第2話 三日間の失踪(1)

 ベリルが<蝕>だと知った翌日。

 シャルロットは、薬草園の雑草をのろのろと引き抜いていた。

 ベリルが去った後、あれやこれやと考えていたせいで一睡もできなかった。荷物でも載せているかのように頭が重く、意識は明瞭としない。

 しかし、こうして単調な作業をしていると、どうしても考えてしまう。


(エティ……ではなく、ベリルが<蝕>だったとは)


 未だに信じられない思いだ。

 ユディアラ王国で育ったシャルロットにとって、「ベリル」とは角の生えた狼のことだ。

 そして<蝕>とは、怪物の代名詞とも言える存在である。この国では、親が子供を従わせる際の常套句が、「良い子にしないと<蝕>が来るよ」である。

 華奢な少年にしか見えないベリルは、世間一般で知られる<蝕>像とあまりにかけ離れている。シャルロットが信じがたいのは、無理からぬ話だった。


(ベリルは、<蝕>は聖典に書いてあるようなことはしてない、と言っていましたね)


 ユディアラ王国版の聖典では、<蝕>の所業を次のように書いている。

 巨大な河馬かばの姿をしたゴシェは歩く度に大地を揺り動かし、鳥のラリマーは羽ばたく度に雷を落とす。狼のベリルは走る度に暴風を起こし、竜のアデュラは海に入り、動く度に津波を引き起こした。

 そのような行いから、<蝕>は人類にとっての災厄とも呼ばれる。

 だがベリルの言葉を信じるなら、それは事実無根であり、<蝕>にとっては濡れ衣を着せられていることになる。

 自分は仮にも修道女の端くれであるのだから、聖典に書かれていることを信じるべきだろう。

 しかし、ベリルが嘘を言っているとは思えなかった。


(私は、これからどうすべきなのでしょう)


 そう自身に問いかけて、シャルロットは既に答えが出ていることに気づいた。

 ベリルが<蝕>であることがわかっても、彼を嫌悪する気持ちは微塵も湧いてこない。

 それどころか、正直に正体を打ち明けてくれたことを、嬉しく思っていた。


(私はもっと、ベリルのことを知りたい)


 行動の指針がわかり、シャルロットはすっきりとした気持ちになった。

 紙に書かれたことよりも、己が見聞きしたことにこそ、真に価値があるのではないか。

 ベリルと知り合ってから二週間程度しか経っていないが、自分が接してきた彼の姿を信じようとシャルロットは思った。

 決意を新たにした彼女は、草取りに集中することにした。 


 シャルロットはこの時、その日もベリルと会話できるものと信じて疑わなかった。 

 ――しかしその日を境に、ベリルはシャルロットの前から姿を消した。



***



 ベリルが姿を見せなくなってから、三日が過ぎた。

 昼の自由時間、シャルロットは自室の机に向かって史書を読んでいた。

 文字を目で追っているにも拘わらず、内容はさっぱり頭に入ってこない。

 同じ行を十遍も読んだところで、シャルロットは諦めて本を閉じた。


「今日も来ませんね……」


 いつベリルが来るかと神経を尖らせていたが、その気配はまるでない。シャルロットはため息をついた。

 ベリルに限って言えば、この修道院から出て行ったということは有り得ない。彼の本体は拘束されているし、霊の状態であっても修道院の敷地からは出られないと、本人が言っていたからだ。

 ならば、なぜシャルロットの前に現れないのか。

 史書の赤い表紙を撫でながら、彼女は黙考した。


(<蝕>だと言わなかったのは嫌われたくなかったからだと、ベリルは言っていました)


 ベリルの正体を知ってしまったあの夜、彼は確かにそう言った。

 シャルロットにだけは見られたくなかった、とも口にしていた。

 ベリルの言葉を思い返し、シャルロットはあることに思い及んだ。


 ――もしやベリルは、自分に嫌われたのだと勘違いしているのではないか?

  

 あの時のベリルは、終始浮かない表情だった。

 <蝕>であることを明かして、シャルロットにどう思われるのかが怖かったのかもしれない。


「そういうことでしたか」


 シャルロットは目許を緩めた。

 容姿と同様に、ベリルはずいぶんと繊細のようだ。

 こうして待っている限り、ベリルがやって来ることはないだろう。それならば、自分から探しに行くほかあるまい。

 彼と会話をする時間は、シャルロットにとってかけがえのないものになっていた。ベリルと出会う前の生活に戻ることなど、最早考えられなかった。


 幸い、次の労働時間まではたっぷり時間がある。

 どこから探そうかと思案しながら、シャルロットは足早に自室を後にした。





 客人の館から出ると、聖堂の脇に出る。

 長方形の聖堂を眺めながら、シャルロットは顎に手をやった。


(ベリルが聖堂にいるとは、あまり考えられませんね)


 彼が囚われている場所であるし、なにより<白き顔の神>を祀る場所である。

 ベリルは、不死身になったのは概ね聖典の通りだと言っていた。となると、彼は一度ならず何度も<白き顔の神>に殺されていることになる。

 かたきとも呼べる存在を祀った場所など、普通ならば近寄りたくないだろう。


(ならば、中庭はどうでしょう)


 シャルロットはベリルと出会った場所を思い浮かべたが、すぐに却下した。

 この時間、中庭を囲む回廊は、修道女たちの瞑想や読書の場所として使われている。ベリルは人の多い場所には行かないようだし、中庭は避けるはずだ。

 

(もしかして)


 シャルロットの脳裏に、ある場所が思い浮かんだ。

 彼女は目的地をそこへ定め、すぐさま歩き始めた。

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