█████悪█████

第35話 死闘

　極限まで集中力を高め、時間の感覚を引き延ばしてなお凄まじい速度で迫ってくる、アンブレイカー。

　劇的な反応をもって、大地は左の拳打で、ダークナイトは袈裟懸けの斬撃で、迎え撃とうするも、

「ふ……ッ！」

　拳と魔剣が届くよりも早くにアンブレイカーは床を踏み抜き、空の上にあるベレヌスの中で、瞬間的ながらも直下型の地震を発生させる。

　壮絶なまでの震動は大地とダークナイトの体をわずかに浮かし、軌道がぶれた拳打と斬撃をアンブレイカーは悠々と掻い潜っていく。

　そして、万力という言葉では足りない力で大地とダークナイトの顔面を鷲掴み、

「はッ！」

　力任せに頭から床に叩きつけた。

　偏執的なまでに分厚く造られた床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る中、大地は左の杭を撃発し、ダークナイトは魔剣を振るって顔面を掴む腕を刈ろうとするも、その時にはもうアンブレイカーは手を離して飛び下がっていた。

　二人して頭から血を流しながらも立ち上がり、アンブレイカーに突撃する。

　先に仕掛けたダークナイトが神速の刺突を繰り出すも、神すらも鈍（のろ）いと言わんばかりに、アンブレイカーは首を傾けるだけでかわしてみせる。が、即応したダークナイトは流れるように刺突を横薙ぎに変化。

　最小限の動作で回避したことが結果的に最短最悪の斬撃を招くも、アンブレイカーはその最悪すらも身を沈めて回避してみせる。

　続けて、立ち上がる勢いを利用したロングアッパーを繰り出そうとしていたので、アンブレイカーの横合いまで迫っていた大地はこれ見よがしに右の〝杭〟をちらつかせる。

　狙いどおりに〝杭〟を警戒したアンブレイカーはアッパーを中断し、飛び下がって間合いを離した。

　一瞬にして濃密な攻防を終えた三人は、一転して睨み合いながらもジリジリと間合いを詰めていく。

「どうやらアンブレイカーは、そ（・）れ（・）の脅威を正しく理解しているようだな」

　アンブレイカーに視線を固定したまま、ダークナイトは言う。

　そ（・）れ（・）とは勿論、大地の右篭手に装着された、光輝く〝杭〟を指していた。

「みてぇだな」

　大地は短く応じながらも、額の血が目に入りそうになったので、手で拭――

「！」

　まるでその瞬間を狙い澄ましていたかのように、アンブレイカーが突貫してくる。

　不意を突かれた大地は、間合いに入ると同時に放たれた拳打を、いつしかと同じように両腕を交差させて防御する。

　半ば無意識の内に右の〝杭〟を庇っていたため、いつしかとは逆に前面にしていた左腕に拳打が直撃。

　左篭手に装着していた杭がへし折れるほどの衝撃が、大地の体を容赦なく吹き飛ばす。

　今度は宙に浮かされまいと踏ん張った両脚で床を削る中、ダークナイトが怒濤の連撃をもってアンブレイカーを攻め立てる。

　本気を出したからといって、先程は一方的に壁際まで押し込まれた攻めを、そう易々と返せるわけがない――そんな甘い見立ては、ダークナイトが袈裟懸けの斬撃を繰り出した直後に打ち破られてしまう。

「なッ!?」

　ダークナイトにしては珍しく、狼狽が口から漏れる。

　アンブレイカーは斜め上方から迫る魔剣に自ら踏み込み、斬撃に充分な〝振り〟が乗る前に刃の根元を右肩で受け止めることで、連撃を止めたのだ。

〝振り〟を得られにくいことも含めて、刃の根元が切れ味が落ちるのに対し、肩の三角筋は上半身においては屈指の筋肉量を誇っている。

　ゆえに魔剣の一閃は、骨を断つどころか肉すらも満足に断てておらず、ダークナイトは、両手が自由になっているアンブレイカーの眼前で、甚大な隙を晒す格好になってしまっていた。

「く……ッ」

　すぐさま飛び離れようとしたダークナイトの右足を、アンブレイカーは容赦なく踏み潰し、その場に縫い止める。

　砕けた右足に痛みを覚える間もなく、アンブレイカーが放った右のショートアッパーが魔剣を握る左腕の肘を砕く。

　続けて放たれた左のロングアッパーが鳩尾に突き刺さり、真上に殴り飛ばされたダークナイトは血反吐を吐きながらも天井に叩きつけられた。

　その衝撃か、肘を破壊されたことで握力がなくなったのか、手から魔剣が滑り落ちていく。

　一方大地は、いやに長い数秒を経て、ようやく殴り飛ばされた勢いを殺しきる。

　まともなやり方では、本気を出したアンブレイカーに〝杭〟を当てられないと判断した大地は、さりげなく、右篭手に装着された〝杭〟の留め具を緩めた。

　ダークナイトが利き腕を壊された挙句天井に殴り飛ばされたことで、今この時に限れば、アンブレイカーの意識配分の比重はこちらに傾いている。

　その状況を最大限に利用するための小細工だった。

　そして、やっておくべき小細工はもう一つ。

　刹那にも満たぬ間、心配する体を装いながら、天井から落ちゆくダークナイトを睨みつける。

　目が合った瞬間に伝（・）わ（・）っ（・）た（・）ということにした大地は、床を蹴ってアンブレイカーに突貫。

　間合いに入るや否や、先のアンブレイカーに倣うかのような右のロングアッパーを繰り出した。

〝杭〟を警戒したアンブレイカーが、半身を引いてアッパーをかわした瞬間、留め具が緩んだことですっぽ抜けた〝杭〟が真上に飛んでいく。

　大地の意図を計り損ねたのか、アンブレイカーは普段よりもコンマ数秒遅れて、アッパーを空振った大地にフック気味の拳打を放つ。が、初（・）め（・）か（・）ら（・）そ（・）う（・）す（・）る（・）こ（・）と（・）を（・）決（・）め（・）て（・）い（・）た（・）大地は身を沈めることで、紙一重ながらもアンブレイカーの拳打をかわすことに成功。そのまま彼の両脚にしがみついた。

　それだけで大地の意図に気づいたアンブレイカーが頭上を見上げると、そこには天井から落下しながらも〝杭〟を受け取ったダークナイトの姿が。

「すまぬ、クライドヒム……！」

　謝罪しながら、一緒に落下していた魔剣を、アンブレイカーの眉間目がけて蹴り飛ばす。

　明らかに本命ではないが、だからといって無視を決め込むには魔剣の一刺（いっし）はあまりに鋭く、アンブレイカーは隙が生じるのを承知で、迫り来る魔剣を刃に触れることなく左手で払い飛ばした。

　まさしくその隙を狙ったダークナイトが本命の〝杭〟の頭を掴み、落下の勢いを利用してアンブレイカーの心臓に突き立てようとする。

　魔剣を払ったことで左手を使（・）わ（・）さ（・）れ（・）た（・）上に、大地が両脚にしがみついているため、回避もできない。

　一瞬の躊躇がそのまま死に貯血する状況下において、〝鋼のヒーロー〟の判断はどこまでも迅速で、どこまでも迷いがなかった。

「ふ……ッ！」

　鋭い呼気を吐きながら、アンブレイカーは迫り来る〝杭〟目がけて、右の拳打を繰り出す。

　光の〝杭〟と鋼の拳がぶつかり合った瞬間、〝杭〟に凝縮されていた光の力が爆ぜ、大地とダークナイトを吹き飛ばした。

　大地は散々床を転げてから勢いよく立ち上がり、爆発の余波が椿に及んでいないことを確認してから、同じように吹き飛ばされたダークナイトを見やる。

　頭を割られ、右足と左肘を壊された上に、鳩尾に激烈な一撃をもらったせいか、ダークナイトは受け身すら取れずに床を転げ、そのまま倒れ伏した。

　爆風に吹き飛ばされたことで、大地もダークナイトも多少なりともダメージを負ったが、光の爆発による直接的なダメージは全く無かった。

　そうだろうとは思っていたが、〝杭〟の光はフォトンホープの光と同様、敵と定めたもの以外は傷つけない性質を有していた。

　大地は、〝杭〟の爆発によって生じた煙の向こうを睨みつける。

（即席の連携にしちゃ上出来だったが……）

　正直、今のでアンブレイカーを殺（や）れたとは到底思えない。

　あの野郎は、回避が間に合わないと判断するや否や、躊躇なく〝杭〟に拳をぶつけた。

　重傷くらいは負っているだろうが、命には届いていない。

　そんな気がしてならなかった。

　煙は少しずつ少しずつ晴れていき……薄らとアンブレイカーの影が浮かび上がるのが見えた瞬間、大地は忌々しげに吐き捨てた。

「だと思ったよ……！」

　やはりアンブレイカーは健在だった。

〝杭〟を殴った右腕の、上腕の中程より下が爆発によって消し飛び、灼けきれなかった傷口から軽視できない勢いで血が滴り落ちている上に、全身に火傷のような痕が残っているが。

　しかと両の足で立って、微塵も戦意が衰えていない鋭い視線をこちらに向けていた。

「オーガッ!!　貴様がクライドヒムを使えッ!!」

　ダークナイトが逼迫した声で叫ぶ。

　その言葉だけで、彼の負った傷が最早まともに戦えないほどにまで重いことを悟った大地は、即座に周囲を見回す。

　ほどなくして床に落ちていた魔剣を見つけると、「オレが使うのかよ」とか「そもそもオレは魔剣に認められてねぇだろ」とか「掴んだ瞬間にぶっ倒れたらどうすんだよ」とか、諸々の懸念を置き去りにして魔剣に駆け寄り、掴み取った。

　直後、全身の力が抜けるような虚脱感に襲われる。

（テメェの主がオレに使えって言ってんだッ!!　力を貸しやがれってんだッ!!　クライドヒムッ!!）

　そんな心の叫びに全く応じなかった魔剣が容赦なく生気を吸ってくるも、大地は気合だけで何事もない風を装いながらもアンブレイカーを睨みつけた。

　そのやせ我慢を少しは認めてくれたのか、生気を吸う勢いが少しずつ弱まっていくのを感じる。

　しかし、

（……やべぇな。まだまともに戦える状態じゃねぇぞ、これ）

　生気を吸われ続けていることに変わりはないため、正直立っているだけで精いっぱいだった。

　今アンブレイカーに仕掛けられたら一巻の終わり――そんな焦燥を抱く大地に、当のアンブレイカーはなぜか、攻撃を仕掛ける代わりに言葉をかけてくる。

「オーガ。君に一つ訊きたいことがある」

　大地はすぐには応じず、どうしてアンブレイカーは仕掛けてこないのかと訝しみ……得心する。

　アンブレイカーは、肩で息をしていた。

〝鋼のヒーロー〟といえども、右腕を失ったダメージは決して軽くはなかった。

　仕掛けずに話しかけてきたのも、向こうは向こうで息を整えるための時間を稼ぎたいという魂胆があってのことだった。

　さらにもう一つ。

〝杭〟によって消し飛んだ、アンブレイカーの右腕の傷口から滴り落ちていた血の量が、少しずつながらも減ってきているのを大地は見逃さなかった。

　傷の重さを鑑みれば、血が固まってきたからなどということは絶対にあり得ない。

　信じられない話だが、アンブレイカーは自（・）力（・）で（・）血（・）管（・）を（・）締（・）め（・）る（・）こ（・）と（・）で（・）止血を試みているのだ。そのための時間も欲しているのだ。

　兎にも角にも、魔剣を御（ぎょ）するまでの時間が欲しかった大地にとって、相手も時間を稼ぎたがっているのは好都合。

　ゆえに話に乗ることに決め、短くない黙考を経てから「なんだ？」と返した。

「先程君は、カーミリアのことを『オレの女』だと言っていたな？」

　そういえば、戦闘開始直後にそんなことを言っていたことを思い出す。

　横合いから突き刺さる、いやに剣呑なダークナイトの視線を無視しながら。

「それがどうかしたかよ？」

「正体を隠しているため、表社会において彼女がエネミーであることを知る者は皆無に等しい。それはつまり、彼女がまだ表社会に戻られることを意味している。本当に彼女のことを一人の女性として大事に想っているのなら、彼女を説得し、表社会に戻られるよう尽力することが、君のやるべきことだったのではないのか？」

　揺さぶりか、それとも単純な興味からか。

　あまりにもズ（・）レ（・）た（・）質問をしてくるアンブレイカーに、大地は深々とため息をついた。

「テメェらヒーローは、テメェらが護っているものを過大評価しすぎなんだよ」

「それは、どういう意味だ？」

「テメェの言う表社会ってやつに、わざわざ椿（アイツ）を引き戻すだけの価値はねぇって言ってんだよ。何せ、クソみてぇな理屈でオレた（・）ち（・）から家を奪い、〝家族〟をバラバラにしたのは、まさしくその表社会ってやつだからな」

「……そうか」

　どこか諦めたように応じるアンブレイカーをよそに。

　今の言葉が魔剣に響いたのかどうかは定かではないが、突然、吸われていたはずの生気が逆流してきたのかのように、大地に力を与え始める。

（ようやく認めてくれたってか？　だが、それだけじゃまだまだ足りねぇ。さっきのダークナイトみてぇに、魔剣の力を最大限に引き出さねぇと、あの野郎の〝鋼〟は突破できねぇッ！　だから、さっさとオレに力を貸しやがれッ！）

　そう心の中で叫ぶと、魔剣が強く激しく脈動し始めたことを柄を握る掌で感じ取る。

　このまま魔剣に任せていれば力を引き出せそうな感じはするが、ダークナイトと違って瞬時にとはいきそうにないので、もう少しだけ時間を稼ぐために話を続けることにする。

「コッチも、一つ訊いていいか？」

「一つだけならな」

　向こうもまだ完全には息が整っておらず、右腕の止血も済んでいないからか、すんなりと話に乗ってくれた。

「フォトンホープの野郎は、あと一歩で勝てるってところまで追い詰めた瞬間に、突然理不尽なまでにパワーアップしやがった。まさかとぁ思うが、テメェもその口じゃねぇだろうな？」

　その問いに対し、アンブレイカーはあるかなきかの苦笑を浮かべた。

「安心しろ。その手の奇跡を起こせる者は、ヒーローの中でもほんの一握りの〝本物〟だけだ。私のような〝紛い物〟が起こせるほど安い奇跡（もの）ではない」

〝紛い物〟という言葉が、アンブレイカー自身が非道な実験によって生み出された存在ゆえに出たものだということは、大地の与り知らない話だが。

「だから私は、奇跡（そんなもの）に頼る必要がないほどに己を鍛え上げた」

　その覚悟は、奇跡を起こせる〝本物〟に勝るとも劣らない脅威だと、大地は認識する。

「やっぱテメェはヒーローだよ。クソむかつくほどにな」

　その言葉に応じるように、魔剣がその身と同じ血赤の凶光を放ち始める。

「クソむかつくか。エネミーに言われる分には褒め言葉だな」

　言い終わりに合わせるように、右腕の傷口から滴っていた血がはたと止まる。

　転瞬――

　二人は全く同時に床を蹴った。

　◇　◇　◇

　オーガが突進の勢いをそのままに放った刺突を、アンブレイカーは這うほどに身を沈めて回避する。

　しかし、オーガもかわされることを承知していたらしく、丁度いい高さに顔が来たのをいいことに、膝蹴りをアンブレイカーの顔面に叩き込んだ。

　ダメージは与えられなかったが、わずかながらも仰け反らせる程度の威力はあったらしく、アンブレイカーの動きが一瞬止まったところにオーガは魔剣（クライドヒム）を振り下ろす。

　アンブレイカーが横転して振り下ろしの斬撃をかわす中、ダークナイトは片膝をつく程度にまで体を起こしながらも二人の戦いを分析していた。

（やはりオーガは、多少なりとも剣の心得があったか）

　相手の力量のみならず、得手不得手さえも朧気ながらも察する眼力をもって、オーガに剣の心得があることは見抜いていた。

　そして、煌成高校での任務後、魔剣を持たせてみた際に膝すら突かなかった時点で、オーガには魔剣に認められるだけの潜在能力（ポテンシャル）が秘められていることも見抜いていた。

　躊躇なく魔剣を託したのも、それゆえのことだった。

　とはいえ、オーガは魔剣に認められたというだけで、まだまだ使いこなせているとは言い難い。

　さらに言えば、先程心の中でも評したとおり、剣の心得はあくまでも多少程度。

　オーガ自身もそれらについては承知しているようで、剣のみならず手や足も出す、所謂（いわゆる）ケンカ剣法でアンブレイカーと渡り合っていた。

　そのアンブレイカーだが、右腕を失った上に、それなり以上のダメージを負ったせいで、かなり動きが鈍（にぶ）くなっていた。

　腕一本を失った影響は、単純に片腕しか使えないことのみに留まらない。

　腕一本分の重さを失ったことで重心がズレ、走る際は片側だけ腕の〝振り〟が得られないため、バランスをとることが難しくなっている。

　いくらアンブレイカーといえども、全くの無影響というわけにはいかない。

（だがそれも、時間の問題だな）

　アンブレイカーの戦闘センスは非凡。

　そう時間をかけずに、片腕での身体の動かし方を、ひいては片腕での戦い方を物にするだろう。

　それから懸念はもう一つ。

　先程も触れたとおり、オーガがまだ魔剣を使いこなせていない点にあった。

　初めてにしてはかなり魔剣の力を引き出せてはいるが、あの程度の凶光（かがやき）ではアンブレイカーの〝鋼〟を斬り裂くことはできても、斬り断つことはできない。

　それはつまり、斬撃ではアンブレイカーを仕留めるのは困難であることを意味している。

（アンブレイカーは、勝つためならば己が肉を切らせることも厭わぬ。気づかれた時点で、オーガの勝機は潰える）

　ふと、床に寝かされているカーミリアを見やる。

　オーガと再会してからの彼女は、今まで見せたことがないような表情を次々と見せるようになった。

　それゆえに、ダークナイトはオーガのことを少々以上に気に入らないと思っており、少々以上に感謝もしていた。

　オーガを前にしたカーミリアは、悪の組織（ディバイン・リベリオン）の三幹部ではなく、どこにでもいるような、ただの少女だった。

　彼女のそんな姿を見せてもらえたという一点に限れば、本当に、心の底から、オーガに感謝していた。

（カーミリアのためにも、こんなところであの男を死なせるわけにはいかぬ……！）

　人知れず覚悟を固めたダークナイトは、オーガとアンブレイカーの激闘を見守りながらも、空気と同化するように少しずつ少しずつ己が気配を消していった……。