第27話:救出作戦②

俺は、目の前に広がっている光景にただただ愕然としていた。


こいつ……一体何をしようとしていた?


「な、何だ貴様……なぜゴーズの魔法を? まあよい、おい奴隷この鎖をほどけ!」


素っ裸のまま四肢を鎖に縛られているという、何とも間抜けな恰好をさせられているというのに、奴隷商は尊大な態度を改めるようとせず、俺に命令をしてきやがった。この状況下においてすらまだ、奴は自分が「上」で俺が「下」などというふざけた認識のままで居続けていやがるのだ。


だがその考えは、今この瞬間において限りなく誤りだ。


俺は返事代わりに鎖を一本増やし、奴の首に巻き付けてやった。


「ぐひぇッッ……!? カハッ……なじぇ!?」

「お前には聞きたいことが山ほどあるんだが……っ!」


自分の意志と反して、なぜか奴隷商の首の鎖の締め付けを強めてしまう自分がいる。いつの間にかまた湧きあがりつつある「黒い力」が、コイツが憎いと、殺せと叫んでいるのが分かった。


――リンに手を出すつもりだったな!? 屑が、生かしちゃおけねえ。今すぐ絞め殺してやる……!!


理性とは程遠い俺の感情が「黒い力」を呼び起こし、力はまたさらなる憎悪を掻き立てる。


「ガ……ッ……」

「テメエは……テメエだけは……っ!!」


だめだ……止められない! 


鎖が奴の喉元奥まで食い込んだ。


「ルー! ルー、リンちゃんは見つかったのかい!? 鍵を開けてくれ!」

「……オプール?」


ハッとして、俺は奴の首の鎖を緩めた。ドンドンとドアをたたきながらこちらに呼びかけるオプールの声と、急に息を吸い込んだ奴隷商の咳き込む声だけが部屋に響き渡る。


まだ「黒い力」が自分の胸の底でたゆたっているのを感じるが、とりあえずは冷静さを取り戻せたようだ。俺は落ちていた服をすぐにリンに着せ、ドアのかぎを開けた。


すぐ中へ駈け込んできたオプールは、部屋の中の状況を見て驚きの表情を浮かべた。


「な、何だこれは。 何でこのおじさんは裸で縛られているんだい?」

「さあな、そういう趣味なんじゃないか」


あいまいに答える俺に対しオプールは不思議そうに首をかしげていたが、すぐにどうでもよくなったのか改めて部屋を見回しながら焦り始めた。


「くそぉ、ここでもないか。みんなはどこに閉じ込められて……」

「わ、私、たぶん分かる」

「本当かいっ!? ど、どこに……!」

「おい、落ち着け」


ものすごい勢いでリンの肩を掴んで迫るオプールを、俺は手で制止した。リンが酷く怯えるように瞳を揺らしているのが見えたからだ。


リンだって、別に普段であれば同じ獣人であるオプールに近づかれても何ともないだろう。しかし今はタイミングが悪い。自分に迫ってくる男に対し平気で対応できるような精神状態ではないはずだ。


リンは、差し伸ばされた手から飛び移るように俺の後ろに隠れ、ボソボソとオプールの質問に答えた。


「こ、この部屋を出て右にずっと行った突き当りの部屋。大きな牢屋に入れられてる人たちがいたわ」

「なるほど、行ってくる!」


聞くなりオプールは、腰の痛みも厭わずに部屋から出ていこうとした。流石に考えなしすぎると思い、引き留める。


「おいっ、一人で行く気か!? 他に兵士がいたら……」

「大丈夫、見つかるようなヘマはしないよ。ネズミの獣人はかくれんぼが上手なのさ!」


そうしてそそくさとへやを出て行ってしまった。それだけの胆力があるのなら、最初から一人で助けに行けそうなものだが……。敵地に侵入して、テンションが上がっているのだろうか。


《そいつの首元に、ナイフを突きつけろ!》


声を聴き、瞬時に後ろを振りむく。


部屋に響いたのは、いつの間にか意識を取り戻していた奴隷商の言葉だった。俺にとっては、もはや何の効力もないその言葉だが、リンにとっては違う。


「ルー……ごめんなさい、ちがうのっ」


首元の呪印が光る彼女は、俺に向かって震える手で部屋にあった小ぶりなナイフを突きつけていた。俺は動かずに、その振るえる瞳に向かって呼びかける。


「大丈夫、分かってる」


俺はまた胸の内にドス黒いものが湧き上がってくるのを感じながら、視線を奴隷商の方に向けた。変わらず鎖に締め上げられた姿勢のまま、なおも奴隷商は得意げな笑みを浮かべていた。


その笑みに、また黒い感情が湧き上がる。


「油断したなぁ! さあ、仲間に自分を殺させたくなかったらこの鎖を解くのだ!!」

「テメエらは、俺を苛立たせる天才だな」

「何だと……!?」


俺はその瞬間、特殊スキル「威迫」を発動した。


「ガアアアアァァァアアアウウッッッ!!!!」

「ひっひぎ、ヒギイイイイィィッッ!?」


雄たけびに乗せ、奴の精神を揺さぶる振動波を放つ。このスキル「威迫」は、相手の心を直接攻撃し、恐怖させる能力だ。相手が自分より格下で、かつひ弱な精神を持つ者ほど強く作用する。


その直撃を受けた奴隷商は、もはや目の焦点が合わず、首は座らず、体中の筋肉がだらんと緩んで、何とも悲惨な有様になってしまっていた。


「あ、あひぃっ……うぇ」

「どいつもこいつも、卑怯な手で他人を利用して、俺を見下しやがって……!」


もはや聞こえていないだろうが、これまでの溜まりに溜まった鬱憤を、奴隷商のだらしなく舌が垂れ下がった馬鹿っ面にぶつけてやる。だが当然、奴隷商はアヘアヘ言うだけで、もう俺の言葉に何一つ答えることはなかった。


「おい、お前俺のこと知ってんだろ。何でもいい、教えろ! 俺の名前は、捕まえた場所は……俺はどこから来た!?」

「えふぅ……へへぇっ……」


俺が奴の首元を掴み体を揺らすと、奴隷商は小便を垂れ流した。


俺はチョロチョロと部屋に流れていくそれを汚ながることもできずに、呆然と見つめることしかできない。


何だこれは。これが俺の問いかけに対する、奴の答えだとでもいうのか。


ふざけるな。


黒い力の湧き出すままに、俺は空いているもう片方の手の爪を尖らせた。


「ま、待ってルー!」

「何だよリン」


俺は後ろからのリンの呼びかけに、そのまま振り返らずに答えた。何となく、次に彼女が尋ねる言葉が俺には分かってしまっていた。


「その人のこと、殺すの?」


ああ、やっぱり。またそれか。


彼女はきっと、この男のことを……いや、命を奪うこと自体の是非を問うつもりなのだろう。優しい彼女のことだ、もう十分じゃないかとか、人間でも命は命だとか、きっとそんな尊いことを言うつもりなんだ。


そう考えること自体は、大いに結構だ。勝手にしてくれと思う。


だが、今は邪魔だ。今の俺にはそんな高尚な理屈、どうだっていい。


「殺すよ」


後ろでリンが息をのむのが聞こえた。


彼女に諦めてほしいから。今から俺がすることを見逃してもらいたいから。


だからただ淡々と、俺は俺の理を話す。


「こいつが邪魔だから殺す。ウザいから殺す。憎いから殺す。リンを傷つけたこととか、これから先もこいつが獣人を奴隷にし続けるかもしれないとか、正当な理由はいくらでもある。こいつを殺さず、生かして、もう悪さをさせない方法もあるのかもしれないけど、そんなのは面倒だ。だから殺す」

「ルー……」

「俺を嫌ってくれて構わないよ。残酷だって、罵ってくれていい。その代わり、こいつの命のことは諦めてくれ」


もしこのことが原因で彼女が俺の元を去っていくというのならば、残念だけど仕方がない。もともと俺と彼女の関係は、「他にそうせざるを得ない」という選択肢の欠如ら始まったものだ。だが、今はその限りではない。


もうここは魔物が蔓延る魔物の森ではない。俺から離れたってすぐに死ぬわけじゃないし、オプールたちに着いていくという選択肢もある。そうすれば、彼女が自分の村に帰る方法は見つかるかもしれないし、何ならオプールの村に住み着くということもあるかもしれない。


彼女にはもう、数多くの選択肢が与えられているのだ。


だから俺は自分の本性をまざまざと彼女に見せつけてやる。彼女が自分の選択肢に気付けるように。


「じゃあ、やるよ」


返事がなかったので、俺はだらしなく垂れ下がった奴隷商の首元に向かって爪を振りかぶった。


その俺の手に、そっと何かが重なる。


リンの手だった。


「待ってってば! 勝手に自分の中で納得して、私の意志を決めつけないで!!」


その激しい声色に驚き、俺はすぐ隣に来ていたリンの顔を覗く。リンは顔を真っ赤にして俺を睨みつけていた。


初めは、俺のすることを否定するために起こっているのかと思ったが、どうも様子が違っているようだった。


「約束が違うわ」

「約束?」


リンの言っていることが瞬時に理解できず、眉をしかめる。瞳を閉じ、目じりに涙を浮かべながら彼女は首を振った。


「ルーだって、全然私を頼ってくれてない!」

「頼るったって……」


リンはおそらく、以前人間の馬車を助けた際に俺が彼女に問いかけたことを言っているのだろう。だが、それを今持ち出して彼女はいったいどうしようというのだろうか。


俺は困惑した。それが伝わったのか、彼女の吊り上がった瞳は一旦落ち着きを見せたが、それでも不満げな口調はそのままでリンは言う。


「そうよね。ルーは強いもの。私なんかと違って立ち止まったりしないし、迷ったりなんかしない。私の助けなんて、本当は全然必要なんかじゃないんだってこと、分かってる。……分かってるのよ、私だって」

「リン、そんなことはない。違う」


俺にとってリンは、助けにならないから必要ないとか、そういうものじゃないんだ。君がいなければ、俺はこの憎むべきものだらけの世界の中でいったいどうなってしまうのか、考えただけで恐ろしいんだ。


だけど、俺には君を縛りつけておける理由なんてないから。


「それでも私は、ルーと一緒にいたいのっ!」


リンは、その手に持っていたナイフを構えた。奴隷商に向けて尖らせている俺の爪の横で、隣に並び立つように。


「リン……?」

「だから、あなたの背負うものを私にも一緒に持たせて。置いて行かれるのは嫌」


ナイフの先が震えていた。その震えは、命を奪うことへの恐れだ。


リンの手は命を救う手だ。今までも、そしてこれからも、彼女の手と治癒術は多くの人を助け、命を救うだろう。その手が今、全く不必要に命を一つ奪おうとしているのだ。


俺は、彼女を止めるべきなのかもしれない。


別にそれは、奴隷商を殺すのを諦めるということと同義ではない。ただ彼女を説得するなり抑えるなりして、俺一人で奴の首を落としてしまえばいいのだ。そうすれば彼女は、余計な罪を背負わなくて済む。


だけど俺はそうしたくなかった。


なぜって、嬉しかったのだ。最低かもしれないが、あんなにも命の大切さにこだわっていた彼女が、今震えながら俺の隣に立ってナイフを突き立ててくれていることに感動してしまった。


だから俺はナイフを持つ彼女の手を、上から握って支えた。その手が震えないように、きちんと奴の喉元を貫くことができるように。


俺の選択を、彼女も察したようだった。


「ルー」

「リンは左半分、俺は右半分だ」


ナイフのそばに俺は爪を立てた左手を添える。リンは俺の目を見て、それから頷いた。


既に死んだようにぐったりしている奴隷商の前で、二人で構える。


俺に合わせて、リンもナイフを突き出した。


「やあああアアアァァァアアッッッ!!!」


悲鳴のようなリンの叫びは、奴隷商の首がはね飛ぶまで響き、いつまでも俺の耳に残り続けていた。

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