浦島桃太郎
C
本編
むかしむかし……かもしれない、あるところのお話です。
とある島のとある浜辺に、それはそれは大きな荷物に押しつぶされたかのようにぶっ倒れている人間がおりました。
「おら、何寝てんだおら。ここ誰のシマか知ってんのかおら」
亀のように倒れ伏す人間に向かって、大人気なく蹴りを入れる大人もいました。
無精髭を生やし、黒髪を無造作に後ろで結んだいい歳の大人です。随分とくたびれた服を着ています。齢二十は超えているでしょうか。
わざわざその人にちょっかいを出すためだけに、手に持っていた釣具を無造作に砂浜に置いているようです。
その大人の隣には、これまた釣具を抱えた小綺麗な顔の少年がいました。年齢は十五くらいで、結ぶにはやや短い茶髪を後頭部にきつく結び上げた少年です。毛量が少ないので花が咲いているようにも見えます。
「オヤジ、流石に寝てる相手はどうかと思う」
「んだと? おめーいつからいい子になりやがった、太郎め」
オヤジ、と呼ばれた男は荷物をげしげしと踏む足を止めて、太郎を睨みます。
どうやら二人は親子のようです。
しかし、顔の作りは残念ながら月とすっぽんです。
「立ってる奴を殴り倒すのが俺の流儀、っていつも言ってるじゃん」
おっと失礼。
頭の中身はそっくりそのまま同じようでした。
「……流石俺の息子だぜ。ま、海で拾っただけなんだけど」
オヤジは太郎の言葉にいたく感心したようです。これは蛮族だけに通ずるコミュケーションなので、理解出来なくとも問題はないでしょう。
さらりと血縁関係ではないと零したオヤジでしたが、太郎との仲は良好のようでした。
オヤジが顎で指示すれば、太郎は下敷きになった人間の左端に移動します。オヤジは右端にいます。どうして左右が分かるのかと言うと、その人間は万歳をして倒れていたからです。
「よし、せーので持ち上げるぞ」
「せーの」
「お前が言うんじゃねえよ!」
さらりと掛け声を出した太郎にツッコミを入れながら、オヤジと太郎はその人間の二の腕あたりを掴んで上へ引き上げます。
「いたいいたいいたい! 肩外れる! 外れるって!」
両腕を持ち上げられたその人間は、途端に元気よく喋りだしました。
まるでタイミングを狙っていたかのような周到さです。
砂にまみれてはいますが、その顔つきと声から、太郎と同じくらいの年齢の少女であることがわかります。
「なんだ、生きてたのか」
「つまらん」
「きゅーにはなすなぁ!」
仲良く腕を離した親子のせいで、再び砂浜に顔面からダイブする少女。
荷物が荷物なだけに起き上がるのは大変そうです。
何度か起き上がろうと少女が試みるも、荷物はうんともすんとも動きません。彼女はとうとう亀の甲羅のような荷物を背負うことを諦め、ほふく前進で荷物の下から這い出てきました。
なぜ最初からそうしなかったのでしょう。
オヤジと太郎は心底不思議に思いました。
「けほっけほっ……。まったく、行き倒れを蹴るどころか脱臼を試みる親子がいるなんて」
「オヤジ、こいつが立ったら勝負な」
「いいぜ、息子だろうが手加減はしねえ!」
「人の話を聞けい!」
砂浜に膝をついて息を切らす少女をガン無視して、軽くジャブを繰り出す太郎。
この島では出会った人をカツアゲする慣習があるのかもしれません。もしくはオヤジと太郎だけかやたら素行不良なのかもしれません。真偽は不明です。
黒い外套を纏った少女は、立ち上がる時にずり落ちたフードを、いそいそと被り直しました。さりげなく怪しさが倍増します。
一向に立ち上がる気配のない少女を見たオヤジは、呆れたように腕を組みました。
「正座したまま何なんだよ。あ、もしかして助けてくれたお礼をするとか?」
「仕方ない。オヤジの顔に免じて、大判百箱で許してあげよう」
「勝手に人の肩外そうとしたくせにがめつ過ぎない!? 曲がりなりにも行き倒れてたのに!」
勝手に倒れていた少女は、自らに全く非がないかのように叫びます。実際、非はないのですが、蛮族親子の何らかの琴線に触れたのは間違いありません。大きな荷物を抱えたという点で、彼女の懐は豊かだと判断したのでしょう。
それから、少女はハッとした様子で咳払いをします。
思わず突っ込んでしまったかのように、場の空気を咳払い一つで取り繕おうとする気概はとても逞しいです。
「えー、私がここに来たのは太郎、あなたに会うためです」
「……ナンパとは大胆な」
突然の告白にもうろたえない太郎。
あるいは表情筋が死んでいるのかもしれません。
「どっちかというと逆ナンだよ! ……ってそうじゃなくて! あなたは桃太郎なんです! ちゃんと自らの使命である『鬼退治』をしてください!」
元気にノリツッコミをした少女は、太郎のことを桃太郎、と呼びました。太郎という名前は先ほどから何度かオヤジが呼んでいたので、彼女がその名を呼ぶことに疑問は湧きません。
しかし太郎は太郎でも、太郎は桃太郎ではありませんでした。
「いいや、人違いだよ。おれ、浦島太郎だし」
「……あ、でも太郎なんですね?」
「こいつ……浦島二郎でも太郎呼ばわりする気だったのか?」
少女はあまり人の話を聞いていなかったようです。
しかし、なにはともあれ太郎であることに安心した様子。行き当たりばったりなところを見れば、荷物に押しつぶされていたのも頷けます。納得のおばかさんです。
「浦島というのは苗字ですか?」
「そう。俺と太郎の苗字だ」
どうやらオヤジの名前は浦島というようです。
ですが、太郎も浦島なので地の文はオヤジで突き通します。
見事なご都合主義ですね。
フードを被った少女は、視線を太郎からオヤジへ移しました。目元が隠れていますが、さぞかし訝しげな目線を送っていることでしょう。
「失礼ですが、彼はあなたの本当の息子ではありませんよね? どのように出会ったのか聞いてもよろしいですか?」
「えっち」
「今の発言のどこに卑猥な要素がありましたか!?」
無精髭を生やした、大の大人の冗談にまともにツッコミをしてくれる少女は、もしかしたら優しいのかもしれません。
でも、どちらかというと優しさより間抜けさが際立つので、やっぱりおばかさんです。本人は真面目ぶっている雰囲気を醸し出していますが、砂浜に突っ伏してた時点で真面目でもなんでもありません。
ちなみに、本当の息子ではないくだりに関しては、日常的に問いかけられます。ですのでオヤジは、どうして分かった! などという典型的な問いかけはしませんでした。
問いかけられる理由はもちろん顔の作りです。太郎はどちらかというと美少年の類だったので、比較されるオヤジは毎回解せぬ、といった顔をします。オヤジの場合、無精髭に伸ばしきった髪といった、不衛生な容姿が原因だったのですが、当の本人に自覚はありませんでした。
外野の太郎氏は、そんなオヤジと少女の茶番にニコリともせず、淡々と話し始めました。
「海に流れ着いた桃を独り身のオヤジが拾って、ひとり寂しく桃を食べようとしたところ、赤ん坊のおれが生まれたそうな」
「太郎くんや、あんまひとりを強調しないで貰えるかい?」
どうやらオヤジに伴侶はいないようです。
しかし、桃から生まれたことを堂々と公言する太郎はそれを冗談だと思っているのか、依然として表情に変化はありません。
が、少女は太郎の言葉を聞くなり、両手の拳を握りしめました。ぞい、という言葉が聞こえてきそうです。
「ですよね、ですよね! 桃から生まれた子供は桃太郎と呼ばれるんです! その証として、その身体からは桃の香りがするとか!」
「たしかに太郎は天然の桃スメルを発しているが……こいつぁ匂いフェチでしたか」
オヤジの軽口に反応することなく、飛び跳ねるかのように立ち上がった少女は、外套から自らの右腕を出し、太郎の顔面にそれを押し付けます。首に目がけていればラリアットでした。
「そして私も桃から生まれたので、桃の香りがするのです!」
「何これ。おれ、匂いかがされてんの?」
「ピーチでしょう!」
なぜか得意げに己の体臭を太郎にかがせる少女。
太郎からも桃の香りが日常的に漂っているのに、あえて太郎に匂いを嗅がせようとする短慮さには感服します。
少女と息子の謎プレイを見たオヤジは、そこでようやく眉間に皺を寄せました。
「……桃から生まれた子供は桃太郎? 桃太郎には『鬼退治』をする使命がある?」
「ふっふっふ……ようやく気づいたようですね、私の正体に!」
「少なくとも逆ナン匂いフェチの変態、ということは分かったよ」
「変なことだけ記憶しないで貰えます!?」
きゃんきゃん喚く少女はさながら子犬のようでした。
あるいは蛮族親子に猿まわしされている小猿か、はたまた自己主張の強いキジでしょうか。メスのキジは地味ではありますが。
少女はようやく太郎から右腕を離して、どやあといった口元を見せながら仁王立ちになります。
しかし身長は親子のどちらよりも低いので、スケールはいささか小さめでした。
「私も『鬼退治』を任された桃太郎のうちの一人! そして生き別れの兄を探しにこの島へたどり着いたのです!」
「そうか、お兄さん見つかるといいな」
「いやアンタだよ!!」
桃から生まれた浦島太郎、自らの身の上はとんと記憶が無いもので、少女の言葉を聞いてさてはてと腕を組みます。
対する少女は、釈然としない様子でため息をつきました。先ほどから突っ込みし通しで疲れているのもあるかもしれません。
そのまま少女はゆるりと踵を返して、大きな亀の甲羅のような荷物をごそごそと荷解き始めました。
二人は今度は一体どんなトンチンカンなことをするのだろうと、興味本意でその荷解きを見守ります。手伝う気は皆無のようです。義理がありませんからね。
そして、少女は大きな風呂敷から出てきた、いかつい物体をばっさあと広げました。それはどうやら船のように見えます。全体的に桃色なのは桃太郎リスペクトでしょうか。
下半分は空気が抜かれてしおしおになっていますが、どうやらホバークラフトのようです。時代もなにもあったもんじゃありません。しかしここはおそらく地球ではないので問題ありません。
「桃太郎は桃から生まれます。もともとは、どんぶらこと川を流れる桃の中にいるのですが、おばあさんはそれを拾って清く正しく育ててくれるのです」
どうやら少女の語る桃太郎、というのは一種の称号のようなものらしいです。
しかしながら、彼女を桃太郎と呼んでも、太郎も桃太郎なので地の文は少女で突き通します。
どこかでも見たご都合主義ですね。
川で桃が拾われるという説明を聞いて、オヤジは眉をひそめます。
「俺ぁ浜辺で桃を拾ったし、どっちかというとじいさんなんだが」
「私たちの場合、桃が二つあったようで、片方を取り逃してしまったようなんです。そして桃はどんぶらこと海まで渡ったとか」
「おれの桃、どんだけ強靭だったんだよ……」
赤ん坊を乗せたまま、鳥にも魚にも食われることなく、果ては岩礁や船に追突することもなく、太郎の桃はこの島に辿り着いたようです。
荒唐無稽な話に聞こえますが、まず桃に赤ん坊が入っている時点で常識から逸している世界です。この世界の桃は、きっとモビルスーツのごとき鋼の果肉を持っているのでしょう。
「そして私たちの使命は一つ。『鬼退治』をして、宝物を村に持ち帰ること。そうしなければ故郷に帰ることが出来ないのです」
「つまり君はホームシックなんだね」
「違います! 今代は二人で一人なので、もう一人探さないとノーカンなんです!」
否定になっていない否定をしながら、着々とホバークラフトを組み立てる少女。
どこがどうなっているのか蛮族親子たちにはさっぱりわかりませんが、折りたたみ式になっていたことだけは分かります。
メカメカしたそれを見て、オヤジは、さぞかし重かっただろうなと他人事な感想を思い浮かべました。一番最初にそれに蹴りを入れていたことはすでに忘れているようです。
二人が呆然と眺めているうちに、ホバークラフトはそれらしき形に組み立てあがりました。そして、おもむろにとあるスイッチを入れます。
ガガガガ、と鈍くエンジンのかかる音を聞いた少女は満足そうに顔を上げました。
それから太郎の元へ近づき、その左腕をがっしりと掴みました。
「さあ、行きますよ『鬼退治』! 私、着の身着のままの旅はもうゴメンなんです!」
「おっとそれは困るな、お嬢ちゃん」
少女のワガママを聞いたオヤジは、太郎のもう片方の腕をがっしりと掴みます。なんと花のない取り合いです。
太郎は特に表情を変えないまま、少女とオヤジを目だけで交互に見比べました。
「こいつがいなくなったら、誰が魚を釣って売りに行くんだ!」
「自分で釣ればいいでしょ!?」
「連日ボウズのっ! 漁師がっ! 生計立てれると思うなよ!」
「そんなことは知りません! 私のためにもっ! 兄はっ! お持ち帰りさせていただきますっ!」
右に左に腕を引っ張られ、なおも無表情の太郎。あるいは考えたら負けと思っているのかもしれません。
普通の筋力差であれば、大人のオヤジの一人勝ちなのですが、ここは太郎の肩も考慮したのか、太郎の引っ張り合いは少女とどっこいどっこいの勝負になっています。
はたまた遊んでいる可能性がありますが、オヤジが少女に語る言の葉は真剣そのものです。大の大人が情けないです。
「……『鬼退治』して、宝物を手に入れられれば、豪遊生活が出来るのでは」
「はっ!!」
「スキありぃ!」
金に目が眩んだオヤジは、太郎の呟きに反応して硬直します。
それを好機と捉えた少女は、大きく振りかぶって、一本釣りのように太郎をホバークラフトに乗せました。
正確には投げ技のように船へ叩きつけたのですが、ホバークラフトなので多分そんなに痛くないのだと思います。ご覧の通り、切り傷は全くありません。打ち身はありますが。
ちなみに、太郎の右腕を掴んだオヤジもダイナミック乗船をしました。すごく痛そうです。
「なんか変なのいるけど、まあいいや。そいじゃ桃号。鬼がいるという鬼ヶ島まで、連れてってちょーだい!」
「よくもまあ、ピアノ業者のような言葉を……」
痛みに悶えるオヤジの上に遠慮なく座った少女は、ホバークラフトに取り付けられたある装置のボタンを押しました。ポチッとな。
途端、規則正しく震えていたエンジンがゴウゴウと大きな音を立てて揺れ始めました。
このままだと危ないと判断した少女と太郎はその辺の縁を掴みます。オヤジは少女の下敷きになっているので何も掴めませんでした。
そして、ぶるん、ぶるん、と何回か揺れた後。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「うわあああああああああああああああ!!」
「うるせええええええええええええええええ」
三人を乗せた桃色のホバークラフトは、海ではなく陸地を猛スピードで走行して行きました。
どこからそんな出力が出るのかというくらい助走をつけたホバークラフトは、ついに岩の上に乗り上げ、そのまま空中をぶっ飛んでいきました。
慣性の法則に加えて、風を押しのけて進む姿はさながら弾丸のようです。
断末魔のような三人の声は島中に響き渡りました。
後日、とある島民に尋ねたところ、その日の島では宇宙人が月夜を飛んでいるかのような綺麗なシルエットが観測されたとのことでした。
◆
数刻後、ホバークラフトは無惨にも岩と岩の隙間に挟まっていました。
浜辺からサメ映画もびっくりな超飛行を余儀なくされた一行は、火山地帯にある岩石にぶつかり、紆余曲折あって、ようやく地面へ降り立つことが出来たようです。
最終的にホバークラフトは縦向きになってどこぞの岩の隙間にハマってしまいました。力のある男性などにひっぱってもらわない限り、再び乗船することは難しそうです。
「んん……ナビによると、宝物はこのへんぽい……のかな?」
「そのホバークラフト、ナビついてんのかよ」
紆余曲折あって、非常に疲れた顔をしているオヤジは、岩の隙間に頭を突っ込んでいる少女を呆れた目で見つめました。少女はホバークラフトに備え付けられたとある装置を、どうにかして見ようと頑張っているようです。
紆余曲折あって、肉体労働に励んだ太郎は涼しい顔をしています。これが若さなのかもしれません。
「そうですよ? だからナビの自動走行をオンにして鬼ヶ島にある宝物の場所まで行こうとしたんです」
まるで岩に話しかけるかのように、岩石間に頭を入れながら、自らが弄っている装置の種明かしをする少女。
超ハイテクなナビ付きホバークラフトが、果たして折りたたみで運べる代物なのかという突っ込みはさておき、ナビは宝物を目指していたようです。
目指していたとはいえ、空をぶっ飛ぶのは如何かものかと思います。
そんな少女の解説を聞いて、再びオヤジは眉間に皺を寄せました。
「ん? 桃太郎は『鬼退治』するのが使命なんだろ?」
「鬼は宝物のあるところにいるのが相場と決まっておりますので」
装置が出力した情報を、少女は手際よくメモに書き写していきます。ナビを弄りつつ、メモをとりながら会話をしてくれる、とってもマルチタスカーな少女を見つめ、器用だなーとオヤジは感心しました。
少女曰く、宝物の場所が分かれば自動的に鬼の居場所も分かるとのことです。
しかしその背後で二人のやり取りを聞いていた太郎は、あることに気づきました。
「……ここって鬼ヶ島なんですか?」
「みたいですねー。私も今知りましたが」
軽い調子で返す少女の言葉に、太郎はさして驚きもせずに頷きました。
なぜなら、よそ者を見かけたらカツアゲしろなんて、およそまともな人間のいる島で教えられるはずがないからです。すっかり蛮族に染まった太郎ですが、それが世間一般で行われないことは朧気に察していました。
かくいうオヤジも、なるほどなーと興味が無さそうに相槌を打ちます。
それから視線を左に移して、荒々しい岩石群とは異なり、しっかりと形を整えられた岩壁を何の気なしに見つめました。
現在三人がいるのは火山に近い山岳地帯です。
とはいえその火山は今や休火山と言っても差し支えないくらい、活動をしていません。山の近くは錆色の岩岩がごろごろと転がっていますが、ところどころに生命力の強い雑草がにょきにょきと生えています。擬音カーニバルです。
そんな荒削りな壁面の岩に塗れた空間で、のっぺりと平らで巨大な岩壁があれば違和感満載です。
岩壁と称しましたが、どうやらそれは塀のようで、ぐるりと何かを囲んでいるようでした。岩壁の高さが高すぎるので、何を囲んでいるかは良く見えません。屋根らしきものだけはちょこんと出っ張っているのが見えます。
「人気のないここで、宝物を保有してる可能性があるとすれば、まさしくコレだよなあ」
「よっオヤジ、盗賊デビュー」
「賊はどっちかというとお前じゃね?」
鬼とはいえ、人様の持ち物を奪うのですから、宝物を保有しているであろう鬼を退治するという行為は、どう考えても悪人の所業でしょう。
もともと蛮族教育を受けていた太郎のことですから、宝物を得ることに関してはさほど罪悪感を感じてはいないようです。
と、親子で仲良く岩壁を見つめていたところに黒い外套をなびかせた少女が、いそいそと前にやってきました。
低い背丈を気にすることなく、仁王立ちをして男二人を見上げます。ちょっと悲しい絵面ですね。
「宝物は! この先にあります! ナビで確認したから間違いありません!」
「ナビ見なくても多分分かったけどな」
「なので、とっとと鬼倒して宝物持って帰って、村に帰りましょう、兄さん!」
力強く太郎の左腕を掴む少女の目は、やる気に満ち溢れていました。おそらくは一刻も早く故郷に帰りたいのでしょう。どことなく欲望がダダ漏れています。
太郎的は、自分に血の繋がった身内がいることを未だに実感出来ていないので、少女の言葉に小首を傾げます。
なすがままに引きずられそうになった太郎の右腕を掴んだのはオヤジです。それを見た少女はあからさまに大きなため息をつきました。
「仕方ありませんね。家来枠で同行を許しましょう」
「いや、置いてくなって意味で腕掴んだわけじゃないからな!?」
オヤジの渾身のツッコミを耳に入れることなく、太郎の腕を引っ張って少女は岩壁、もとい塀に近づきました。オヤジは大人しく太郎の腕を掴んでそのあとを追います。
少女が近づくと、塀は鈍い音を立てて左右に滑っていきました。扉と塀は同じような形だったので、カモフラージュもかねているのかもしれません。
呆ける三人は、塀、もとい扉の向こうにある豪奢な作りの城を目に入れました。
塀の外は地面が剥き出しの、どちらかというと赤みがかかった空間でしたが、塀の内側はこれでもかと緑で埋め尽くされ、その殆どが青い花をつけています。綺麗に並べられた花は、人によって育てられたことに違いありません。
「よく来たな、桃太郎一行や」
青い花々に見とれていた少女は、突如城の中から響く声に肩をビクつかせました。
正面から見たところ、誰かが城の内部から顔を出しているわけではいないようです。しかし、まるでメガホンを使っているかのように、声は実に鮮明に三人の元に降り注ぎます。
「おやおや、今回は犬も猿も雉もおらんのか。随分余裕だな?」
「……僭越ながら質問させていただきますが、あなたは鬼でありますでしょうか?」
「ククク……それは自らの目で確かめると良い」
意味深な笑い声を出したあと、声はぱったりと聞こえなくなりました。
明らかに怪しい上に明らかに煽ってきた声の主。それに対抗するかのように、少女はぐっと拳を握りしめます。
「よし、行きますよ! 鬼がいるということは宝物といるということです!」
「あいや、奴は鬼って肯定してなかったけど」
「さあさあ! 桃太郎の出陣ですよ!」
「聞いちゃいませんね」
こうして二人は半ば強引に少女に引き連れられ、城の中へ進むことを余儀なくされてしまいました。女の押しは強いですね。
しかしながら、綺麗に身長順に歩く三人はまるで探検をしているかのようにも見えてしまうのでした。
◆
「あなたが……鬼……?」
少女は、黒いフードを取ることなく、目の前の人物へ困惑の言葉をかけます。
その隣には太郎、オヤジと並び、二人とも仲良くあぐらをかいて座布団の上に座っていました。
どことなくシリアスな空気を醸し出す少女そっちのけで、お膳に乗った焼き魚やあら汁に舌鼓を打っています。
「んまー! 太郎、お前ここで料理修行したらどうだ?」
「魚釣れないオヤジこそ、料理を学ぶべきじゃない?」
和やかに白米を口に運び、程よく漬けられた漬物を続いて口に放る太郎。しゃくしゃくと活きのいい音を立てながらそれを味わっています。
太郎の言葉にオヤジは、またまたーと話を軽く流し、再びあら汁をひとすすり。ほんのり湯気が立つそれは、紛れもなく出来たてのひと品です。すこし魚の尾っぽが覗いていますが、それもどことなくワイルドな風流を感じさせます。
対する少女は賑やかな隣を一瞥してから、咳払いをし、対面に座る人影に目を向けました。
「こんな可愛いおなごを見て鬼とは失礼よな」
艶やかな黒髪をひとなでし、女は軽い調子で言い放ちます。
少女たちが城に入る前に聞こえた声と同じことから、おそらくはこの女性が城のトップなのでしょう。
一行がとある部屋の前に着いた時、即座に座席と食事を用意させたのもこの女性でした。理由もなく用意されたお膳に真っ先に飛びついた蛮族親子には衝撃を受けていたようですが。
「しかし、あなたは自分の目で見て確かめろと」
「妾の姿を見て、宝物以外何に見えるというのか! まったく、これだから幼子は好かぬ」
女の言葉に少女はあんぐりと口を開けました。
たしかに少女は宝物を探しにこの城へやって来ましたが、その宝物が一体どんなものかは一切知らされていませんでした。なぜなら場所を教えてくれるナビがあったからです。そのナビをつんだホバークラフトは岩にハマったしまいましたが。
桃太郎の使命は、鬼を退治して宝物を持ち帰ること。
ということは、鬼退治はともかく、自らを宝物と豪語するこの女を村に持ち帰れば任務完了なのだろうかと少女は考え込みます。
「しかも、またこーんな若造を寄越しおって。竜宮城にいれば時間は止まるとはいえ、もう少しケツの青くない童子を寄越してくれぬのか」
少女にも聞こえる声量で愚痴を言い始めた女性は、二十代ほどの見た目に見えますが、中身の年齢はそれ以上のようです。
さらりと時間が止まる、なんてトンデモ発言をした女性に、少女は目をばしばしばしっと高速で瞬きさせました。
「そういや、おねーさんやい」
「乙姫じゃ」
「んじゃ、乙姫さんやい。もしかすると宝物ってのは嫁の隠語だったりするんかい?」
食べる手を一度止めてたオヤジが黒髪の女性――乙姫に声をかけます。
どことなく乙姫とオヤジは歳が近いように見えますが、竜宮城は時間が止まると言っていたので、おそらく乙姫の実年齢はオヤジより上のはずです。皮肉なものですね。
オヤジの隣では、むぐむぐと口を動かした太郎がようやく身体を乙姫の方へ向けました。皿はすっかり空になっているので、つまり食べ終わったということでしょう。漁師の子は焼き魚を解すのが早いなのです。
「ここに来てまだそんな戯言を。妾は婿にするなら珍妙な出自の男が良いと爺やに言ったまでよ」
「……れ、歴代の桃太郎は……宝物と称して、女を連れ帰り、村で式をあげて、いました……」
定まらぬ視界のまま、少女はぼそぼそと呟き始めました。
桃太郎が何代も続いていたこと自体驚きですが、どうにも過去の桃太郎はきちんと宝物を持って帰ってきたようです。
しかし話を聞くからに、その宝物は彼ら独自の解釈だったのでしょう。使命とやらもなかなかにガバガバです。
「妾が求婚してやったというのに、どいつもこいつも逃げおったというのに……よくもまあ妾より先に籍を入れおって」
「婚活、上手くいってないんですね」
「なんじゃと!?」
真顔のまま乙姫に話しかける太郎はおそらく素です。デリカシーの欠けらも無い素です。
仕組みはさっぱりですが、乙姫の言い方はまるで自らが、桃太郎という仕組みを発案したかのように聞こえます。
珍妙な出自に拘るというのに、桃から生まれた子供が成人するまで待つというのもなかなかコスパが悪いです。毎回桃から生まれている人間を見ていれば、もうそれは珍妙ではなくある種の常識になってしまうのですが。
短い会話の中で桃太郎の真の役割と、宝物の真の意味を知った少女は愕然としたように畳に手を付きました。
お膳に顔を突っ込まぬよう、体は少し斜めに向いています。
「そ、それじゃあ……私が今まで旅をしてきたのは一体……?」
「ここでんめーもん食うためじゃね?」
「早く食べないと冷めちゃいますよ、逆ナンさん」
「そうじゃぞ。折角、桃太郎のために用意したご馳走を無下にするでない」
己の使命に従順に生きてきた少女は、目の前の食事の話しかしない三人の阿呆共を死んだ魚のような目で見つめました。
そして丁度オヤジと目が合ったところで、なにやら口に突っ込まれました。
「んぶっ! げほっ、げほっ……」
「青魚の叩きだ! どーだ、うまいだろう」
「オヤジが作ったわけじゃないでしょ」
箸をかまえ、得意そうに話すオヤジを諭す太郎。
勢いよく口内に箸を突っ込まれたものの、怪我をすることなく、魚の身だけを箸からうまく削ぎ取り、舌でそれを味わう少女。こってりとした、多すぎない脂と発酵食品の塩気が絶妙でした。
咳き込みながらも、見事な一品をもぐもぐと満足そうに咀嚼する少女は、どことなく不満げでした。美味しいことを認めるのに抵抗があるようです。
「つかアレなんだけど。もし鬼も倒さず、宝物も持ち帰らずな状況になったら故郷に帰れないってことか?」
少女の表情の変化に気づいて、にやりと頬を緩めるオヤジは、次なる一品――すなわち魚肉のつみれを箸でつまみました。
蛮族ですが、箸の持ち方はちゃんとしています。
オヤジの問いに答えるべく、ゆっくりと魚の叩きを飲み込んだ少女は、次なる一品を再び口に突っ込まれぬよう、身体を起こしてオヤジから距離を取りました。
「そーですよ。だから、私が村に帰るためには宝物を……」
「逆ナンさんも、ここに住めばいいじゃないですか」
「……宝物を、へっ」
オヤジの肩を指先でつついて、つみれを寄越せと目で訴える太郎。
しかしオヤジと向き合った少女が、太郎の言葉にほうけた隙を狙って再びオヤジは少女の口に食事を突っ込みます。今度は大人しく口を閉じてくれました。
「つまり、今回の桃太郎も宝物を持ち帰ることはせぬのじゃな」
一連の流れを黙って見守っていた乙姫は、気だるげに言い放ちました。
宝物イコール乙姫なのですから、つまり乙姫はまたしても結婚することができなかったということなのでしょう。
太郎たちが何代目の桃太郎かは不明です。しかし、乙姫には文字通りお持ち帰りされなかったことを悔やむ素振りは見せませんでした。最早嫁に貰われないことに慣れすぎてしまったかのように思えます。
肩肘をついてくつろぐ乙姫を見た太郎は、不意に、あ、という声を出しました。
「珍妙な出自ではありませんが、珍妙な才能を持つ、こちらのオヤジはいかがでしょうか?」
「へ? あ、俺?」
先ほど乙姫が、太郎のことを童子と呼んでいたことを思い出し、それならばとやや歳上の育て親を引き合いに出す息子。
太郎を育てたとはいえオヤジは立派な独り身です。当の本人は、満更でもなさそうな顔をしています。
ちなみに珍妙な才能というのは餌を垂らすと魚が逃げるという才能です。おそらくは物音を立てすぎて魚たちがにげているだけでしょうが。
乙姫は太郎の前に座るオヤジを見て一言。
「嫌じゃ、そんな髭面」
「よくそんな小汚い格好で求婚しようと思いましたね?」
「したの俺じゃねえかんな!?」
ものの見事にオヤジは玉砕しました。
二人の女から共に容姿をボロクソに評価され、頬をヒクヒク痙攣させるオヤジ。
しかし蛮族の息子である太郎は、そう簡単には引き下がりません。
「よろしいでしょう! では少々お待ちください!」
「あっ、ちょっと太郎くん!?」
そう言ってオヤジの首根っこを掴んで、太郎は慌ただしく部屋の外へ出ていきました。
一体何事かと乙姫が少女に問いかけるも、少女は、自分も先ほど会ったばかりなのでと苦笑で答えます。
二人は特に話すこともなかったので、目の前のお膳にようやく手をつけ始めました。もちろん乙姫の目の前にもお膳は出されていたので、彼女は慣れた手つきでそれを味わいます。
もぐもぐと無言でそれを食べ始めたころ、勢いよく引き戸が開け放たれました。
案外早い戻りに乙姫はため息をつきながら、箸を茶碗の上に置きました。
「何を考えたか知らぬが、妾はそう簡単に心変わりするなど……」
「……誰?」
太郎の隣に立つ男は、本来なら無精髭に髪を雑に一つに結いた、くたびれた風体の男でした。
しかしそこにいるのは整った漆黒の長髪を肩にかけ、きっちりと衣服を整えた美丈夫です。
おそらくはいつもより背筋を正して、顎を引いてしゃんと立つ姿はまるで別人といっても差し支えないでしょう。
太郎は、その男を手のひらで力強く示して乙姫に告げます。
「これぞ浦島さんちの名物、浦島藻太郎です!」
「結婚します!!!!!!」
「ちょっとお!?」
傍観していた少女は、真っ先にツッコミました。
オヤジもとい藻太郎は、急に目の色を変えてきた乙姫に抱きつかれて後ろに倒れてしまいます。
しかしその表情は満更でもありませんでした。
つまるところ乙姫は面食いだったようです。
「これにて鬼退治も宝物回収も出来ましたし、一件落着ですね」
「鬼、退治してないし……宝物は兄さんのオヤジが手に入れちゃったし……」
「何を言う。鬼を退治したからこそ、ここまで来れたんじゃろ?」
釈然としない様子の少女に、乙姫はオヤジの上に乗ったままとぼけた顔で言いました。
ここが鬼ヶ島であるならばたしかに鬼はいるのかもしれませんが、そもそも鬼は宝物を守る周辺にいるものと思っていた少女は首を傾げます。
少女が悩んでいる様子を見て、乙姫は視線を太郎に移しました。
太郎はオヤジの行く末が決まって心底満足そうな顔で、乙姫や少女の話など全く聞いていませんでした。
「鬼はこの島の住民よ。これほど顔がいい男がいるとは知らなかったがの」
「へ、へへへ。それほどでも……」
乙姫の言葉を聞いた少女は、そう言えば自分は今現在乙姫の下敷きになっている男にげしげし蹴られていたということを思い出してしまいました。
つまり、蛮族の度が過ぎるが故に島民は鬼と呼ばれるようになってしまったのでしょうか。それとも鬼ヶ島に住んでいる人間が総じて鬼と呼ばれるのでしょうか。
真偽は不明ですが、オヤジと太郎が浜辺に倒れる人間に何かをすることに対して、とても手慣れていたことだけは確かです。
少女は追想します。
ホバークラフトの重みで呻いていた少女をなんの躊躇いもなく蹴った男。
桃太郎の使命は鬼退治。
鬼というのはこの島に住む人間のこと。
そして桃太郎である少女は、まだ鬼退治をしていない!
「おま……えが! 鬼ィッ!」
「え、ちょ、さっき叩きとかつみれとかあげ……アーッ!」
どったんばったんと竜宮城は騒がしくなりましたが、ものの数分でオヤジがボコボコにされたので、満足した少女によってその騒動は収束したようです。
こうしてあらゆる方向で少女の予想を裏切ることとなった桃太郎の使命は、なんだかんだで幕引きとなりました。
◆
結局乙姫がどうやって桃に人の子を入れてたとか、体から桃が香るようになったとか、そういう話は有耶無耶にされてしまいました。
ですが、オヤジと乙姫は無事結婚して、その後、竜宮城で仲睦まじく過ごしたり、時に竜宮城を追い出されたオヤジが浜辺をさ迷ったりするようになりました。
そして少女と太郎はというと。
「よし、また一匹……いや二匹げっとー」
「……今まで釣りしたことありました?」
「この島に来てから初めてですよ。楽しいですね、釣り!」
これまた仲睦まじく二人で釣りをしていました。
岩の上にこなれた調子で座る太郎と、その後ろで針から魚を外す少女。
連日ボウズなオヤジと比べるとぽんぽこ魚が連れていた太郎は、少女の魚籠を見て思わず舌を出します。もうビッチビチに溢れかえっていたからです。
あの一連の騒動のあと、ホバークラフトはなんとか岩から引き抜かれましたが、再起には至りませんでした。
というわけで、物理的に帰還手段がなくなった少女は、当初の太郎の誘いにのり、共に暮らすことを選んだのです。
もともとオヤジが漁師をしていたので、太郎は少女には釣りの手伝いをしてもらおうと目論んでいました。そして竿の使い方を教えたが最後、太郎よりもぱんぱか魚を釣り上げる少女を見て、もうあいつ一人でいいんじゃないかなと思い始めている太郎でした。
「それにしても夢みたいですね。兄さんとのんびり釣りができる日が来るなんて」
「……未だに実感湧かないんですけどね」
太郎の中では、この少女は未だに桃から生まれただけの同士という認識でした。
騒動が終わってから身を隠す必要がないなと悟った少女は黒いフードと外套を脱ぎ、太郎と同じ茶髪の髪をなびかせています。耳が隠れるくらいの短い髪型ですが、どうやら髪は自分で切っているようです。
少女の話が本当ならば太郎と彼女は双子ということになるのでしょうが、男女となると似ているかもわかりません。
「それは私もですけどね。お互い敬語の方が楽ですし」
「なら、そのまま楽に行きましょうか」
「はい」
再び海に竿を投げる少女を見て、太郎はほうとため息を付きます。その投げ姿勢も様になっていたからです。教えたのは太郎のはずなのに。
おそらくは天性の才能があると思われる少女。
太郎は、恥を覚悟で少女に尋ねました。
「ゆすら。釣りのコツ、教えてくれませんか?」
浦島桃太郎 C @undeuxC
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