第26話:救出作戦①
「ここは……」
「凄いだろう。この辺りをうろうろしていたら見つけたんだ!」
オプールの道案内で、俺たちは城門からは離れた堀の中にある排水溝の前に来ていた。ポッカリと口を開けて、今もチョロチョロと水が流れてきているその穴は、人一人ぐらいだったら余裕で通っていけそうだ。
俺におぶられた状態のまま、オプールが自慢げに話す。
「この穴は、町の中のあらゆる場所につながっているのさ。みんなが捕まっているところにも通じているはずだよ。ネズミの獣人は忍び込むのが得意なのさ!」
「そこまで分かってたんなら、さっさと助けに行けよ」
「一人じゃ怖かったのさ!」
「……」
そこは自慢げに話すところじゃないだろう……。
終始偉ぶっている傍らのオプールに視線で抗議するが、全く気付いていないようだったので止めた。
改めて目の前の排水口を眺める。どこまでも続いていそうな暗黒の空間の向こうからは、微かな風と共にかなりきつい悪臭も立ち込めてきていた。
この中を通っていくのか……。
何か他のルートはないのかという希望も込めて、オプールに素直な感想を伝える。
「なあ、臭いんだが」
「え、そうかい? 君の背中にいる僕はそんなに気になら……あ、ごめん」
「おいやめろ」
誰の体臭が排水口並みだ、いい加減傷つくぞ。
だが、まあ臭いはまだ我慢できる範疇だ。真に問題なのはもう一つの方。
「こんなに暗い中を通っていくのか?」
月明かりの下、穴の外からこうして眺めているだけでも1メートル先ですら見通せないほどの暗黒である。こんな中を目的地もはっきりしない状態で探索するというのは、ちょっと現実的ではないのではないかと思える。
だがオプールは、これまた確かな自信をもった口調で答えた。
「大丈夫だよ。音が中で反響するから、それで大体中の構造はわかるのさ」
「マジか。確かに理屈は分からんでもないが」
聴覚には俺も自信があるため、確かにオプールの言っていることは感覚的には理解できる。俺も、音から周囲の情報を探ることがよくあるからだ。
しかし、暗闇の中を音だけで通路の状況を理解するというのは……正直自信がない。
「大丈夫、道案内は僕がするよ。ネズミの獣人は隠されているものを見つけるのが得意なのさ!」
「……色々あるんだな、そのシリーズ」
俺の背中で目を輝かせているオプールを、とりあえず信用することにしよう。
俺は半ば諦めの境地で、こちらに向かって大口を開けている暗闇の中へ飛び込んでいったのだった。
――狭い檻の中にいる。
暗い部屋のそこかしこから聞こえてくるのは、誰かのすすり泣きや呻き声、ぼそぼそと自らの境遇を嘆く呟きなどだ。
まるで時間が巻き戻ったようだとリンは思った。
体が震える。うまく呼吸ができない。頭の中が霞みがかったようにジンジンとぼやけて、物事を考えることができない。
ただ一つあの頃と変わったことがあるとすれば、彼女の心中を占める一人の少女の存在だ。ただ帰りたい、家族に会いたいという思いだけだったその心を支えてくれて、いつしか家族以上に大切な存在になっていた少女のことを、彼女は心配していた。
「ルー、大丈夫なの……?」
思いは言葉となって、震える唇からその名前が漏れ出した。
リンが最後に見たルーの姿は、奴隷の呪印に囚われて身動きが取れずに、とても強そうで恐ろしい人間の前に晒されている状態だった。あれではどんなに強い彼女でも、あっさりと敵の手に捕らえられてしまったことだろう。
だがしかし、リンがこの部屋の檻に入れられてからしばらくしても、ルーが運ばれてくることはなかった。
リンの中ではこのことについて、無事ルーが敵の手から逃れることができたという希望的予測と、別の部屋に運ばれてもっと酷い目にあわせられているのではないかという悲観的予測の両方が思い浮び、頭の中をグルグルしていた。ただこの二つの予測に共通していることは一つ、「早くルーの顔を見て安心したい」だ。
ルーの存在をリンは、暗い夜道を照らしてくれる灯りのようだと思っていた。自分が立ち止まってしまった時にはただそばにいて、また自分が歩き出せるまで待ってくれる。道に迷ったときにも、明るく照らして勇気づけてくれる。絶対に自分を見捨てずに、隣でともに在り続けてくれている優しい光。
そんな存在が今自分の隣にいないことに、どうしても彼女は不安に思ってしまうのだ。
これから先ずっと、ルーのいない世界で生きることを強いられたとしたら?
「いや……っ!」
この次の瞬間にもそれは現実となるかもしれない。そのことがリンの頭をまたグラグラと揺らす。
考えたくない。そんな未来の可能性は――。
突然、部屋の扉が大きな音を立てて開け放たれた。
「まっったく! ゴーズの奴はまだ戻ってこんのか!?」
「は、はい。念話石の方にも応答なく……」
「動けない小娘一匹に、何を遊んでおるのだ。これだからゴロツキの冒険者は……!」
入ってきたのはあの奴隷商だった。何やらイライラした様子で地面を踏み鳴らしながら、部屋の中を見回し、手元の紙で何かを確認している。
「おい、何人かゴーズを呼び戻しに行かせろ。あの荒くれ者のことだ、商品を傷つけて遊ばれてたら堪ったものじゃない!」
「し、しかし夜の森は危険で」
「だったら全員で行ってこい!!」
「はいい!」
奴隷商の傍らにいた兵士は、恭しく敬礼をすると素早く部屋から出て行った。
二人の会話を聞き、リンはまず一つの悲観的予測が消えたことにホッとした。ルーはまだ捕らえられていなかったことが分かったからだ。だが、また新たに浮かんだ「あの恐ろしい男に痛めつけられている」という可能性に、気分が完全に晴れることはなかった。
どうか逃げ延びていてほしい。それが今の彼女の一番の願いだった。
奴隷商は一人部屋に残ったまま、手元の紙をぺらぺらとめくりながら未だにイライラしているようだった。
「……ゴーズの奴、こんな有象無象共を捕まえてきてどうしろというのだっ……。わしはあいつの『狩りごっこ』の後片付け役ではないぞ全く……」
奴隷商はブツブツ愚痴を吐きながら、リンとは反対側にある大きな檻の前で止まった。その大きな檻の中には、何人かの獣人が一度に詰め込まれているようで、小さな檻に入れられているリンとは様子が違っているようだった。
「奴隷紋を入れる術師への依頼……個別の檻の発注……中央都市への移送代。こいつら全員売ったところで大した利益も出ん。薄利多売などワシの趣味ではないというのに……」
「なあおいっ! だったら女性と子供たちだけでも見逃してくれよ。俺がその分何だってやるからさ!」
「何だと?」
檻の中に大勢いる中の一人がそう叫ぶと、つられるように他の獣人たちも騒ぎ始めた。
「そ、そうだ! 俺たちの方が労働力になるぞ!」
「たくさん運ぶのが大変だっていうなら、俺たちだけで……!」
「はぁ……」
しかし、奴隷商は獣人たちの訴えに対し、うんざりしたようなため息を返すだけだった。
「全く、何も知らん馬鹿どもが。逆だ、逆。女子供の方が高く売れるのだ。お前らオスの獣人など、何の役にも立たん。労働力など、最下層の人間どもをタダ同然で働かせればいいだけなのだからな」
「そ、そんな……」
「そうだな……そこのお前なぞは、まあまあ高く売れるだろう」
「ひっ……」
指をさされた、丸い大きな耳に愛嬌のある顔だちをした少女が身を強張らせる。それを庇うように、傍らにいた同じ丸い耳をした女性が少女を抱きしめ奴隷商から覆い隠した。恐らく、少女の母親だろうか。
「母娘セットにしてもいいやもしれんなぁ? 親子両方楽しみたいという特殊な趣味の客も、いくらでもいるのだ」
男の言葉に母親と娘は二人、必死に抱き着いて震えあがった。奴隷商はそれを見て、満足そうな笑い声をあげる。檻の中からは奴隷商に対する罵声が上がったが、まるで堪える様子もなく男は檻の前から離れていった。
リンはその様子を眺めながら、悲痛な思いを抱えつつも同時に羨ましいとも感じていた。例え奴隷の身分に落ちたとしても、自分の大切な人と共にであったらどれだけ気持ちが楽か。今現在、傍らに誰もいないリンはなおさらそう思うのだった。
「おいお前、檻から出ろ」
奴隷商はいつの間にかリンの檻の前まで来ていた。鍵を開け、命令を下すその言葉に彼女は逆らうことができない。体が勝手に動き、逆らおうとしても焼き付くような首の痛みが増すだけだからだ。
奴隷商は、檻の前に立つリンの腕を見ると目を見開き、手を掴み、観察するように繁々と眺めた。
「また傷がついているではないか……全く、お前は大事な商品なのだから、もっと自分の体を大事にしてもらわなければ」
手を取られ、自分の身を心配するような言葉をかけられながらも、リンは全く嬉しくなどなかった。自分に向けられる視線や言葉は、皆自分を通して見る金に向けられているものだと彼女は理解していたからだ。
「来い。品質に異常がないか、確認しなくては」
奴隷商はリンを、別の小さな部屋に連れて行った。そこは文書やらファイルやらが散らばった机と、いくつかの棚、そしてベッドが置かれた簡素な部屋だった。奴隷商の私室だろうか。
奴隷商は部屋の鍵をかけるなり、リンに対して命令を下した。
「来ているものを脱げ」
「……っ!!」
その言葉に、当然リンは首を振り涙を湛えて拒絶を示す。だが態度とは裏腹に、体はあっさりと腰帯を外し、その身体を包んでいた粗末な布を床へと落とす。
少女の裸体が露になる。その凹凸の少ない、細やかで、しかし女性特有の柔らかさを有した体を、奴隷商は嘗め回すように眺め始めた。
「よおし……他に新しい傷はなさそうだな。魔物の襲撃を受けたと聞いていたから、少し心配していたのだが、これなら前と同じ値段で売れるだろう」
奴隷商の不躾な視線を感じる。その柔肌が、時折奴隷商が荒く呼吸した時の吐息を敏感に察知してしまう。
絶えず訪れる羞恥と嫌悪の波に、固く瞼を閉じることで耐えていたリンだったが、耳に聞こえてきた衣擦れの音に焦って瞳を開いた。
そこにいたのは、全裸の奴隷商だった。でっぷりと太った醜い腹肉が、照明に照らされヌラヌラと怪しく光っている。
「な……なんっ」
なぜ目の前の男が裸になっているのか、全く理解ができずにリンは唇を震わせる。それに対し、奴隷商はニチャアっと音が聞こえそうなほどに醜悪な笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫、わしはお前を傷つけたりしないよ……わしは傷つけずに愛でるのが得意なんだ」
奴隷商は手を伸ばしながら、ゆっくりリンへと近づいてきた。
自分は今から、とてもおぞましいことをされる。そう確信した彼女は逃げ出そうとした。
「動くんじゃないぞ」
「ひぐっ……!」
だが、先回りするような奴隷商の言葉が、彼女の身の自由を奪う。
目の前に迫る奴隷商を直視したくなくて、瞳を閉じようとした。
「ちゃんとワシを見ろ」
「嫌ぁ……」
だがそれすら許されず、下卑た視線を向ける奴隷商から目をそらすことすらリンはできない。だから、最後に彼女に残されたのは、ただひたすらに祈ることだけだった。
偉大なる祖先神に……故郷の家族と仲間たちに……。
いつも自分のそばにいてくれた、強くて優しい女の子に……。
「ルー……!」
呼応するように、部屋の中のあらゆる影から鎖が飛び出した。そのすべてが奴隷商の四肢に絡みつき、その体を拘束する。
「え……?」
「こ、これはっ……おい!」
奴隷商は慌てながらも、見知ったその魔法に犯人が誰かを察知し、空間に向かってその名を叫んだ。
「ゴーズ! これはいったい何の冗談だ、今すぐ魔法を取り消せ!」
「人違いだ」
しかし、影からその姿を現したのは鎧姿の大男ではなく、それより遥かに小さく、粗末な服装に身を包んだ少女であった。
その慣れ親しんだ、そして会いたくて、渇望して止まなかった後ろ姿に対し、リンは涙をあふれさせて名前を呼んだ。
「ルー!!」
「リン……」
だが、呼びかけに応じた少女は眉を顰めて、その全身から剣呑な雰囲気を溢れだたせていた。
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