思った。

 統括聖庁の使いから、花束を渡された時のことを振り返ってみる。

 こちらを睨み付けていたヴァネッサが、シャルロットたちの会話を聞いていなかったとは思えない。

 シャルロットの言葉が事実だと知っていたのに認めなかったのは、噂に説得力を持たせたかったからかもしれない。


「しかし、こういう形で嫌がらせをしてくるとはね。……噂なら伝聞の形で他人に伝えれば、誰が出所かわからなくなる。つまり責任の所在をヴァネッサに求めることはできない。……小賢しいやり口ね」


 忌々しげにそう言うと、レリアは嘆息した。


「とにかく、噂を聞いたら片っ端から否定しておくよ」

「ありがとうございます、レリア。あなたには、お世話になってばかりですね」

「いいのよ、そんなこと。好きでやっているんだから」


 レリアは朗らかに笑って手を振った。

 この明るくさっぱりとした気質の彼女が友人で良かったと、シャルロットは心から思い、顔を綻ばせた。


(ひとまず私は、いつも通りに振る舞った方がよさそうですね)


 びくびくと周囲の様子をうかがっているようでは、噂の内容を肯定していると捉えられかねない。

 堂々としていようと、彼女は心に決めた。

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