第36話 決着

 時を同じくして、ひじりでの戦いはすでに終わりを迎えていた。

 全身が血と火傷にまみれ、床に倒れ伏すフォトンホープ。

 その彼を、グランドマスターは太陽でも見るような眩しそうな目で見下ろしていた。


「まさか、ディバイン・トリビューナルを耐えきってみせるとはのう……――ッッ」


 賛辞の言葉を吐いた口から、おびただしい量の血が吐き出される。


 グランドマスターの胸には、フォトンホープの光剣が突き刺さっていた。


 意識を失ってはいるが確かに息があるフォトンホープに、グランドマスターはなおも語りかける。


「見事じゃ、フォトンホープ。其方そなたは我に勝った。じゃが……」


 胸に刺さった光剣を握り締め、力尽くで霧散させる。

 それによって空いた胸の穴から血が流れ落ちていく中、グランドマスターは凄絶に笑んだ。


我らが組織ディバイン・リベリオンの勝ちは譲らんぞ、ヒーロー!」


 後はもう死を待つだけの老人とは思えないほど力強く宣言すると、最後の力を振り絞り、敵味方問わずベレヌスにいる全ての人間にテレパシーを送った。



 ◇ ◇ ◇



(クソッ! 野郎の動きが段々良くなってきてやがるッ!)


 大地は心の中で悪態をつきながらも魔剣を振るい、ダークナイトの見立てどおりに短時間で片腕での戦い方を物にしたアンブレイカーが、斬撃をかわしながら肉薄してくる。

 左の拳打を警戒していたこちらの意表を突くように、なくなった右腕の肩で繰り出したタックルが大地の腹部に直撃した。


 胃が裏返るような衝撃に血反吐を吐きながらも、気合で反撃の斬撃を放ち、追撃しようとしていたアンブレイカーを半歩だけ退しりぞかせる。

 その隙になんとか体勢を立て直すも、向こうがすぐさま間合いを詰めてきたため、状況を好転させるには至らなかった。


 このままじゃジリ貧になる――そんな焦燥を抱いたその時。

 天の助けとなる声が、大地の、アンブレイカーの、この場にいる全員の脳内に響き渡る。


『ベレヌスにいる全ての者たちに告ぐ』


 それはグランドマスターの声だった。


 慣れている大地とは違い、初見のアンブレイカーは突然脳内に声が響いたことにより「グランドマスターが攻撃を仕掛けてきたのかもしれない」と、余計な警戒を強いられてしまったようだ。

 眼前にいる大地に向けていた意識がほんのわずかに薄れ、有るか無きかの隙が生じる。


(ここだ……ッ!!)


 半ば反射的に繰り出した、逆袈裟の斬り上げ。

 アンブレイカーは即座に身を反らすも、グランドマスターのテレパシーのせいで常よりも反応が遅れた分、大地の方がわずかに速かった。


『まずは、我らが同志に伝えておくべきことがある』


 引き続き脳内で声が響く中、血赤の刃が決して浅くはない角度からアンブレイカーの胴を捉え、右腰から左肩かけて肉を斬り裂き――ギャリギャリギャリッと、およそ人体を斬ったとは思えない不快な音が耳をつんざく。


『我はヒーローに敗北した』


 魔剣の力を借りてなおアンブレイカーの命を断てなかったことに加え、予想だにしなかったグランドマスターの言葉に、大地は心の内に生じかけた動揺を気合でねじ伏せた。


『だが、《ディバイン・リベリオン》が敗北したわけではない』


 有るか無きかの隙を逃さないという点は向こうも同じで、動揺が生じかけた一瞬を狙い澄まし、アンブレイカーが右のハイキックを繰り出す。


『この空中要塞ベレヌスは、我の生体反応が潰えた三〇分後に、東京に堕ちるよう設定されている』


 手遅れなタイミングで反応した大地は回避を諦め、ハイキックから逃げるように横に倒れる。


『同志たちは、その三〇分の間に脱出ポッドや隠密輸送艇アオス・シを使って地上に戻るがよい』


 アンブレイカーの右足は大地の左側頭部を捉えるも、自ら倒れたことで威力は多少ながらも逃げていき、結果、もんどりは打てど五メートルも吹き飛ばされることなく耐えきってみせた。


『ヒーローよ。其方そなたらもこのベレヌスから脱し、地上に戻るがよい』


 しかし受けたダメージは決して安くはなく、再び割れた頭から血が流れ落ちる。


『そして、指を咥えて見ているがよい。ベレヌスが東京に墜ちる様を』


 トドメと言わんばかりに、アンブレイカーが床を蹴り砕く。


『なに、被害はディバイン・トリビューナルに比べたらマシなものじゃ。まあ、国の中枢が機能不全に陥るのは必至じゃろうがのう』


 大地は魔剣を構えて迎え撃とうとするも、ハイキックによって脳が揺さぶられたのか、一瞬だけふらついてしまう。


『もう一度言う。我は敗北したが、《ディバイン・リベリオン》が敗北したわけではない』


 好機と判断したアンブレイカーが、左の拳を強く握り締め、


『敗北するのはヒーロー……』


 間合いに入ると同時に大地の顔面目がけて、全力の拳打を放――



「貴様らの方だ」

其方そなたらの方じゃ』



 ダークナイトの声と、グランドマスターのテレパシーが重なって聞こえたのも束の間、突如としてアンブレイカーの背後に現れたダークナイトが、そのまま彼を羽交い締めにする。


 こうも完璧に背後をとれたのは、ダークナイトの気配を消す技術が尋常ではなかったという理由もあるが、目の前の敵に全神経を集中しなければならないほどにアンブレイカーが消耗していたことが、何よりも大きかった。


 言葉を発するいとますら惜しんだダークナイトが、「愚生ごと貫け」と視線だけで訴えてくる。

 この好機が半瞬の迷いも許さぬ刹那的なものであることを、ダークナイトの訴えどおりそれ以外にはアンブレイカーの命には届かないことを理解していた大地は、微塵の躊躇もなく、今まさに力尽くで羽交い締めを振りほどこうとしていたアンブレイカーの心臓目がけて刺突を放つ。


 次の瞬間。


 魔剣の切っ先は、その後ろにいるダークナイトごと、アンブレイカーの心臓を刺し貫いた。


 二人分の、確かな致命の手応えを感じながら、大地はゆっくりと魔剣を引き抜く。


「味方ごと、躊躇なく……か」


 そう呟いた直後、アンブレイカーは吐血し、糸が切れた操り人形マリオネットのようにくずおれていく。


「この……悪党エネミーめ……」


〝鋼のヒーロー〟が吐いた最初で最後の罵倒は、言った本人の頬に微笑にも似た歪みが浮かんでいたせいか、大地の耳にはなぜか褒め言葉のように聞こえた。


 床に倒れ伏し、血溜まりを拡げるアンブレイカーから心音も呼吸音も聞こえてこないことを確認してから、その反対側で仰臥し、同じように血溜まりを拡げているダークナイトに歩み寄り、腰を落とす。

 直に心臓を刺し貫かれたアンブレイカーよりマシというだけで、心臓のすぐ近くを刺し貫かれたダークナイトの傷も確実に致命。最早幾許も持たないのは明白だった。


「なんて……顔をしている……」


 言われて初めて自分の顔が悲痛に歪んでることに気づいた大地は、「うるせぇ」と力ない悪態を返した。


魔剣クライドヒムは……貴様にくれてやる……」

「……ああ。もらってやるよ」

「カーミリアは……?」

「まだ意識は戻ってねぇが大丈夫だ。オレの耳で聞いた限りじゃ、呼吸も安定してるしな」


 むしろまだ意識が戻らないことが大地としても心配だが、死にゆく男の手前、そんなものはおくびにも出さなかった。


「そうか……――がはッ!?」


 ダークナイトの口から血が吐き出される。

 ますます表情を悲痛に歪ませた大地は、手向けとばかりに、彼女の本当の名前を教える。


「カーミリアじゃねぇ。椿だ。九宝院椿が、アイツの本当の名前だ」


 数瞬、ダークナイトの目が見開く。


「ツバキ……。そうか……それが彼女の…………ついでだ……貴様の名も……聞いてやる……」


 大地は「偉そうに」とぼやきながらも、素直に答えた。


「大地。海形大地だ。そういうオマエの本当の名前は何なんだよ?」

「名前など……とうの昔に……捨てた……」


 思わず文句を言いそうになるも、ダークナイトがこちらに向かって震える手を伸ばしてきたので口をつぐむ。


「約束しろ……ダイチ……これから先も……絶対に……貴公がツバキを……護ると……」

「オマエに言われるまでもねぇが……」


 言いながら、ダークナイトの手を強く握り締めた直後、



 ビ――――ッ!! ビ――――ッ!! ビ――――ッ!!



 空気を読まない警報音が耳をつんざき、緊急を告げる赤色に変わった照明が、にわかに明滅し始める。

 それらは、グランドマスターの生体反応が完全に潰えたことを、三〇分後にこのベレヌスが東京に墜ちることを報せるものだった。


 その警報に誘われるように、大地の掌中にあったダークナイトの手から力が抜け落ちる。

 心音も、呼吸音も、もう全く聞こえない。

 それでもなお、ダークナイトの手を握り締めたまま、大地は決然と言葉をついだ。


「……あえて約束されてやるよ。椿は絶対に、このオレが護る」



 ◇ ◇ ◇



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ピュアウィンドは膝に手をつき、肩で息をしながら、照明によって赤く明滅する床を見下ろしていた。


 フォトンホープが忽然と消えて以降ずっと、無限と思えるほどに湧いてくる戦闘員を相手に、一人として死人を出すことなく戦って戦って戦い続け……先のグランドマスターのテレパシーによって、少なくとも戦闘員との戦いは終わりを迎えた。


「三〇分しかねえんだ! チンタラすんな!」

「待ってくれよ! 足が折れて動けねえんだ!」

「俺も! 俺も連れて行ってくれ!」

「負けたのか? 本当に負けちまったのか!?」


 阿鼻叫喚の地獄絵図とはまさにこのことで、つい先程まで延々と湧いてきてはピュアウィンドに襲いかかってきた戦闘員たちが、今は我先にと逃げ出していく。

 ピュアウィンドの攻撃を受けて、死にはしなかったものの自力では動けなくなった者たちが、悲鳴じみた声で味方に懇願する。


(このままベレヌスが墜ちてしまったら、この人たちは死んでしまう……。それに、誠司くんとアンブレイカーさんも、脱出できるような状況にあるかどうかもわからない)


 どちらがグランドマスターを倒したにせよ、東京を消滅できるほどの力の持ち主を相手に無傷で勝てるとは思えない。

 グランドマスターに、ベレヌス内にいる全ての人間にテレパシーを送る余裕があったことを鑑みると、あまり考えたくはないが、相討ちになっている可能性もあり得る。


(……ダメ。東京を壊させないためにも、ここにいる皆をこれ以上死なせないためにも……ベレヌスを墜とさせるわけにはいかないっ!!)


 絶対に誰も死なせない――かつてない覚悟を胸に刻んだピュアウィンドは、疲弊した体に鞭を打ち、来た道を逆走していく。

 走れば走るほど呼吸が苦しくなり、脇腹と足が痛みを訴えてくるも、止まることなく走り続け……自らが外壁をぶち抜き、ベレヌスに突入した穴が見えたところで風の力で飛び上がり、外へ出る。


 今は少しでも力を温存したかったので、外壁の上に着地すると同時に風の力は空気抵抗を抑制するだけに留め、ピラミッド状になっているベレヌスを駆け上がっていく。

 やがて頭頂部に辿り着いたところで、両掌を夜天に掲げ、


「もう二度戦えなくなってもいいっ!! だから……だからっ!! 風よっ!! この世に存在する全ての風よっ!! わたしに力を貸して――――――――――っ!!」


 その願いを叶えるように、ベレヌスの周囲に吹き荒んでいた風が、掲げた両掌に集まっていき、翡翠色に色づいていく。


 そして――


 集めて解き放った風は、巨大極まりない空中要塞を優しく包み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る