第5話 <剣の聖女>を目指す理由(1)

 心配するベリルを振り切るようにして、シャルロットは薬草園へと向かった。

 その途中、彼女は施療院担当の修道女に行き合った。


「あら、ちょうどいいところに」

「どうかしましたか?」


 シャルロットは目をまたたいた。


「あなた、今薬草園の担当よね。お茶用のミントが少なくなってきたから、ちょっと摘んできてもらえるかしら」

「どれぐらい必要でしょうか」

「小さめの薬草籠がいっぱいになるぐらいかしらね、とりあえず」

「わかりました」


 シャルロットは首肯すると、薬草籠と剪定バサミを取りに施療院へ足を向けた。





 丸くなった子猫がすっぽりと入りそうな籠に、ミントがこんもりと入った。

 当初、足りるかどうか気を揉んでいたが、全くの杞憂だった。プランターひとつを丸々占拠したミントは、元気すぎるほどよく育っていた。

 

「施療院に届けてきます」

「ええ、よろしくね」


 籐の籠を腕に下げたシャルロットは、他の修道女に声を掛けて薬草園を出た。

 修道院の敷地内にある建物は、どれも赤茶色の瓦屋根を載せた石積みのものだ。

 薬草園の向かいに建つ施療院も、例に漏れず同様の外観を持つ。

 施療院の入り口に回り込もうとしていたシャルロットは、その途中で見知った顔に出会った。


「ごきげんよう、マリユス司教。巡回中ですか?」

「ああ」

「お疲れ様です」


 向かいからやって来た年若い司教は、相変わらず愛想の欠片もなかった。

 シャルロットは会釈をして、彼とすれ違おうとした。

 しかし、そうする前に、シャルロットは目眩いを覚えてよろめいた。


(なに……?)


 地に足が着いている感覚がしない。

 まるで体の中が空洞になって、宙に浮かび上がっていくようだった。

 それと同時に猛烈な吐き気に襲われ、シャルロットは反射的に口元を押さえた。


「大丈夫か」


 マリユスの声が、間近から聞こえてくる。しかし、シャルロットはそれに答えるどころではなかった。

 必死に吐き気を堪えていると、目眩と共に、やがて波が引くように治まっていった。

 ようやく落ち着いた頃には、シャルロットはびっしょりと冷や汗をかいていた。


「歩けそうか?」


 無礼だとわかっていても、今はとても口をきける状態にない。

 シャルロットが無言でかぶりを振ると、マリユスは「籠を抱えろ」と言ってきた。


「……?」


 マリユスの意図することがわからず戸惑っていると、彼はじろりとこちらを見た。


「早くしろ」


 シャルロットが薬草籠を胸の前で抱えると、マリユスは素早い動作で彼女を抱き上げた。


「……え」


 横抱きにされたシャルロットは、呆然とマリユスを見上げた。


「ええっと、その……これは一体」


 なんとか口を開いたものの、混乱してまともに話すことができない。

 シャルロットがおたおたしていると、マリユスは目を細めて歩き始めた。


「具合が悪いのだろう。ちょうど施療院の前だ、しばらく我慢していろ」

「そ、そんな。司教のお手を煩わせるわけには」

「具合の悪い者を放っておけるほど、私は薄情者ではないつもりだ」


 はっきりとそう告げると、マリユスは施療院に足を踏み入れた。

 シャルロットは申し訳なく思いながらも、ぐったりとマリユスにもたれ掛かった。





 それからのことは、記憶が曖昧だ。

 シャルロットを抱えたマリユスを、修道女たちは驚きながら迎え入れた。

 病室の寝台に横たえられたシャルロットは、修道女の質問にいくつか答えた後、気絶するように眠りに落ちた。



***



 シャルロットは目覚めた時、自分がどこにいるのかわからなかった。


(ええっと、ここは私の部屋……ではないですね)


 薄暗い中、シャルロットは部屋の中に目を走らせた。

 壁に寄せられた寝台の右手、頭側に窓がある。寝台の反対側には飾り気のない机と椅子二脚があり、置かれているものは自室とそう違いはない。

 しかし広さは、今いる部屋の方がいくらか広かった。

 寝台の横にはサイドテーブルがあり、シャルロットのベールが畳んで置かれている。

 徐々に頭がはっきりとしてきたシャルロットは、ようやくこれまでの経緯を思い出した。


(そうでした。私、マリユス司教に抱えられて施療院に……)


 迷惑を掛けてしまった、とシャルロットが反省していると、不意に少年の声が耳朶を打った。


「シャルロット!」


 呼び掛けられたシャルロットは、どきりとして体を揺らした。

 彼女は横になったまま、視線を寝台脇に移した。


「ベリル」


 いつの間にか、サイドテーブルの向こうにベリルの姿があった。

 元々部屋にいたのだろうが、薄闇の中では認識できなかったようだ。 


「なぜここに?」


 シャルロットが上体を起こしてまばたくと、穏やかなベリルにしては珍しく、尖った口調で話し始めた。


「やっぱり君のことが心配で、こっそり様子をうかがっていたんだ。そうしたら君ってば倒れそうになってるし! 本当に心配したんだからね!」

「……すみません」


 ベリルから忠告を受けたのにこの体たらくでは、縮こまるほかない。

 シャルロットがベリルから目を逸らすと、突如窓の対面にある扉が開いた。


「あら、起きた?」


 入室したのは、燭台を持った修道女だった。どうやら、シャルロットの様子を見に来たらしい。

 人が来てもベリルは去ろうとせず、黙って寝台から距離を置いた。

 ふっくらとした中年の修道女は、サイドテーブルに置かれた燭台に火を移してくれた。


「あ、あの。私が持っていたミントは……」

「ああ、それなら調剤担当の手に渡りましたよ。安心してちょうだい」

「ありがとうございます!」


 シャルロットはほっと胸を撫で下ろした。

 そもそもこの施療院には、ミントを届けに赴いたのだ。頼まれたことを全うできていなければ、なんのために来たのかわからない。


「今、夕食を持ってきますからね」

「え、もうそんな時間ですか!」

「ええ、もう皆さん食べ終わる頃かしらね」


 どうりで頭がすっきりとしているはずだ、とシャルロットは思った。

 午後の活動時間中、自分はずっと眠りこけていたのだ。

 仕事を放棄してしまったと青ざめていると、修道女は柔らかな口調で話し掛けてきた。


「就寝前のお祈りには出ないで、ゆっくり休みなさい」

「え、そんな……」

「あなたの具合が悪くなった原因は、睡眠不足よ。明日から元気に過ごすためには、早く休んだ方がいいわ。ああ、でも先にぐっすり寝てしまったから、今からだと眠れないかしら……」


 修道女は思案するように宙を見つめた。


「バレリアンのお茶を何日分かあげるから、それを飲みなさい。不眠症に効くのよ」

「ありがとうございます」


 バレリアンとは、薬草園で育てているハーブのひとつである。根の部分を乾燥させ、ハーブティーとして飲む。

 そうか、最初から施療院を頼ればよかったのだと、シャルロットは遅まきながら気がついた。 


「夕食を食べたら、そのままここで休む? 部屋に帰れるなら、それでもいいけど」

「すっかり元気になったので、帰ります」

「そう、わかりました」


 修道女は頷くと、部屋を退出した。

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