第26話 四年前・2
「九宝院さん。そいつもシェルターに入れるつもりですか?」
口火を切ったのは、九宝院邸の近所に住んでいる老爺だった。
雅人は深く頷いて返し、
「このまま放っておくのは危険ですからね」
「わかってるんですか? 服と肌の色からして、その男は間違いなくルドラヘイム人。つまりは、今アンブレイカーと戦っているエネミーなんですよ?」
「勿論それもわかってます。ですが、エネミーどうこう以前に彼は怪我人です。怪我人を放っておくわけには――」
「放っておけばいいだろ! そんな奴!」
今度は、見知らぬ壮年の男が怒声を上げた。
「そうだ! 邪教徒だかなんだか知らないが、俺たちがこんな目に遭ってるのはそいつらのせいだろうが! そんな奴を助けて何になるんだよ!」
続けてまた見知らぬ男性が怒声を撒き散らし……そこから先はもう無茶苦茶だった。
「そもそもシェルターの中でそいつが暴れたら、あんたはどう責任をとるつもりなんだ!?」
「私たちとそこのエネミー、どっちが大事なのよ!?」
「やっぱあんた、噂に聞いていたとおり、エネミーの肩を持つ人間なんだな!!」
今から入るシェルターの所有主に対して、避難者たちが罵詈雑言を浴びせてくる。
さすがにそんな恩知らずな人間は避難者の三割にも満たなかったが、心の中では彼らに賛同しているのか、場の空気に怯えているのか、残りの七割の中に雅人を擁護しようとする者は一人もいなかった。
「待ってくださいッ! 私の話を聞いてくださいッ!」
雅人が必死に叫ぶも、そこかしこから飛んでくる怒声にかき消されてしまい……先程とは別の意味で恐怖を覚えた椿は、思わず傍に居た楓にしがみつおた。
「大丈夫よ、椿ちゃん」
母が柔和な笑みを浮かべながら、空いた手で抱き寄せてくれたことに安心を抱――
ピシッ
不吉を報せる音が、頭上から聞こえてくる。
その音の正体にいち早く気づいた楓は、椿を抱き寄せていた手を離すと、
「え?」
拒絶するように、背中から突き飛ばした。
まさかの母の行動に不意を突かれた椿は、たたらを踏んだ末に転倒する。
振り返りながら上体を起こした直後、先の激突で亀裂が入った玄関直上の壁が崩れ落ち、楓を、雅人を、瀕死の男を飲み込んだ。
「母様……?」
呆然としながら、三人が埋もれた瓦礫に話しかける。
先程まで罵詈雑言を浴びせていた者たちも、傍観していた者たちも、突然の悲劇に揃って呆然としていた。
「父様……?」
「大……丈夫だ……」
半ば無意識の内に紡いだ言葉は瓦礫の下にいる父に届いたらしく、椿は涙を溢れさせながらも「父様っ!!」と歓喜の声をあげた。
「母さん……も……気を失っているが……生きている……。彼も……まだ……息はしている……」
誰も死んでいなかったことは朗報だが、返ってくる雅人の声は苦しげだし、気絶していることを考えると楓は瓦礫に頭をぶつけた可能性がある。
ただでさえ瀕死だった男に至っては本当にただ「息をしている」だけの、極めて危険な状態である可能性が高い。
「今助けます!」
父に向かって宣言すると、涙を拭って立ち上がり、すぐさま瓦礫の除去に取りかかる。が、一四歳の小娘の
(研究室に戻れば、大地と一緒に試作したパワードスーツがあるけど……)
取りに戻って装着までするとなると、かなりの時間をロスすることになる。
雅人たちの状況を考えると、救助の遅れはそのまま取り返しのつかない事態に繋がると考えた方がいい。
ゆえに椿はパワードスーツを取りに戻る案を却下し、いまだ呆然としている避難者たちに向かって懇願することを選択した。
「お願いですっ!! 瓦礫をどけるのを手伝ってくださいっ!! 父様と母様を助けてくださいっ!!」
状況が状況だ。頼めば絶対に助けてくれる――そんな甘い期待は、避難者たちの煮え切らない態度によって早々に打ち砕かれてしまう。
「助けたいのは山々だけど、その人も奥さんも……ほら、エネミーでも何でも助けちゃうような人だから。そうなったら、僕たちの身が危なくなっちゃうでしょ?」
誰かが、最低なことを
「そ、そうよ! 私はエネミーと一緒にシェルターに入るなんてごめんよ! そもそもエネミーが恐くて避難してきたのに、そこにエネミーがいたら本末転倒じゃない!」
誰かが、最低な同意をする。
「それより、そんなところにいたら、またいつ壁が崩れるかわからない。君だけでもこちらに来なさい」
誰かが、最低な優しさを向けてくる。
「そ、そうだ! あ、あんないつ崩れてくるかもわからない壁の近くで、素人の俺たちが救助なんてするのは危険だ! そうだろ皆!?」
誰かが、最低な同意を皆に求める。
(なに……これ……)
誰も彼もが、自分が傷つかないよう言い訳を並べて、一人として父様たちを助けてくれない。
自分たちを護るシェルターを用意した父様と母様に恩を返そうとする人が、一人として現れてくれない。
そのくせ自分たちは、助けられるのが当たり前だと思っている。
身の危険がある
を探している。
助けに行こうか迷っている人もいるにはいるけど、同調圧力という毒に冒されたのか、二の足を踏み続けている。
誰も彼もが、父様たちを見殺しにしようとしている……!
「皆様お待たせしましたッ!! あちらの階段からシェルターに……」
シェルターを開放し、電気回りや水回りが問題なく使えることを確認してきた成宮が、声を張り上げながら戻ってくるも、玄関広間の異様な空気に気づいて言葉尻を濁す。
そんな彼に向かって、椿は天の助けが来たとばかりに悲鳴じみた声で懇願した。
「成宮さんっ!! 助けてくださいっ!! 瓦礫の下に父様と母様がっ!!」
「なんとッ!?」
成宮は慌てて椿のもとに駆け寄ってくる。
瓦礫の有り様を見て、老人と少女の二人だけでは時間がかかると判断したのか、成宮も避難者たちに向かって懇願した。
「皆さんッ!! 我々二人だけでは遅きに失するかもしれませんッ!! 瓦礫を除去するのを手伝ってくださいッ!!」
だが、やはり助けの声に応じてくれる者は現れず、あろうことか見て見ぬ振りをしてシェルターに逃げ込んでいく者まで現れ始め、成宮の顔に憤怒が宿る。
「人の命がかかってるんですよッッ!!!!」
老人とは思えない大喝。
さすがにこの怒声は玄関広間に残っていた者たちにも届いたらしく、何人かが瓦礫を除去しに行こうと最初の一歩を踏み出そうとする。が、天はどこまでも九宝院一家を見放した。
突然衝撃波が吹き抜け、九宝院邸前面の窓ガラスが軒並み割れ、玄関上部の壁が再び崩れ、椿の脇に瓦礫を降らす。
半瞬遅れて激烈な爆発音が轟き、最初の一歩を踏み出そうとしていた者たちの足を止めた。
「あ、あれ……」
避難者の一人が、崩落してできた玄関上部の壁穴を指でさす。
その先には、夜闇を払い、赤々と燃え盛る空が映っていた。
アンブレイカーに、何かを燃やすような力はない。《プルガトリオ》が、空が燃えるほどの炎を町に放ったのだ。
「うわぁあぁぁぁああぁぁあぁああぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁッ!!」
誰かの悲鳴を契機に、避難者たちは
「お願いですっ!! お願いですからっ!! 手伝ってくださいっ!!」
椿が必死に懇願するも、「ここにいたら自分の命が危ない」という大義名分を得た者たちは振り返りもせずに、一人残らず玄関広間から逃げ去っていった。
「あ……あぁ……」
思わず、遠ざかっていく避難者たちの背中に手を伸ばす。
傍にいた成宮は、口惜しそうに両手を握り締めていた。
こうなってしまった以上、二人だけでなんとかするしかない。
二人がかりでなら、少なくとも試作型パワードスーツを装着して戻ってくるよりも早く瓦礫を除去できるはず。
だから、今は泣くな。父様と母様を助けることだけに集中しろ!
「……成宮さん。手伝ってください」
ただ短く、お願いする。
成宮は顔いっぱいに悲痛を滲ませながらも、努めて平静に、
「かしこまりました」
と返してくれた。
「父様。母様。今助けますからね」
語りかけ、瓦礫の除去に取りかかる。
父の返事がかえってこなかった理由については、今は考えたくなかった。
二人がかりで瓦礫をどけて、どけて、どけて……なんとか、父を、母を、
瓦礫の中から引きずり出した際、誰一人として息をしていなかったことには、全く気づかないフリをして。
成宮は床に並べた三人の容態を確認し……目頭を押さえながら、ゆっくりとかぶりを振る。
その意味を理解することを拒んだ椿は、まずは男の遺体の脈を、心音を、呼吸を確認し……どれ一つとっても命を感じることができず、唇を噛み締める。
続けてすぐに父と母の……といけるわけもなく、一〇分を超える逡巡を挟んでから、両親の容態を確認する。
手首の血管に触れても微塵も脈打たない事実に、視界がじわりと歪む。
胸に手を当てても何の鼓動も響かない事実に、ポロポロと涙がこぼれる。
口元に耳を近づけても吐く息も吸う息も聞こえてこない事実に、
「父様ぁ……母様ぁ……」
両親の遺体のそばで、へたり込む。
見ていられなかったのか、成宮は思わずといった風情で椿から目を逸らした。
「いやぁ……いやぁああぁあぁぁあぁああぁぁあぁあぁあああぁぁぁ――……」
その夜、椿はシェルターに逃げ込みもせず、ヒーローとエネミーが戦う傍で、ひたすらに、ただひたすらに、泣き続けた……。
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