第163話 魔術師リアムの中級編初日のブラック祐介

 祐介が木佐ちゃんに手招きし、入り口の磨りガラスの向こうへと消えていった。


「木佐さん」


 祐介が、その圧の強い笑顔で木佐ちゃんを壁に張り付かせる。


「か、壁ドン……」


 木佐ちゃんが頬を赤らめながら、もごもごと口の中で呟いた。


「実はこの間の金曜日、サツキちゃんずーっと残業してまして。あ、ご存知ないですよね? 木佐さん先に定時で帰られましたもんね?」

「あ、あの日は用事があって、いいじゃないのっ」

「まあご自分の仕事が終わられてたらいいと思いますけど、あれ? これ木佐さんの担当のだよね? ていうのもサツキちゃんが必死で片付けてたから、僕てっきり。勘違いだったのかな? あはは」

「な、何が言いたいのよ、て山岸くんいつもとなんか違うんだけどっ」


 木佐ちゃんが逃げようとするが、祐介は手で退路を塞いだ。木佐ちゃんの顔が引き攣る。


「僕心配でサツキちゃんが終わるの待ってたんですけど、連日の激務でふらふらだったみたいで、電車に撥ねられそうになってしまって」

「……え?」


 木佐ちゃんの顔色が蒼白になった。祐介はにっこりと笑いながら続ける。


「間一髪、僕が助けられたんで大事には至らなかったんですけど、その際に少し強く頭を打ちまして」

「え? 大丈夫なのそれ……」


 祐介が一気に息継ぎをすることなく言った。


「記憶が飛んでしまってまるで違う人の様になってしまいました」


 木佐ちゃんが目を見張る。


「え、それ会社来てる場合じゃなくない?」

「でも僕への愛情は変わらず深いので、本人の希望もあってこのまま頑張ることにしました」

「それ拙くない? 病院とか」

「僕への愛情は、全く! 変わりませんから」


 祐介は、笑顔のまま押し切った。


「と、いうことで木佐さん」

「は……はい」

「また一からサツキちゃんにお仕事を教えて欲しいんですけど、本人やる気があるので、是非! 今度は! 間違って! 電車に接触しちゃおっかなーなんて思わせない様な!」


 祐介が笑顔のまま木佐ちゃんに更に顔を近づけた。


「……心優しいご指導を宜しくお願いしますね」


 木佐ちゃんは、恐怖を浮かべた顔で何度もこくこくと頷いてみせた。


「あは、木佐さんの協力がないと困っちゃうから、よかったー」


 ようやく祐介が木佐ちゃんを解放すると、執務エリアへと颯爽と戻っていく。


「サツキちゃん! 木佐さん、ちゃんと教えてくれるって言うから、安心して何でも聞いていいよ」


 マウスと格闘していたリアムは、祐介のその声に顔を上げるとホッとして笑顔になった。


 祐介の後ろに立つ木佐ちゃんの顔色があまり良くない様だが、大丈夫だろうか。


「あの、宜しく頼む……です!」

「あ、は、はい……」


 祐介がにこにことリアムの手を取る。祐介よ、職場は駄目なんじゃなかったのか。


「他も案内するから、行こう?」

「そうだな、頼む」


 祐介とリアムが通路の奥へと消えて行くのを目で追いながら、木佐ちゃんが唖然としつつ呟いた。


「山岸祐介、実は相当ブラック説……」


 その呟きを聞く者は、いなかった。

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