第18話:喧嘩
人間の馬車を助けた日から一日経ち、俺たちは立ち寄った川べりで食事がてら休憩をとっていた。今日の昼飯は、川を泳いでいた魚と常備携帯している木の実である。
魚を捕るのはさほど難しくはなかった。射撃のスキルを使えばあっさりと魚を仕留めることができた。むしろ最初は力加減を誤って、川底ごと魚を粉砕してしまったぐらいである。
焼いた魚の肉はなかなかに美味しい。これまで動物や魔物の肉ばっかりだったので、一風変わった風味が舌に嬉しかった。
おれはガツガツと釣り上げた魚にかぶりつきながら、対面に座っている少女の様子を覗き見る。魚にあまり手を付けず木の実をボソボソとついばんでいるリンは、時折自分の手のひらを見つめては憂鬱そうな顔をしていた。
「…………はぁ……」
「元気ないな、リン」
「っ! ……うん」
声をかけられ、自分が見られていたことに気付いたリンは慌てて姿勢を正し、ごまかすように木の実を口に運ぶ。だが木の実を口にするペースはすぐに落ち、表情も沈み元の木阿弥となる。
ここ最近のリンはずっとこんな調子だった。普段であれば、泣いたり落ち込んだりしてもケロリと明るい笑顔に戻れる彼女であるが、今回の件は随分後を引いているようだ。
「あの人たちを……人間を助けたこと、本当に良かったのかなって」
「助けなければよかったと思ってるのか?」
それは意外な答えだった。彼女が自分の行動に疑問を挟む余地が、俺には分からなかったからだ。
人間たちに迫る魔物を退けたのは俺であり、それはあの3人のためというよりはむしろ俺自身のためだ。俺は戦うのが好きで、強くなるために魔物を討伐したい。実際、この前の戦闘ではまたいくつか新しいスキルを手に入れることができた。
だから、俺には別にあの3人を助ける必然性は全くなかったといえる。むしろ、碌に体の動かない連中を守りながら戦って、敵の攻撃の矢を一本もらってしまった。スキルのおかげで怪我には至らなかったが、そういう意味で「あんな連中助けるんじゃなかった」と思うことがあるならば俺の方だろう。
だがリンの方は――彼女が人間に治療を施したのは完全に「あの3人を助けるため」だ。彼女の意思で、あの人間たちの命を救うことを目的として行動をした。それが無事に遂行され、あれほどまでの感謝まで受けていたというのに、何を後悔することがあるというのだろうか。
疑問に思った俺は、魚に食いつくこともせず彼女の返答を待った。リンは、ますます悩まし気に顔を歪ませ頭を抱えた。
「だって、人間は私たち獣人の敵なのよ? それを、祖先神様から受け継いだ癒しの術まで使って助けてしまって……!」
「……」
なるほどな、そういう考え方か。
俺は、リンの抱く悩みの正体が分かった気がした。
「もし……もし私があの人間を助けてしまったことで、いつか他の獣人が傷つくことになったら私……!」
「大丈夫だろ」
「えっ……」
あっさりと自分の不安を否定されたことに驚いたのか、リンが拍子抜けしたような声をポカンと開けた口から漏らした。
「あいつらは、獣人の敵にはならないよ」
「ど、どうしてそんな言い切れるの?」
リンが目を見開き、あたふたとしながら俺に詰め寄る。その心がドギマギしていることが俺にまで伝わってくるようだった。
俺は、助けた人間たちの顔を頭に思い浮かべながら答えた。
「目とか、しゃべり方とか……雰囲気? 少なくとも、獣人を奴隷にして喜ぶような奴らじゃないと思ったけどな」
「そんなの、分からないじゃない! 人間なんて、表面だけ良い顔して心の中で何を思ってるか……!!」
俺と目も合わせず、顔を赤くしたリンはなぜか俺の言葉にやたら突っかかった。
何をムキになっているのだろうか? リンだって、あいつらの様子を見てたら薄々分かっているはずだが。
「リンは、あいつらが悪い奴に見えたのか?」
「……っ! ルーは、記憶が無いからっ」
リンが吐き捨てるように言った一言が、俺には意味が分からなかった。
何だそれ。ムカつくな。
つい言葉尻が強くなる。
「今、俺の記憶が無いことが何か関係があるのか」
「……たわよっ」
「リン?」
俯きながら言ったリンの一言がよく聞き取れず、俺は立ち上がってリンに一歩近づいた。すると、リンの方もガバッと立ち上がり、一歩俺へと近づいて顔を上げた。
俺は驚いた。涙目をしたリンの眉がつり上がり、顔も真っ赤で、これまで見たこともないぐらいに俺のことを睨みつけていたからだ。
「見えなかったわよ! 全然、普通の人にしか見えなかった!! 私たち獣人と何も変わらない……家族が大事で、暖かくて、泣いて、喜んで……! だから悩んでるんじゃない!!」
「いや、だから……」
だから、問題ないんじゃないのか?
あいつらが獣人にとって害ならば、死んだほうがいい。害でないならば、生きていたっていい。ただそれだけの話だろ?
「ルーのバカ! もういいっ!」
「ちょっ、リン」
俺はもう一度、リンが悩む必要などないことを説明しようとした。だが、それよりも早く話を終わらせてしまった彼女は、それきり魚をバクバク食べながら俺の問いかけに応じてくれることはなく、話はそれきりになってしまった。
……まあいいか。リンの行動に理解できない部分が多いのは今更だ。今は冷静でなくても、そのうちまたコロッと機嫌を直してくれるだろう。
俺はとりあえず手元の魚を食い切ると、気持ちを切り替えるため手元の地図を覗き込んだ。
あのジークとかいう人間から聞いたことには、地図の真ん中に表示されている一番大きな城の絵、どうやらここが「中央都市」というものらしい。
「オラヴェル」と書かれたその場所から、東に進むとやがて「ネイブルグ」と書かれた城壁のイラストの都市に行きつく。現在地はこの「中央都市オラヴェル」から「ネイブルグ」までを繋ぐ街道の、だいぶネイブルグ寄りの所に位置しているというのが、人間から得た情報だった。
地図には、「ネイブルグ」から「エストナ」までは主要都市を2つ跨ぐように示されていた。そしてそれぞれの都市を繋ぐ街道は、今現在いる街道と同じぐらいの距離で表されている。気が遠くなるほど遠い……という訳でもなかったが、ここまでの道のりから考えると楽観視できる程の距離でもないと言えた。
まあとにかく、一番近いはずの「ネイブルグ」まであとどれだけかかるかだな。それで他の都市までどれぐらいかかるか、おおよその予測がつく。
地図に描かれた「ネイブルグ」の近くには川が流れているイラストがあった。それがもし、今俺たちがいる川につながっているとしたら、案外もうかなり近くまで来ているのかもしれない。
――そうめどをつけ、若干気まずい雰囲気を引きずりながら川べりを出発したのがほんの数時間前のこと。
「おおー、でかいな」
「……」
リンは、眼前に広がる城壁の巨大さに気圧されるように、俺の背中に隠れながら前を覗いていた。俺の肩にかかるその手が、緊張で強く握られているのが分かる。
あれからしばらく経っても、彼女の機嫌は未だにあまり良くはなっていなかった。
日が暮れるよりも早く、俺たちはまず最初の町、城壁都市「ネイブルグ」に到着したのだった。
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