第15話:祈り
ジーク・サジエスは、自分の浅はかな決断を心の底から後悔していた。
彼が中央都市にて1年にわたる騎士見習いの修練を終えた後、自分の故郷である村に戻ると、母親が重い病におかされていることを知らされた。
地方の外れにある彼の村の医者では到底治せない病であった。彼の帰郷に家族は喜んでくれたが、それもつかの間、すぐに項垂れ悲哀にくれる家族に、彼は母親を中央都市の療養所に連れていくことを提案した。
『中央都市には、この村では想像もつかないような大きな療養施設があるんだ。そこに行けば、きっとおふくろも元気になるよ!』
ジークの話を聞き、家族も希望を取り戻していった。
問題は費用であった。彼には、1年間の騎士見習い期間の報酬による蓄えがあったが、それで足りるかというと心もとない。そのため彼は、ふつう中央に行く際に利用する乗合馬車ではなく、自分たちの家にある牛引き車とレンタルの馬を組み合わせて急ごしらえの馬車を作り、それで母親を連れていく方法を考えた。これなら費用は最低限で済むし、何より乗合馬車に付き物の乗り換え・回り道のような時間のロスも気にしなくていい。
初め、父親のガルドは反対した。
『もし途中で魔物と出くわしたらどうするんだ。乗合馬車には、常に2、3パーティの冒険者が護衛につく。街道は、森の中を走っていくんだろう?』
ジークは、自らの体験談も交えて父親を説得した。
『大丈夫だよ。俺が乗った行き帰りの馬車でも、片道2日間乗って一回も魔物が出ることはなかったんだ。仮に出たとしても、ゴブリンのような弱い魔物だけだって冒険者の人たちも言ってたよ』
実際、街道の縁には魔除けが施してあり、基本的に魔物はそこで引き返すようになっている。街道に飛び出してくるというのは、魔物側にも何かしらの事情が無い限りは滅多にないことだった。
ガルドは最後まで悩んでいたが、実際に外に出たことのあるジークの話と、そして切実な費用の側面から最終的には頷いた。
そして話は、一家が留守の間。末娘のミリアをどこに預けるかに移っていった。
だが、そこに当人のミリア自身が割って入ったのだ。
『私も行く。家族の一大事なのに、私だけ置いてけぼりなんて嫌だよ!』
当然、ガルドは反対した。
『馬鹿を言うな。こんな危険な旅に、お前を連れて行けるわけが無いだろう』
『何で? 私がいないで、誰が母さんの看病をするの? 誰が干し芋のスープを作れるの?』
今年で8つになるジークの妹は、しばらく会わないうちに驚くほど口が回るようになっていた。彼が騎士の修練に出発する日、縋り付いて延々とぐずっていたあの頃とは見違えるようである。
自分がいないこの1年間、彼女もたくさんの苦労と努力をしてきたのだなと、ジークは感慨深かった。
『と、父さんだってそれぐらいだな』
『嘘つき。一度そう言ってスープ焦がしてたじゃない。あれで鍋一個ダメになったんだから!』
『ハハハハハッ!』
慌てて言いよどむ父親に、腰に手を当てて詰め寄る妹。いつの間にやら立ち場は逆転していた。
ジークはもう耐えられなかった。ずっと沈んでいた家の中に、しばらく振りの笑い声がけたたましく鳴り響く。
『おい、ジーク笑うなっ!』
『はあ、はあ……いいじゃないか親父。きっとミリアはどれだけ言ったって聞かないよ。何たって俺の妹なんだからさ』
『お兄ちゃん!』
ジークもかつてはそうだった。こんな地方の村から中央騎士団に名乗りを上げようだなんて、村の誰からも……初めは家族からすらも反対された。
だけど、結局折れなかった。自分の取り柄は剣の腕だけだから。それを磨き上げて、いつかあらゆる人々を守ることのできる騎士に……そう夢見てしまったのだ。
最終的には応援してくれて、出立のための資金まで用意してくれた家族に彼は本当に感謝していた。だからこそ、今度は自分が家族を守る番だと、彼は確信していたのだ。
『もし魔物が出て来たって、俺が家族を守るよ。俺、同期で唯一魔法だって覚えたんだぜ。魔物の一匹や二匹へっちゃらだよ』
『……分かったよ。だが、俺だって男だ。もしもの時は、木こりで鍛えた斧を振るってやるさ。守られるばっかじゃないからな』
『私、私はっ……隠れてるね。戦いの邪魔はしないようにするから』
一家は笑った。自分たちの前に立ちはだかっている暗雲など、全員で協力すればあっさり振り払えると信じていた。
全て上手くいくと、この時は思っていたのだ。
目の前の視界が揺らぐ。ジークは経験したこともないような倦怠感と吐き気が襲い掛かる中、必死で剣を振るい、襲い来る2体の魔物の攻撃を捌いていた。
「ブオッ、ブオオッ」
「グギッ、グガガ」
「う、うぐっ……くそぉ」
戦いの中で魔法を使うのは初めてだった。それも、習得した中で最大威力の魔法だ。それが、ここまで体力を消耗することだったとは、彼は知らなかった。
だが、仕方なかった。もし魔法を打たなければ父親は死んでいただろう。そうすれば今度は妹が危ない。そうして最後に、ジークは戦う意味すら失ってしまう。
街道で、一度に魔物がこんなに大挙して押し寄せてくるなんて、聞いたこともないことだった。そんなイレギュラーが自分たちの身に降りかかるなんてと、運の悪さを呪ったのはとうに昔の話だ。
まだ母親を中央都市に運ぶ行きの時でなく、帰りの時で良かったなどということは、本当に不幸中の幸いすぎて慰めにもならないだろう。この場合の不幸というのが、あまりに大きすぎる。
追い込まれに追い込まれたジークは、やはりミリアだけでも村に置いていくべきだったと後悔していた。いや、何なら父親だって連れてくる必要はなかった。どうせ魔物に襲われて死ぬのならば自分だけでよかったのだ、と。
「うおおアアっ!! せめてお前らだけでもおッ!!」
「ブモッ?」
「グガッ!?」
家族を守れる強さを手に入れるため騎士見習いになったのに、自分の提案で危険にさらしただけでなく目の前で殺される。そんなこと、彼は絶対に避けたかった。
だから、家族を後ろに背負い彼は飛び出した。上段からの超大ぶりで、2体の魔物が固まった所を一気に袈裟斬りにしようという魂胆である。例え反撃をもらって自分が倒れたとしても、後の二人が鳥の魔物から逃げ延びてくれればいい。そう考え放った、捨て身の一撃だった。
だがその決死の攻撃も、急に足首に走った激痛により足がもつれ、不発に終わってしまう。
「ぐうううッッ!? は、羽の矢……!」
「クルル……」
両足に刺さっていたのは、赤銅色の羽が付いたこぶし大の矢だった。
『鳥型の魔物「ハーミット」は、特殊な羽の構造により音を出さず飛び、無音で飛来する矢を放つ。乱戦の際には注意すべし』
騎士見習いの際に受けた魔物対策の抗議で教わった内容が、走馬灯のように思い出された。
真面目に抗議を受けていたって、実戦で活かせなかったら何の意味もないじゃないか――!
ジークの目から、少年の時以来流さなかった涙がポロリとこぼれた。
「お兄ちゃああああんっ!!」
「ミリア、よせ!」
背後から妹の叫び声が聞こえた。まさかと思う間もなく、自分と魔物の間に立ちふさがった小さな影。
ジークが何よりも優先して守り抜きたい、最愛の妹が両手を広げてそこにいた。
「み、ミリア……!」
すぐに退けと叫びたい。今この瞬間に、押し飛ばしてでも自分の後ろに下がらせたい。
だが、体は鼓動だけ煩く響かせて全く動いてはくれなかった。
「お、おにっ……お、お、お兄ちゃんっ……! 私、わ、わたし……!!」
妹の体が震えている。普段あれだけ饒舌な妹が、ろれつが回らずに満足に言葉も言うことができずにいる。
この状況は、ダメだ、ダメすぎる。一刻も早く妹の前に立たなくては。
そう思い、ジークが力を振り絞って、妹の服を掴もうと手を伸ばした時だった。限りなく無音に近い何かの飛来音が彼には聞こえた。
聞こえてしまった。
次の瞬間、妹の腹部に深々と刺さる、赤銅色の羽の矢。
小さな体の震えが、止まった。
「まま……」
「ミリアアアアアアァァッッッ!!!」
ゆっくりと倒れていく妹の体を、ジークは何とか体を伸ばして受け止めることに成功した。だが、それだけだ。あとジークにできることは、虚ろな妹の顔を覗き込み、ただひたすら呼びかけることだけだった。
「ミリア、ミリア!!」
「お、おにいちゃん……ぱぱ……まま……わ、わたし、だって」
うわ言のように家族を呼ぶ妹。呼び方が、昔の言い方に戻っている。
妹が精一杯背伸びして、家族の一員として役に立とうと頑張っていたことを、ジークは良く分かっていた。だからこそ、妹を置いていくことなく、一緒に急ごしらえの馬車に乗り込んだのだ。
その判断が間違いだった。
妹のことが大事だったら、村の中に閉じ込めてとにかく危険から遠ざけるべきだったのだ。
……本当に?
家族の役に立とうと、少しでも早く大人になろうと健気に気を張っている妹にそう冷たく接することが、本当に正しいことだったのだろうか?
分からない、こんな状況にまでなってなお、分からない。
ただ一つ分かっていることは、俺たちはここで死ぬということだけだ。
神よ。
人間に加護を与え、魔物に対抗する術を与えたという、全能たる神よ。
ジークは祈った。信心が浅く、結局加護を得ることができなかった彼が、初めて心の底から神に願ったのだ。
どうか、妹だけでも救ってください。この愚かな兄に免じて、どうか慈悲を……神! 何だっていい!
妹が助かるのだったら、どんな神だって。例え、世界に呪いを振りまいたという魔神だったって……!
「ブモッ」
「グゲッ」
目の前の魔物2体が鳴き声を上げた。だが、どうも様子がおかしい。そう言えば、いつまでたっても追撃が来ない。
「えっ……?」
ジークは顔を上げた。そこにあった光景は、首が胴体から離れ、ゆっくりと崩れていく魔物2体の死にゆく姿。
そして、ジークの前に立つ黒いローブ姿の人影だった。
「ま、魔神……!?」
直前まで頭で反芻していた祈りの影響か、ジークにはその後姿が酷く禍々しく映った。彼の呟きに反応したのか、人影はちらりと半身だけこちらを向き、様子を窺うように視線を覗かせた。
「……」
「女の子……」
深く被ったフードから現れたのが、油断なく研ぎ澄まされ、装飾されたナイフのような煌びやかさを湛えた少女の瞳であったことに、ジークは驚き言葉を失ったのであった。
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