第12話:一日の終わりに
馬車の中では、パンや干物、果物など、結構な量の食料といくつかの地図が見つかった。あと、結構な量の通貨も。
リンにこれはどれほどのお金なのか聞いてみたが、彼女はつまらなそうな顔で首をかしげるだけだった。
「うちの故郷では、お金が必要な事なんて何もなかったもの。こんなの使うのは人間と、人間と仲良くしたい獣人だけよ」
自分が買われる立場になったという経験も相まってか、まるで汚物でも見るかのような目線を通貨の詰まった袋に向ける彼女。その様子を受けて、あれば何かと便利かとも思ったが、持っていくのはやめることにした。まあ、人間にしか通用しないものを持っていても、使う機会はほとんどないだろうからな。重そうだし。
そうして今俺たちは二人、馬車から手に入れた食料を口にしていた。流石にあんな死体まみれの所で食いたいとは思わないので、一旦馬車からは離れている。
木陰の下で、二人してバクバクと胃袋に食料をかき込んでいく。やはりというべきか、俺たちはめちゃくちゃお腹が空いていたみたいだ。
「おいひい、おいひい!!」
「おいしい……のか?」
リンが頬をいっぱいにふくらましながら感嘆を上げるが、俺はいまいち共感できずにいた。もちろん、腹が減っているから胃袋には入っていくが、パンは固いし、果物はしなびている。これを「おいしい」と言っていいのかはかなり怪しい。
微妙なリアクションを取る俺を、リンは信じられないといった様子で糾弾した。
「檻に閉じ込められてた時のご飯と比べたら、めちゃくちゃおいしいでしょ!? あれもう、ほとんど残飯だったじゃない!」
「食った覚えがない。俺には、リンが買われた辺りぐらいからの記憶しかないんだ」
「あっ……」
リンが口を手で覆った。それはまるで、自分が口にしてしまった言葉を今更ながら無かったことにしようという悪あがきのようだ。
だが、一度宙に放った言葉を取り消すことなどできない。沈黙の中、俺たちが食事を続ける音だけが無遠慮に響く。
気まずい空気の中、口の中のものを空にしたリンがぽつりと呟いた。
「私……記憶が無くなる前のあなた、見たことあるかも」
「本当か?」
俺の問いかけに、彼女はこくりと頷く。
「馬車にあったあなたの檻、私のと違って凄く大きくて、太くて、頑丈そうだった。あれに入れられた子が部屋に運ばれてくるのを見たことがあるの。……確か一週間ぐらい前」
「中の俺は、どんなだった?」
「えっと……」
ちらりと、俺の様子を窺うように視線を送ってくる彼女は、言うべきか言わざるべきか迷っているようだった。俺も視線で、続きを促す。ここまで聞いておいて、今更止めるなんて選択はありえない。
リンはパンを一噛みし、もぐもぐとゆっくり咀嚼して飲み込み、語った。
「本当に、ちらっとしか見えなかったのよ? だから、印象だけ覚えているんだけど……何も無いように見えた」
「何も無い?」
「目が……」
リンが何の事を言っているのかわからず、聞き返す。彼女も、自分の表現が言葉足らずだったのは自覚しているのか、続けざまに当時の心境を語っていった。
「目が、そこにあるのに何も無いみたいだったの。何も映してない、生きていないみたい……死んでいるのとも違って、うまく言えないんだけど」
「……いい。素直に全部言ってほしい」
「うん……ごめんなさい」
彼女が言葉を選んでいるのが分かる。記憶が無くなる前とは言え、これは俺のことだ。本人を前に悪く言ってしまうのは、彼女にとって強く抵抗を感じることなのだろう。
だが、俺は知りたいのだ。自分が一体何なのか。そしてどういう存在であったのかを。
「とにかく怖くて、おぞましくて、気持ち悪かったわ。私もあの時かなり絶望してたんだけど、そんな私でも『こうはなりたくない』って思った」
「……そうか」
「ごめんなさいっ。でも私はあなたに……!」
「いい、分かってる」
首を振って、必死に俺にすがろうとするリンを、肩に手を置いて落ち着かせた。当然、こんなことで彼女のことを嫌いになどなるはずがない。
俺が特に気にしていないのが伝わったのか、リンはホッとしたような表情を浮かべた。
俺のためにその心中を吐露してくれた彼女へと、改めて礼を言おう。
「ありがとう、話してくれて」
「ううん……。でも、こうして元気な『あなた』になって、ある意味ではよかったのかも……あっ」
「おいおい」
言った途端に、リンはまたハッと気づいたように自分の口を手で覆った。全く、失言が多すぎるぞこの子は。
まあ、悪気は感じないので、ちょっとジト目を向けるくらいで勘弁しておく。
しかし……「彼女」に、いや、「俺」には一体何があったのだろうか。そんな状態になるまでに心を擦り減らすできごとが何だったのか、想像するだに恐ろしい。
リンの話を聞いて、何となく俺が記憶を失った理由が見えてきたような、そんな気がした。
食事を終えると、辺りがだんだん暗くなってきた。
馬車から拝借してきた火をつける道具を駆使して、俺たちは火を囲んでいた。過去に使ったことがあるようで、リンの手際は見事なものだった。
火の明かりを頼りに、馬車から拝借した地図を二人で眺める。リンが、地図に記載されている中でも最も東の端にあたる街を指さした。
「ここ! この『エストナ』って町が、私の村から一番近い人間の町だったはずよ。聞いたことある」
「よし。じゃあまずはここを目指すか」
「やったあ!」
リンが腕を振り上げて、全身で喜びを表現する。それだけでは飽き足らず、その場でステップまで取りはじめた。
「帰れるっ、帰れるっ。みんなに……家族に会える! あ……ごめんなさい、私だけ」
「いいさ、これは俺のためでもある」
そう、俺は別に慈善活動で彼女を送り届けるわけではない。彼女の故郷に向かうことは、俺にだって利のあることだ。
まず、獣人のことは獣人に聞くのが早いはずだ。そして彼女が言うには、獣人は基本的に今いる大陸の東側か、海を跨いだ別の大陸に多くが住んでいるらしい。中央以西は人間が支配する地であり、獣人がいたとしても奴隷か、それに近い扱いを受けているだろうということだ。
ならば、特に目的地の当てもない俺は、彼女の故郷にまず向かうのが今とれる最善の選択ということになる。
だが、一つ心残りがあると言えばあった。
俺は改めて手元の、今いる大陸の主要な町が記されている地図に目を通した。
「『ヴォルス』は……無いか」
ぽつりと呟く。あの女が言い残した言葉。
あの時、確かに俺のことを「ヴォルス」と呼んだ。そういう名前の町か、もしくは関係ありそうな町が無いか地図の隅々まで地名を追ったが、それらしきものは見つからなかった。
「ねえ、さっきも言ってたよね。ヴォルスって何なの?」
「ん……」
しまった、覚えてたか。
いつの間にかすぐそばで、リンが不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。記憶を失っているはずの俺が、自分の知らない言葉を探していることを不審に思っているのだろう。
俺は、少し間を開けて答えた。
「何となくこれだけ覚えてたというか、心の中に浮かんできた言葉だよ。何か俺の記憶と関係あるんじゃないかと思って」
「ふーん……」
さらりと、いい加減なこと言ってごまかした俺の言葉を、彼女は特に表情の変化もなく受け止めていた。
俺が人生で初めてついた嘘(覚えている限り)で、彼女は騙されてくれただろうか。若干の緊張が走る。
「だったらさ、やっぱり名前とか、部族の名前とかじゃない? 部族名だったら、きっとオルノーの誰かに聞いたら詳しい人が知ってるよ!」
「うん。かもしれないな」
どうやら上手くいったようだ。俺の嘘を真に受けて、元気づけるような言葉をかけてくれるリンの姿に、安心するとともに少し申し訳なくなった。
結局俺は、彼女にあの女のことは話さないことにした。話したところであの女のことを彼女が何か知っているとも思えないし、話したことで彼女があの女に目をつけられて、巻き込まれても嫌だと思ったからだ。
一緒にいることを自分から選択しておいて今更……と自分でも思うが、これはできる限り彼女を危険から遠ざけたいという、俺の最後の意地だった。
大きく伸びをする。もう辺りはすっかり真っ暗だ。それに、今日は一日色々なことがあり過ぎて疲れた。
どうやら魔物を倒して体が回復していても、眠気は普通にくるようだ。
「じゃあもう今日は寝て、明日朝に出発しよう。まずは俺が見張りをするよ。しばらくしたら起こすから先に寝ててくれ」
「分かったわ。じゃあ、よろしくね」
リンは、火の近くに馬車から調達した敷物を敷くと寝そべり、その上からこれまた馬車にあったローブを羽織った。
馬車さまさまである。
あの馬車には散々な思い出しかないが、物資が豊富に調達できたという点に関しては旅の最高のスタートになったとも言えた。
「おやすみ。リン」
「おやすみ…………ねえ、ちょっと思うんだけど」
そのまま寝入るかと思ったのに、リンは不服そうな表情を浮かべて上体を起こしてしまった。
何だろう、何か気に障るようなことをしてしまったかな。先に見張りをしたかったとか?
だが、彼女が抱いていた不満は全く俺の予想外なものだった。
「私ばっかり名前で呼ばれて、不公平だわ。あなたにも呼び方を決めましょうよ」
「えぇ……俺は構わないんだが」
「私が構うの! ……名前が無いと、これから先困るわよ。誰かほかの人に会った時、いちいち事情を説明するの?」
なぜか声を荒げ、自らの正当性を主張し始めるリン。
だが、それも最もかもしれない。二人で会話をしている分には問題ないが、これから先他にも道連れができないとも限らないからな。
呼び方か。とりあえず決めてみるのもいい。だが、俺には全く候補が思いつかなかった。
「いいけどさ、そんなすぐには思いつかないぞ」
「ヴォルスは?」
リンが間髪入れずに提案してくる。しかし、俺はそれに対し首を横に振った。
「それは、嫌だ」
「何でよ」
「何となく……」
確かに、それが今のところ、一番俺という個体を特徴づけるのに適している言葉なのかもしれない。だけど、本当に何となく嫌だった。
あの女がもたらした言葉ということもあって、何だか不吉な感じがするのだ。
明日以降に持ち越しか。そう考え話を打ち切ろうとした時に、リンがおずおずと切り出した。
「じ、じゃあさ……『ルー』って呼んでいい?」
「ルー?」
何じゃそら、「ヴォルス」の「ル」か? だいぶ無理があるな。
だが、別に俺に断る理由もない。リンがそれでいいのならば、俺にとっても十分その呼び方は納得できるものだった。
「ああ、別にいいぞ」
「え、いいの、やった! じゃあ……決まりね」
なぜだか嬉しそうに、彼女は再び寝床に潜っていった。最後にこちらを向いて、後は瞼を閉じるだけとなった彼女の瞳と目が合う。
「おやすみ。ルー」
「ああ、おやすみ。リン」
そうして「今日」という――俺たちが出会った最初の日であり――俺の新しい名前が決まった日でもある――とても長かった一日の夜が更けていくのであった。
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