第6話 親しき中にも礼儀あり

 エティエンヌと知り合ってから、三日目の早朝。

 シャルロットはいつものように、寝台から降りて修道服に着替えようとしていた。

 しかしそこで、いつも通りではないことが起こった。


「おはよう、シャルロット!」


 元気よく、エティエンヌが部屋に飛び込んできたのである。

 壁をすり抜けて来た彼に、シャルロットはぎょっとした。そういえば、彼は生身の人間ではないのだった。

 

(いえ、そんなことよりも)


 シャルロットは自身の格好を見下ろした。

 彼女は今、チュニックを着ようとしているところだった。そうなると当然、身につけているものは肌着のみとなる。

 状況を把握したらしいエティエンヌは、口を閉ざした。

 束の間、張り詰めたような沈黙が辺りを支配する。

 薄暗い部屋の中で、ふたりは彫像に変えられたかのように固まっていた。


「……ご、ごめん!」


 先に我に返ったのは、エティエンヌの方だった。

 彼はぎゅっと目をつむると、素早く部屋を飛び出した。


「……」


 異性に着替えを見られるなど、生まれて初めての経験である。

 怒っているのか、恥ずかしいのか、それとも両方がない交ぜになっているのか。混乱しているシャルロットには、己の感情がわからない。

 叫び出したいのをどうにかこらえると、シャルロットは勢いよくチュニックを被った。

 火照った頬の熱は、しばらく引きそうにもなかった。





 身支度を整えると、シャルロットは「エティエンヌ」と呼び掛けた。


「まだそこにいますか? もう入って来て大丈夫ですよ」


 一拍置いて、エティエンヌがおずおずと壁から顔を覗かせた。

 シャルロットがきちんと衣服を身につけているのを確認すると、エティエンヌはするりと入室した。

 

「シャルロット、ごめん! 本当にごめん! まさか着替え中とは思わなくて」


 シャルロットと顔を合わせるなり、エティエンヌはがばっと頭を下げた。


「君と話すことばかりに気を取られてて、君がどういう状況にあるのか全然考えてなかった」


 エティエンヌは上体を起こすと、シャルロットから視線を逸らした。

  

「僕、浮かれすぎてたみたい。ちょっと頭を冷やしてくる」


 沈んだ声でそう言うと、エティエンヌは肩を落として部屋を出ようとした。

 シャルロットは、彼の背に慌てて声を掛けた。


「待ってください!」


 反省している彼に、とやかく言う気にはなれない。

 シャルロットの中にあった羞恥や怒りは、いつの間にか日差しを浴びた雪のように溶けてなくなっていた。

 振り返ったエティエンヌに、シャルロットは躊躇いがちに口を開いた。


「その……気にしていないと言えば嘘になりますけど。これからは、入室する時に声を掛けてもらえれば大丈夫です」


 エティエンヌは瞠目した。


「それから、先ほどのことは忘れてください。私も忘れますから」


 シャルロットはそう言って、顔を赤らめた。


「も、もちろん! 忘れる、頑張って忘れるよ! それで許してもらえるなら!」


 薄闇でわかりづらいが、エティエンヌも頬を染めているような気がする。


「頑張って?」

「そ、それはその」


 エティエンヌの言葉を聞きとがめると、彼はせわしなく視線を動かした。


「しょ、衝撃的だったから……。お、女の子の着替えを見るなんて」


 忘れると言ったそばから、シャルロットの姿を思い出したらしい。

 エティエンヌは顔を覆って、「わー!」と叫び声を上げた。

 彼のそんな様子を見ていると、せっかく忘れかけた羞恥心が蘇ってしまう。この空気を変えるため、シャルロットは咄嗟に思い浮かんだ疑問を投げ掛けた。


「あの、エティエンヌ。他の方の寝室には、入ったことないですよね……?」

「え!?」

「壁をすり抜けることができるのなら、どの部屋にも入れますよね。ですから」

「いやいやいや、誓ってそんなことしてないから! こんなことになったのは、シャルロットが初めてだからね!?」


 エティエンヌは勢いよくかぶりを振ると、必死な形相で言い募った。


「確かに、色んな部屋に出入り自由ではあるけれど、寝室に入ろうなんて思ったことはないから! 誤解だよっ!」


 全力で否定するエティエンヌに、シャルロットは思わずくすくすと笑ってしまった。


「あ、笑うなんてひどい!」

「すみません、つい」


 むくれるエティエンヌに謝ると、シャルロットは笑みを納めた。


「ごめんなさい、失礼な発言でした。……ところで、エティエンヌ。お願いがあるのですが」

「なに?」

「朝は忙しいので、お話するのは昼の自由時間と寝る前でも構いませんか? あなたさえよければ、ですが」

「もちろん!」


 エティエンヌは即答した。


「今度からは必ず声を掛けるから」

「ええ、お願いします」


 真顔で告げたエティエンヌに、シャルロットは口元を緩めた。

 かくして、彼らは決まった時間に雑談をするようになったのである。



***



「ずっと疑問に思っていたのですが、エティエンヌはこの修道院から出られないのですか?」


 朝の騒ぎから数日が経った頃。

 シャルロットは、かねてから気になっていたことを尋ねた。

 昼の休憩時、オーク材の椅子に腰掛けたシャルロットは、自室でエティエンヌと向かい合っていた。


「うん、そうだね。色々あって、修道院の敷地から外へは出られないんだ」


 エティエンヌはさらりと答えた。

 その「色々」の部分を聞きたかったが、そのようにぼかしたということは話したくないのだろう。

 こうして毎日言葉を交していても、彼のことはわからないことが多かった。

 なぜこの修道院にいるのか、ということも未だに聞けていない。彼の死に関わる話題かもしれないので、それを本人に聞くのははばかられた。


「シャルロット?」


 エティエンヌに顔を覗き込まれ、シャルロットは物思いから覚めた。


「あっ、すみません。えーっと……エティエンヌは、この修道院に来る前はなにをしていたのですか?」


 このぐらいなら答えてくれるだろうかと、シャルロットはそわそわしながらエティエンヌを見上げた。


「ここに来る前は、世界中を旅していたよ」


 エティエンヌは、昔を懐かしむように目を細めた。


「そうだったんですか」

「うん。最終的にこの町に来て、そこでエティエンヌと出会ったんだ」

「そのエティエンヌとは、初代国王のことですか?」

「あ」


 エティエンヌはしまったと言わんばかりに、両手で口を塞いだ。

 どうやら、言うつもりはなかったらしい。

 焦った様子の彼に気づかない振りをして、シャルロットは会話を続けた。

 

「差し支えなければ、初代国王がどんな方だったのか、教えてもらえますか?」

「どんな……? うーん」


 この様子だと、答える気はあるようだ。

 エティエンヌは思い出すように、虚空を眺めた。


「外面と内面が全然違う、面白い人間だったよ」

「違う、とはどのように」

「エティエンヌ王は後の時代には名君と呼ばれているけど、それは周りが優秀だったからだよ。本人は周囲から担ぎ上げられた、気弱な人間だった」

「そうだったんですか」


 シャルロットは目を丸くした。

 今まで読んだどの歴史書にも書いていない、新事実である。


「周囲の期待に応えるために必死に取り繕ってたけど、本人は相当無理してたみたいだよ。シルトレン王の血を引いたばかりに貧乏籤を引いたって、いつも嘆いていたなあ」


 エティエンヌはくすくすと笑った。


 ユディアラ王国ができる前、シルトレンという名の王国があった。しかし当時大国であったガルメダ帝国に攻め込まれ、あっけなく滅びてしまう。

 そのシルトレン王族唯一の生き残りが、初代国王エティエンヌだった。

 ガルメダ帝国は度重なる遠征と激化する内乱で疲弊し、シルトレンを征服した二十三年後には瓦解してしまう。その混乱の中、隣国に逃れていたエティエンヌ王は祖国を復興するため、この地へ戻ってきたと伝わっている。


白夜王びゃくやおうがそんな人柄だったとは、意外です」


 文武両道の優れた為政者という印象が、がらがらと崩れ落ちていくようだ。

 現代では誰も知り得ない真実。それを知るのは、生きている人間ではシャルロットただひとりであろう。

 これはすごいことなのでは、とシャルロットが密かに興奮していると、エティエンヌがなんとも言えない表情をしていることに気がついた。


「どうかしましたか?」

「……前々から思ってたんだけど、その白夜王ってなに? エティエンヌ王の通称なの?」

「はい、そうです。ルテアリディスの別名を、白夜びゃくやつるぎと呼ぶのは知っていますか?」

「うん、聞いたことあるかも」

「白夜の剣の使い手だったので、そこから白夜王という通り名がついたと聞きます」

「へえ……」


 エティエンヌは眉間に皺を寄せると、「似合ってない」と呟いた。


「そもそも、なんでルテアリディスを白夜の剣なんて呼ぶの?」

「エティエンヌ王がルテアリディスを一振りすると、夜が切り裂かれ、太陽が姿を現わしたという伝説があるからです」

「ええ、なにその盛りに盛った設定は」


 エティエンヌが唖然としているのを見て、シャルロットは首を傾げた。


「……違うのですか?」

「全然違うよ! 特別な剣ではあるけれど、そんな神懸かり的なことはできないよ」

「そうでしたか」


 ルテアリディスの逸話を信じていたわけではないが、実際に否定されると少々がっかりしてしまう。

 そんなシャルロットには気づかない様子で、エティエンヌはふふっと笑みをこぼした。


「それにしても、本人が聞いたらどう思うかな。白夜王なんて通称を知ったら、すごく嫌がりそう」


 楽しげなエティエンヌに、シャルロットは微笑んだ。


「白夜王と仲が良かったのですね」


 しかしその言葉に、エティエンヌは意表を突かれた顔をした。


「……そうだね。少なくとも僕は、彼のことを結構気に入っていたよ」


 彼はそう言って、口角を上げた。

 それがあまりにも寂しそうな笑顔だったので、シャルロットはなんと声を掛ければいいのかわからなかった。

 そこで白夜王の話題は終わったが、エティエンヌのその表情は、シャルロットの頭の中にいつまでも残っていた。

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