第16話:驚愕の戦闘

「き、君は……?」

「……」


ジークは我に返り、自分の目の前に突如現れた存在に対し疑問符を投げかけられる程には思考力を取り戻した。だがその頃には既に、少女はジーク達への興味をなくしたかのように、残り2体の魔物へと向き直っていた。


自分の妹より少し年上なぐらいだろうか……とにかくまだ年端もいかない少女だ。それが、自分を跪かせた存在にその華奢な体を晒している。しかも少女は武器も所持していないように見えた。


そのことが、既に限界を超えているジークを衝動に駆らせた。ボロボロのその体をしてなお、腕を伸ばしてローブの裾を掴み、必死に少女を下がらせようとする。


「よせ……っ。あの魔物は……!」

「邪魔」


驚くほど冷たい声色で、少女は差し伸ばされた手を振り払った。なおも食い下がろうとするジークの腕を拒絶するように、ずんずんと魔物の方へと近づいていってしまう。


そこへ、漆黒の翼をはためかせ、鋭く曲がった鉤爪を突きつけた魔物が襲来した。


「クワアアッ」

「ダメだああ!」


何の装備も無い少女へ凶刃が迫る。その光景から、惨たらしい結末を想像しジークは絶叫した。


黒い翼の魔物「クロウラー」の鉤爪は、厚い革の装甲を容易く引き裂く。ジークが身に着けているレザーアーマーも、度重なる鉤爪の攻撃により肩口の部分が大きくえぐれ、その下の肉が裂かれてしまっているほどだ。


ジークは未だ、少女が突然現れたことと魔物2体の首が跳ね飛んだことの相関性を把握できずにいた。それ故に、少女の身に着けているローブとその柔らかな肌が鉤爪に晒されれば、肉がえぐれるどころでは済まない。そう考えたのである。


だが、次にジークの前で繰り広げられた光景は、彼が全く予想だにしないものだった。


少女は迫りくる凶刃を、突き出した片方の手のひらでもって完全に受け止めたのである。


「なっ……!?」


ジークは再び言葉を失った。それは、「少女が鉤爪による一撃を素手によって防いだこと」に対してではない!


確かに、ジークも一瞬そう思った。だが、少女は武器を持っていないわけではなかったのである。


――あれは……爪!?


クロウラーの鉤爪をガッチリと捉えたまま話さないその手のひらの先をよく見れば、クロウラーの物にも劣らぬほど太く鋭い漆黒の鉤爪が少女の指先からも伸びていた。挙句の果てには、それがクロウラーの鉤爪に食い込み始めている。それはまるで、どちらが真に敵を屠る優秀な「道具」であるのかを思い知らせているようにも見えた。


少女にとっては、自らの両の手そのものが十分魔物に対抗しうる強力な武器だったのである。


「クワアアッ!?」


自らの不利を悟ったのか、クロウラーは翼をバタバタと振り乱し、少女の近くから飛び立とうとした。


鳥の魔物にとって、上空とは自らの領分であるとともに安全地帯である。


翼をもたぬ生き物は、羽ばたき、空をかける自分たちを捉えうる手段に乏しいはずなのだから。


そう信じたのか、少女の手から逃れたクロウラーは、上空をめざして一目散に逃げだした。


だが数秒後、クロウラーはその命をもって自らの甘い判断を後悔することになる。


「逃がすかよ」


少女が空中に向かって、両方の手を順番に振るった。すると一瞬揺らめいたその空間から、勢いよく標的に向かい連なる風の刃が発射されたのである。


前を行く刃がまずはクロウラーの羽をもぎ、後の刃は無防備にさらされたその胴体に深い爪痕を残した。


「あ、あれは……」


それを見たジークがすぐさま記憶から呼び起こしたのは、かつて見習い時代に王都の魔法使いが見せてくれた風魔法だった。


『修練を積めば、才ある者ならいつか使えるようになる』


そう言って彼が披露した中級魔法の風の刃。少女が放ったものは、それに酷似して見えた。


――中級の風魔法を一瞬で……それも二連撃!? 


次から次に繰り出される少女の常識を超えた立ち振る舞いに、ジークはすっかり釘付けだった。


全く思いもかけない二つの刃に撃ち貫かれたクロウラーは、力なく崩れ落ち、地面へボトリと落ちる。


「クワ……グワァッ……」

「まず一匹」


瀕死状態の魔物に止めを刺すためか、少女がゆっくりクロウラーへと近づいていく。ジークはその後ろ姿をぼうっと眺めていたが、後ろから誰かに肩を叩かれ、慌てて振り返った。


「ジーク、大丈夫か! ミリアは……っ」

「おやじ……? 親父!? 足、何で……」


そこにあったのは、心配そうに息子と娘を見つめる、父親であるガルドの姿だった。ジークが驚いたのは、ここまで歩いてきたのであろうガルドのその足だ。確かにハーミットの一撃により負っていたはずの腿の傷穴が、破れたズボンの向こう側でほとんど塞がっているのが見えた


「治ってる……? どうやって」

「ああ、この子が……」


応急処置用の道具や薬草は持ってきていても、そんなすぐに傷がふさがるようなポーションは高くて用意することができなかったはずだ。当然抱いたジークの疑問に答えようとしたガルドの陰から、薄茶色い麻のローブをスッポリと被った、これまた小さな輪郭の少女がそそくさと歩み出てきた。


「手をかざしたと思ったら、あっという間に傷を塞げてくれたんだ。全く大した治癒師だぞこりゃ」

「きみが……」

「……」


目元までローブで覆い隠してしまっていて、どんな表情をしているのかジーク達に推し量ることはできない。だが、無口な少女であることは分かった。


すぐさまジークは、少女に頼みたいことがあることに思い至った。


「そうだ、ミリアを……!」

「……」


だが、ジークが口にするよりも早く少女はミリアの前に膝をつき、大きく空いたその傷口に手を当てていた。少女が小さく何かを呟いたかと思うと、眩い光がミリアの体を包み、その顔色がどんどんと血色を取り戻していく。


父と息子は歓喜に震えた。


「ああ……っ! ありがとう、本当にありがとうっ!!」

「凄え! なあ、お嬢ちゃんたちは一体何もんなんだ? 神の使いか?」

「……」


やはり妹の深い傷の治療には時間がかかるのか、親子の感謝の言葉にも全く反応することもなく少女は手をかざし続けていた。


そこへ、突然木の陰から音もなく飛び出した影が、複数の矢を一斉に放った。赤銅色の羽のついた矢による不意打ち攻撃は、潜伏する戦法を得意とするハーミットの常套手段だ。


姿が見えないと思ったら、ハーミットはジーク達のすぐそばで潜み、一網打尽にする機会をうかがっていたのだ。


黒いローブの少女が離れた隙を狙われた。


「や、やらせるかあッ!!」


一同の中では唯一動けるガルドが矢面に立った。だが、複数本の矢に対してガルドが持つ武器は、激しい戦いによりくたびれた斧が一本。防ぎきれる訳がない。さばききれなかった矢が何本も刺さってしまえば、当たり所によっては致命傷にすらなり得る。


それでもガルドは動かなかった。ここで逃げて、愛する子供たちを守ることができなかったら、それこそ死んだ方がマシだ、と。


「親父!」

「グッ……! ん、あれ?」


自らの命すら投げうって身を挺したガルドの元に、しかし矢は一本たりとも至ることはなかった。一瞬で駆け付けた少女が矢を全て、両手の爪を用いて切り伏せてしまったからだ。


「危ねー……」


いや、正確には全てではなかった。流石に少女の身のこなしでもってしてもさばき切れなかった一本の矢が、ローブの上から少女の肩口に刺さってしまっていたのだ。


「き、きみ大丈夫……!?」


ハーミットの矢に射抜かれた時の苦痛は、ジークもガルドも体験している。当然、重傷を負ったのではないかと心配し声をかけたジークは、次に目にした光景に仰天した。


「こ、こりゃあ……たまげた」


ガルドも同様に絶句していた。


矢は、少女の体に刺さっていたのではなかったのだ。ただ、ローブを貫いて引っかかっていただけ。


露わになった粗末な服装からはみ出している少女の肩肌は、全く一つの傷もついてはいなかった。

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