第17話:感謝と誓い
「おー、流石『頑丈:4』だな」
良く分からない言葉をつぶやいた後、少女は何でもないことのように平然と引っかかっていた矢を取って捨てた。そして、空中に漂っているハーミットの方を向く。
そこからのハーミットの行動は素早く、迷わず標的に向かって突進を始めた。自らが放った矢がゴミのように切り払われ、唯一到達したものでさえ一つの傷も負わせられなかった現状を魔物は正しく把握したのだ。
逃げても、あの空気の斬撃によって背後を貫かれるだけ。ならば、自分に唯一残された武器である嘴で、敵への特攻を図る。潜伏を得意とするハーミットは、思い切りのよい賢い魔物でもあった。
だが、ハーミットは気付かなかった。もしかしたら気付きたくなかった
なりふり構わず、風切り音を増分に鳴らして迫る魔物に対し、少女は攻撃的に口端を持ち上げた。
「へえ、面白い……でも、ダメだねッ」
ハーミットは、目の前の標的があんぐりと口を開け、その牙を尖らせて待ち構えていることに気づき、慌てて方向転換しようとした。だがもう全てが遅かった。今更方向転換しようとしても、それはむしろ無防備な横っ腹を相手に差し出すだけの、悪手でしかなかったのだ。
「自分から見せつけていくのか……ヴワアアヴッッ!!」
「ギィ、ギヤゥッ!」
同時に少女が飛び込み、ハーミットの喉元へと食らいついた。一度獲物に食い込んだ牙は決して離れることはなく、そのまま少女が着地するとともに地面に叩きつけられる。
一度地に落ちた鳥の魔物は、後はただ羽をばたつかせるだけだ。当然、そんなものに計画性などない。ただいたずらに、自分に訪れるその瞬間を嫌がっているだけの醜いあがきである。
「暴れんな、よ!」
ハーミットは命乞いの間すら与えられず、喉元を食いちぎられその生涯を終えた――。
少女たちは、妹とジークの治療を終えると何も言わずに立ち去ろうとした。
「待ってくれ……っ!?」
慌てて彼女たちを呼び止めたジークは、振り向いた少女たちから向けられた視線に戦慄した。深いローブから覗いた、光を灯さない少女たちの瞳から伝わってきたそれは、紛れもないこちらへの悪感情そのものだったからだ。
それを察知したらしいガルドも、同様に言葉を失っている。
二人の気持ちは同じだった。
どうして彼女たちは……。
自分たちはこんな冷たい視線を浴びせられているのだ?
「何だよ」
まるで興味のなさそうな様子で、黒いローブの少女がこたえた。麻のローブの方は、最初に姿を現した時から一貫して口を閉ざしており、虚ろな瞳を向けてくるだけだ。どうやら、言葉に応じてくれそうなのは黒いローブの彼女の方だけらしいことが、ジーク達にも分かった。
ジークは、彼女たちを刺激しないようなるべく穏やかに、しかし抑えきれない自らの激情を、放つ言葉に乗せる。
「助けてくれて……俺たち家族を守ってくれたこと、心からの謝辞を言わせてくれ。本当に感謝している!」
「お、俺からもだ! 子供たちを助けてくれたこと、礼を言わせてくれ! ありがとう!!」
ガルドも加わり、二人揃って口々に感謝の言葉を述べ、ひたすらに頭を下げる。自分たちの気持ちが何とか伝わるようにと、とにかく必死になって言葉と態度を尽くした。
「あー、うん、どういたしまして。もういいか?」
「え……いや、その……っ」
しかし少女は、全く意に介さずといった様子で話を切り上げようとするだけだった。その態度が、「お前たちからの感謝などいらない」と言われているようで、ジークたちはショックを隠せない。
見れば、ガルドはもう呆気に取られて立ち尽くしてしまっていた。しかしジークは、それでもあきらめきれずに少女へと詰め寄る。
自分たちを助けてくれた、そして自分が見惚れてしまったこの鮮烈な少女たちに、何も残さずに別れてしまうのだけは、ジークは絶対に避けたかったのだ。
「何かっ……何かお礼をさせてくれないか!? 物でも何でも……お、俺の命だって、何だってする!」
「えぇ……」
少女は困ったようにその整った眉を寄せると、隣の黙ったままの少女の方をちらりと見た。だが、麻のローブのフードが横にフルフルと揺れると、なおさら困惑の表情を浮かべ再びジークを向いた。
「あー…………あっそうだ!」
しばらくげんなりとした表情を浮かべていた少女だったが、急に何かを閃いたように瞳をパッと開かせ、声を上げた。
「なあ、あんたら今ここがどこかとかって分かるか?」
「え? あ、ああもちろん。ここは中央都市から東に……」
「あー待ってくれ、地図で示してくれた方が分かりやすい」
思いもかけない要求に慌て、早口で現在地を伝えようとしたジークを少女は手で制し、すたすたと彼の方へと歩き始めた。
つい先ほど、数多くの魔物を屠った少女が一歩一歩と近づいてくるたび、ジークはこれまでで一番の驚愕に身を打ち震わせていった。
間近で見る少女は、小さい、本当に小さい体の女の子であった。妹であるミリアより、ほんの少し背が高いくらいか。その話し方から、ひょっとして男の子だったのかと思っていたのが大きな間違いだと気づく。
フードの隙間から覗く、ぱっちりと開かれ研ぎ澄まされた、ピンと張ったまつ毛が特徴的な瞳も。
ジークに対し地図を掲げるために、ローブから差し出したその腕の、白く、柔らかそうな肌の様相も。
そのどれもが間違いなく、ジークが今まで見たどの女性よりも可憐で美しい、頭を熱くさせるような魅力にあふれた少女のものだったからである。
「この地図で言うと、どの辺りだ?」
「えっと……」
ジークに上目づかいで、地図を差し出してねだるその姿は、とても魔物を蹂躙できるだけの力を備えているようにはとても見えないぐらいに愛らしい。
だが、同時に少女から漂ってくる血の匂い、魔物そのものと相対しているような野生の匂いは、彼女がただの少女ではない、戦いの中に身を置いている存在であることを如実に示していた。
ジークは、様々な感情が頭の中で交錯する中、何とか現在地を指し示すことができたようだ。気づいた時には少女はジークから離れ、地図を麻のローブの少女に手渡しながら、一緒に何か話をしているところだった。
その話が終われば、彼女たちは今度こそ自分たちの元から去って行ってしまうのだろう。
ジークにはその前にどうしてもあと一つ、少女たちとのこの出会いに残しておきたいことがあった。
「お、俺はジーク……ジーク・サジエスだ! 中央都市の……い、いつか騎士団の団長になる男だ!」
ジークは少女たちに名乗り、今現在の「騎士見習い」という役柄ではなく、未来の展望の方で自分を示した。それは、少女たちの横に並ぶには余りに力不足の今の自分でなく、いつか在り得るかもしれない理想の自分の姿で彼女たちの記憶に残りたいという、あまりに少年的な矜持が成した技であった。
「きみたちの名前を教えてくれないか!」
そして、ジークが真に欲したのはこちらの方だった。
今日の出来事と、今日の出会いと少女たちのことを、彼は一生忘れないだろう。例えこれから先、二度と出会うことができなかったとしても、彼の中で少女たちの記憶は永遠に残り、ジークの人生に影響を与え続ける。
だからこそ彼は、彼女たちの名前を心に刻み込んでおきたかったのだ。
少女たちは、すぐには答えなかった。黒いローブの少女が、隣に立つ少女に視線を送り様子を窺っている。まるでどうするかを相談しているようだった。
緊張の沈黙がしばし流れた。
「…………リン」
麻のローブの少女が応えた。風の音に消えてしまいそうなほどか細く震える、鈴が鳴るような声だった。
それを受けて、黒いローブの少女も名乗った。
「ルー」
「リン、ルー……! 君たちのこと、絶対に忘れない! いつか、いつか恩返しをするから……どうか、俺のことも覚えておいてくれ。俺は、ジークだ!!」
すぐに背中を向け歩き始めた少女たちに聞こえるように、ジークはいつまでも、いつまでも叫び続けていた。合間合間に自分の名前を挟み込んで、どうか自分のことが少女たちの記憶に残ってくれることを祈りながら。
「覚えていてくれ! 俺は、俺はジークだ!!」
少女たちの姿が森の中へ消えていってもなお、ジークは喉が枯れるまで叫び続けていた。
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