第7話 母の形見

 修道院の敷地内には、施療院の向かいに薬草園が存在する。

 シャルロットは、今日からそこで仕事をすることになった。聖女候補たちは様々な仕事をこなさなければならず、時期が来るとこうして仕事場を変更されるのだ。

 等間隔に置かれた木製プランターの中には、ラベンダーやローズマリー、カモミールやタイムなど、種々雑多なハーブがこんもりと生い茂っている。ハーブが風にそよぐと、独特の芳香が鼻腔をくすぐった。

 年配の修道女から一通りの説明を受けると、シャルロットはローズマリーが植えられたプランターまで足を運んだ。

 ローズマリーは青紫色の小花を咲かせており、なかなか愛らしい佇まいだ。


「シャルロット」


 後ろを振り返ったシャルロットは、そこに立つ人物を認めてぱっと笑った。


「レリア! そう言えば、あなたはここの担当でしたね」

「うん。この薬草園に関しては私の方が先輩だから、なんでも聞いて!」


 胸を叩いたレリアは、自信満々に言い切った。

 修道院で育ったシャルロットにとって、薬草の世話は慣れたものだ。特殊なものでない限り、シャルロットの方に一日の長があるのだが、彼女は黙っていることにした。


「それは頼もしいです。よろしくお願いします」

「任せて!」


 なにはともあれ、友人と同じ仕事ができるのは嬉しいものだ。

 シャルロットは口許を綻ばせると、レリアと並んで、繁茂はんもしたローズマリーの剪定を始めた。




 しばらく黙々と作業をしていたシャルロットだが、不意に違和感を覚えて手を止めた。

 体の表面を、なにかが滑り落ちていく感覚がしたのだ。


(なんでしょう)


 落ちたものを確認しようと、シャルロットは立ち上がって地面を見下ろした。

 しゃがんでいた場所からずれると、そこには水晶でできた葉のようなものが落ちていた。

 シャルロットは小さく声を漏らすと、慌ててそれを拾い上げた。

 それはシャルロットが肌身離さず首から下げている、母の形見であった。彼女の人差し指ほどの長さがあり、楕円形に近い葉の形をしている。

 取り付けてあった金具に紐を通していたのだが、どうやらその紐が切れてしまったようだ。

 付着した土を払うと、水晶に似たそれは、日の光を受けて虹色にきらめいた。

 ふとシャルロットは、隣から突き刺さるような視線を感じて横を向いた。

 

「レリア?」


 レリアは、シャルロットの手元を凝視していた。

 天地が逆さまにでもなったかのような顔で、レリアは口を開いた。


「……なんで、それをシャルロットが持っているの?」

「え?」


 シャルロットはまばたいた。

 レリアの質問の意図が、よくわからない。


「これは、私の母の形見です。どういった由来のものかは知りませんが」

「そう……」


 レリアはなにかを考えるように俯いていたが、やがて顔を上げると、さっと周囲に目を走らせた。

 他の修道女は、ふたりから離れたところで作業している。それを確認したのか、レリアはシャルロットの傍に寄ってきた。


「それ、ここの修道女に見せてないよね?」

「ええ。いつも服の下に着けているので」

「それならよかった」


 レリアは息をつくと、どきりとするほど真剣な眼差しを向けてきた。


「シャルロット。それは、誰にも見せては駄目よ。特に<白き鏡>教の聖職者には」


 声を潜めたレリアの言葉に、シャルロットは目を見開いた。


「どうしてですか?」

「それは大樹信仰の巫女が持つ、『大樹の葉守り』だからよ」

「大樹信仰?」


 初めて聞く単語だ。

 上手く話が飲み込めないシャルロットに、レリアはああ、と納得したような顔になった。


「修道院育ちじゃ知らないか。大樹信仰っていうのは、死者の国を支配する大樹・ルズランを信仰する宗教のことだよ。前国王陛下の時代は、異教への弾圧が激しかったの。それで大樹信仰も弾圧の対象になって、改宗しなかった人は火刑に処されたらしいよ」

「そんなことが……」


 シャルロットは思わず形見を握りしめた。

 レリアが言ったことは、どれも初めて聞くことばかりだった。


「血なまぐさい歴史は、修道院じゃ教えないでしょう。特に教団が関係している場合はね。知らなくて当然だよ」


 レリアは言葉を切ると、囁くような声音で言った。


「異教への差別は今の時代も残っている。それを持っていることが知られたら、異教徒として断罪されかねない。だから、聖女になりたいのなら絶対に隠しておきなさい」

「……わかりました」


 混乱しながらも、シャルロットはしっかりと頷いた。

 不穏な話に、心臓が忙しなく脈打つのを感じる。シャルロットは震える指で、葉守りをチュニックのポケットに押し込んだ。

 


***



 一日の終わり、シャルロットはエティエンヌとの会話を終え、寝る仕度をしようとしていた。


(そうだ、大樹の葉守りを出さなくては)


 レリアの忠告を思い出し、シャルロットはポケットに手を入れた。

 しかし彼女の指が、目当てのものを探り当てることはなかった。


「え?」


 シャルロットは思わず声を上げた。

 もう一度手を突っ込む。しかし、どれだけまさぐっても、あの硬質な感触には当たらない。

 全身から血の気が引いていく。

 シャルロットは忙しなくチュニックを脱ぐと、ポケットを裏返しにした。


「そんな……」


 ポケットには、穴が空いていた。

 修道服は、繕いながら大切に着るものだ。シャルロットのチュニックも、ここの修道女から譲り受けたものなので、ずいぶんと使い古されている。

 しかしまさか、穴が空いているとは思いもしなかった。今まで気づかなかったのは、ひとえに普段ポケットを使用しないためである。

 己の失態に、シャルロットはしばらくの間なにも考えられなかった。自身のすべての感覚が鈍くなり、消えていくような気さえした。

 しかし、茫然自失としていても、事態が好転することはない。


「探さなければ」


 掠れた声で呟くと、シャルロットはチュニックを被った。





 シャルロットがまず向かったのは、最初に葉守りを落とした薬草園だ。

 いつかの幽霊探しの時と同様、今夜もまた曇り空が広がっている。塗りつぶされたような暗闇の中、蝋燭の灯りだけではずいぶんと心許ない。

 燭台を掲げながら、シャルロットはローズマリーの茂みや他の場所をつぶさに見て回った。


(日の光があれば……)


 大樹の葉守りは日光を浴びると虹色に輝く。視認のしやすさは今と段違いだ。

 しかし、日が昇ってから探すのでは遅い。

 もし誰かが葉守りを発見し、それがシャルロットの持ち物だと知られてしまったら――レリアの言葉通りなら、聖女候補から外されてしまうかもしれない。それだけならまだいいが、破門の上刑罰を下される可能性も十分にある。

 ふと、今探しているものに関して、シャルロットは疑問に思った。


(なぜ、母さんは大樹の葉守りを持っていたのでしょう)


 レリアは、大樹信仰の巫女が持っているものだと言っていた。そうすると、誰かから譲り受けたのではない限り、母が巫女であったという線が強い。

 ――父からは、そのようなことを一度も聞いたことがないが。

 そしてもうひとつ。シャルロットが育てられたエランジェル女子修道院では、誰も葉守りについて言及しなかった。

 あの修道院でなら、葉守りを何人かに見せている。しかし特別驚かれたり、忌避の目で見られたりしたことはなかった。

 

(レリアが嘘を言っているようにも思えませんし)


 シャルロットはあれこれ考えていたが、やがてため息をついた。

 今は、答えの出ない問いに頭を悩ませている暇はない。シャルロットは頭を振ると、捜索に集中した。





 薬草園をくまなく探しても、葉守りは見つからなかった。

 食堂や回廊なども探したが、蝋燭の乏しい灯りでは限度がある。シャルロットは心が折れそうになりながらも、まばたきさえ惜しむようにして床を凝視した。

 けれども、捜し物はどこにも見当たらなかった。

 残る場所は、聖堂のみ。使用頻度はここが一番高いため、見つかる可能性は高い。


(けれど、もし見つからなかったら)


 そのことを考えると、心臓が凍り付くような心地がした。

 不安と焦りで、胸がずっしりと重たい。高山に登ったかのように、呼吸が浅くなる。

 シャルロットは、聖顔ラディウスをぎゅっと握りしめた。気持ちが不安定な時は、このミラーペンダントを握ると心が落ち着く。


 <白き鏡>教において、鏡とは神の分身であり、魔を祓う道具である。

 聖顔ラディウスを持つ者は、<白き鏡>教の聖職者であることを示す。階級によって大きさや素材は異なるが、どれも鏡の背または蓋に、太陽を表す八本の線が放射状に刻まれている。

 

 信仰の証である聖顔ラディウスは、修道女になったシャルロットに前へと進む力を与えてくれた。

 しかし、大樹の葉守りも同じぐらい大切なものだ。母の存在を感じられる唯一の形見は、彼女にとって心の拠り所となっていた。

 保身のためであることを抜きにしても、葉守りはなんとしてでも見つけ出さねばならない。

 シャルロットは決意を新たにすると、聖堂へとひた走った。

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