第25話 四年前・1

 四年前の深夜――


「わたしの方は大丈夫だ。そっちはそっちで大変なんだろう? 心配するな。何せわたしの家の地下にはシェルターがあるからな」

『マジかよ!? すげぇな九宝院財閥!?――って驚いてる場合じゃねぇか。わぁったよ。オレ一人がそっちに行って〝家族〟に余計な心配をかけちまうってのも、よろしくねぇからな』

「そういうことだ。もう切るぞ」

『あぁ。無茶とか絶対にすんなよ、椿』

「君の方こそな」


 椿は大地との通話を切り、スマホを懐に仕舞ってから一つ息をつく。

 まさかこんなことになるなんて――と、思わずにはいられなかった。


 ほんの数分前。

 ベッドでぐっすりと寝ていたところを、マナーモードにしていたはずのスマホから鳴ったけたたましい音に叩き起こされた。


 何事かと思いスマホを確認してみたところ、町中まちなかに凶悪なエネミーが現れたことと避難命令が出ている地域が記載された緊急速報メールが届いていた。

 そしてその地域の中に、九宝院邸がある地域と、希望の園がある地域が含まれていた。

 大地から電話があったのは、そのすぐ後のことだった。


 とりあえず今は両親のもとへ向かうべきだと判断した椿は、パジャマの上にカーディガンを羽織って自室を後にする。

 洋風な九宝院邸の廊下を歩いている途中、再びスマホがけたたましい音を鳴らしたので確認してみると、追加の緊急速報メールが届いていた。


 メールには、町中に《プルガトリオ》が召喚した邪神が現れたことと、アンブレイカーがその対処に当たっていることが記載されていた。

 邪神云々はともかく、すでにもうヒーローが戦ってくれているという情報は、当時の椿にとっては安堵を覚えるほどの朗報だった。


 それからほどなくして、リビングにいた母――楓と合流する。が、父――雅人は、この地域に住まう人々の避難を急ピッチで進めるために、財閥の伝手を利用して各機関と連絡を取り合っているらしく、自室から一歩も出られない状況に陥っていた。


 自分たちの避難よりも他の人たちの避難を優先し、そのために粉骨砕身する雅人のことを、椿は心の底から誇らしいと思った。

 その雅人の働きが、後の悲劇に繋がることになるとも知らずに。


 雅人が仕事用に複数台所持していたスマホと固定電話が、全台鳴りっぱなしになっていたため、見かねた椿と楓は、雅人が直々に折衝する必要がある相手を除き、電話応対を手伝うことにした。


 それからしばらくして――


「本当か!? アンブレイカーが邪神をたおしたのか!?」


 雅人が、固定電話の受話器に向かって歓喜の声を上げた。

 それを聞いて椿と楓は安堵するも、続けて雅人の口から出てきた言葉に戦慄する。


「なにぃッ!? アンブレイカーが《プルガトリオ》の邪教徒と戦いながら、こちらに向かってきているだとッ!? どうして……って、この地域の避難が他よりも進んでいるせいか!」


 苦みを吐き出すように雅人は叫ぶ。

 自分の頑張りのせいで、かえってこの地域に危険を招く羽目になってしまったのは、皮肉以外の何ものでもなかった。


「……そうか。もう目と鼻の先まで来ているのか。……ああ。すまない。後のことは任せる。私は逃げ遅れた人たちとともに、シェルターに入らせてもらうよ」


 受話器を置き、重苦しいため息をつく雅人に、椿はつい「父様……」と不安げな声をかけてしまう。

 目に入れても痛くない娘の前で情けないところは見せたくなかったのか、雅人は椿に向かってニッカリと笑った。


「心配するな。ウチのシェルターは地下深くにあるから、ヒーローとエネミーがどれだけ地上で暴れようがビクともしないさ。以前椿から受けた助言どおり、シェルターの使用と同時に自動で政府機関にSOSを送る機能を付けておいたから、出口が塞がれても必ず救助が来てくれるし、食料も大量に備蓄している。の分も、充分に賄えるほどにな」


 だから心配するな――と、もう一度だけ雅人は言う。

 その言葉は、椿を勇気づけるには充分な言葉だった。


 雅人が各機関に自分の身の安全を優先する旨を伝えてから、三人揃って部屋を後にし、邸宅の玄関広間に移動する。

 玄関広間は、逃げ遅れたり、遠くに逃げる体力がなかったりと、様々な理由で九宝院邸に避難してきた人たちでごった返していた。


 椿たちは、五〇人はくだらない避難者を取りまとめていた老執事――成宮なりみやのもとへ向かう。

 九宝院邸で働く執事の中で、住み込みで働いているのは成宮ただ一人のみ。

 その上雅人が、他の執事たちには自分の身の安全を優先するよう伝えてくれと成宮に指示していたため、今この家にいる執事は彼一人だけだった。


「すまない成宮。お前にはいつも苦労をかける」

「お気になさらないでください、旦那様。それより、どうしてこちらに?」


 雅人は、近くに避難者がいないことを確認してから小声で答える。


「この辺りが戦場になるかもしれない。この場は私が取り仕切るから、成宮はシェルターを使えるようにしてきてくれ」

「! かしこまりました!」


 成宮が邸宅地下にあるシェルターに向かったところで、雅人は避難者たちに向かって叫ぶ。


「皆様ッ!! 私はこの家の主、九宝院雅人という者ですッ!!」


 九宝院財閥の当主であり、エネミーに堕ちた者たちを救済する社会的システムを構築すべきだと訴える異端者でもある雅人は、この地域においては紛うことなき有名人だった。なので、わざわざ名乗る必要もないわけだが、雅人はあえて良くも悪くも有名な自分の名前を出すことで、半ば騒然となっていた避難者たちに耳を傾けさせた。


「私個人が集めた情報によりますと、アンブレイカーは《プルガトリオ》が召喚した邪神を撃退したとのことですがッ!! いまだ邪教徒が抵抗を続けており、戦域が拡大しているため、予断を許さない状況が続いていますッ!!」


 再び騒然となる避難者たちに、雅人はさらに声を張り上げて「ですのでッ!!」と叫ぶ。


「今から我が家の地下にあるシェルターに、皆様をご案内しますッ!! シェルターの開放が済み次第、手前のかたから順に――」


 突然、轟音とともに邸宅が揺れ、雅人は思わず言葉を切ってしまう。

 音が轟いた方角――玄関の方を見やると、その上部にあった壁に薄らと亀裂が走っているのが見て取れた。

 に何かが激突したのは、火を見るよりも明らかだった。


 しん、と玄関広間は静まりかえる。

 その静けさは、ちょっとした拍子で恐慌パニックに繋がりかねない危うさを孕んでいた。


「見て来ます」


 避難者たちを刺激しないよう落ち着いた声音で告げてから、雅人は玄関扉を開き、外に出る。

 心配になった椿と楓も続いて外に出るも、恐くて足が竦んでいるのか避難者の中に椿たちに続こうとする者は一人もいなかった。


 外に出た椿たちが目にしたのは、洋風の前庭に倒れ伏している、民族衣装に身を包んだ褐色の男。

 その民族衣装は、その肌の色は、ネットやテレビで何度も目にした、《プルガトリオ》の邪教徒そのものだった。


 生まれ育った町が戦場になっていることを実感してしまったせいか、目の前にエネミーが倒れているのを目の当たりにしてしまったせいか、椿も避難者たちと同じように足が竦んでしまい、玄関先で立ち止まってしまう。

 遠くから怒声や破壊音が聞こえてきたので視線を向けてみると、アンブレイカーと邪教徒と思しき米粒大の人たちが、民家の屋根の上で激闘を繰り広げる様が見て取れた。


 戦場と九宝院邸を結ぶ線上にある、前庭に植えられた木々がこちらに向かってへし折れているのを見ただけで、男がアンブレイカーに吹き飛ばされて九宝院邸玄関直上の壁に激突したという答えを導き出すのは、椿にはそう難しいことではなかった。

 だが、その答えのせいで椿の足はますます竦んでしまい、とうとうその場から一歩も動けなくなってしまう。


 一方雅人と楓は、すぐそこに戦場があることを気にも留めずに、男のもとに駆け寄って容態を確かめていた。


「あなた! まだ息があるわ!」


 こちらの人間とは体のつくりが違うのか、それとも何か不可思議な力を使って身を護ったのか、かろうじてとはいえ男がまだ生きていたことに椿は驚く。


「下手に動かすのは危険かもしれないが……かといって、このままここで寝かせておくのはもっと危険だ。楓、彼を中に運ぶぞ」

「はい!」


 雅人と楓は男を両脇から抱え、戻ってくる。

 どこまでも立派な両親に比べて、ただ怯えて足を竦ませていただけの己を恥じた椿は、両足をひっぱたいて喝を入れると、雅人たちが通りやすいよう玄関扉をしっかりと開け放ち、ストッパーで固定した。


 両親を先導する形で邸宅の中に戻ったところで、気づく。

 いつの間にか避難者たちが玄関を遠巻きにしながら、怯えと嫌悪が入り混じった視線でこちらを見ていることに。


 これは一体どういうことかと訝しんでいるうちに、瀕死の男を抱えた雅人と楓が戻ってくる。

 二人も異常な視線にはすぐに気づいたようで、顔を見合わせて頷き合ってから、玄関を抜けてすぐのところで立ち止まった。

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