07話.[それなら行くか]
「……今日のは本当のことなの?」
電話がかかってきたから出てみたら岩佐だった。
声音から明らかに不安になっていることが分かる。
よくも悪くも出やすいから目をつけられやすいのかもしれない。
「あの兄妹にはな、俺は岩佐に対してそう思ったことはないぞ」
「ほんと……?」
「当たり前だろ、そうじゃなければ一緒に出かけたりしない」
協力したいとも思ったりしない。
誰だってそうだろう、不満を抱いている状態ではそういうことはしないんだ。
「じゃ、じゃあ、ふたりだけだったら行ってくれるの?」
「岩佐はいま最強のカードを切ったわけだからな」
「最強のカード……あ、そっか、あの約束か」
「ああ、誘ってくるなら行かないわけにはいかないだろ?」
自分の言ったことぐらい守る。
だから今度真に対してなにか買ってこなければならない。
世話になった分ぐらいは返さなければならないから。
「私としてはそういう強制力からじゃなくて自分の意思で――」
「俺は岩佐といられるのは普通に好きだぞ」
ふたりだけだったら文句を言わずに付いていく。
この前のカラオケに行ったのが正にそうだ、前回だって一緒に水着を見に行ったわけだし。
「ただ、姉貴やあの兄妹を呼んでくれなければ、だけどな」
「そ、そうなんだ?」
「おう、だから岩佐から頼まれたら聞いていただろ?」
「あ、確かに……」
理想を言えばあんな終わり方にしないのが一番だった。
姉とのそれはともかくとして、兄妹とあんな感じなのは本当によくない。
人間によっては悪く言い出したりする可能性もあるだろう、物理的に攻撃を仕掛けてくることもないとも言えない。
そもそも岩佐を巻き込むために悪意ある言い方をしたのは確かだし、真はこれまでも俺に対して毒を吐くことはあった。
だから形だけでもいい別れにしておく必要がある。
「真達と行くときは気をつけろ、水分補給も忘れずにな」
「うん、倒れたら楽しめないからね」
「よし、じゃあ行きたいときになったら連絡してきてくれ」
「うん、それじゃあまたね」
携帯を置いて天井を見つめる。
でも、どう考えても真達といた方がいいに決まっているんだ。
岩佐にとって話せる相手が増えるということは支えになるということだから。
「歩くか」
それにいまの真や柚木なら引き離そうとするに違いない。
相手が俺なんだからそうしようとして当然とも言えるがな。
だってすぐに極端な思考になるし、あのふたりならやっぱり分かりやすく力になれるし。
「竜平」
「ん? あれ、今日はバイトなんじゃないのか?」
まだ昼だから休憩の間に出てきているということもないだろう。
「今日はお休みなの、少し……いい?」
「おう、別にいいぞ」
またあの公園でゆっくりすることになった。
ここは日陰の場所も結構あるから姉的にも楽なはずだ。
「どこかに行っていたのか?」
「いえ、少し歩いていたの」
「だったら岩佐も連れて行ってやればいいのに」
「ひとりになりたい気分だったのよ」
ひとりになりたいときは多いからそのときの気持ちは分かる。
大抵はごちゃごちゃしていて仕方がないときにすることだった。
ただまあ、ひとりになったところで解決しないのが現実で。
いや寧ろもっと酷くなると言ってもいい。
だからこういうときは元気な人間と一緒にいた方がいいんだ。
「あと日焼け止めとかちゃんと塗っているのか?」
「ふふ、懐かしいわね」
「ああ、あれは酷かったからな、見ているこっちが痛かったぐらいだよ」
怖く感じて一時期は俺も日焼け止めを塗っていたぐらいだった。
でも、すぐに面倒くさくなって二週間もしたら忘れて遊びに出かけていたぐらいだが。
あの頃は本当に姉から逃げられれば幸せだったから毎日真と遊んでいた。
プールに行ったり、虫を捕りに行ったり、魚を釣りに行ったり。
いまでも鮮明に思い出すことができるのはやっぱり……。
「あなたと一緒にいたいの」
「またそれかよ……」
「本当にっ、心からの言葉よっ」
いまの距離感だからこそ普通に会話できているんだ。
わざわざそれを壊そうとする意味が分からない。
あと、家にはもう岩佐が住んでいるわけだし無理だろう。
それにこだわる意味も分からないし、俺は生涯姉の人間性というやつを理解できないまま終わりそうだった。
「落ち着け」
「……ごめんなさい」
「俺は普通にいる分には問題ないよ、いまだって一緒にいるわけだからな。でも、一緒に住むのはもう無理だって前回のあれで分かっただろ? 昔のあれが消えないんだよ」
一生消えることはない記憶だ。
こればかりは俺を責めるのはやめてもらいたい。
小さい頃に嫌なことをされ続けたら余計に印象に残って当然だ。
しかも一緒に住んだからってなにがどうなるというわけでもない。
「こうして一対一で会うだけなら構わないからさ」
「……どうしても無理なの?」
「無理だ、姉貴的にもメリットがないからな」
紛らわしい言い方をしたりはしない。
無理なら無理、大丈夫なら大丈夫だと答える。
それが俺の生き方だ、そこを否定するならもう離れてくれとしか言いようがない。
相手の考えを許容できないなら間違いなくいい結果なんかもたらさないからな。
「この話を続けるならもう解散にしよう」
「わ、分かったわ、分かったからまだ……」
「おう、それならいいぞ」
最近はよく晴れていて気持ちがいいぐらいだった。
ごちゃごちゃさも薄れてきたし、今年も気持ちよく夏を過ごせそうだ。
「そうだ、飯とかってやっぱり姉貴が作っているのか?」
「いえ、交代交代で作っているわ、莉菜ちゃんは上手なのよ?」
「へえ、そうなのか、なんかできなさそうな感じがしたけど」
「帰る時間が遅いから自分で作っていたみたいなのよ」
「あー……そういうことか」
食材を使わせてもらえるだけありがたいと思うしかないか。
まあでも、その能力は無駄にはならないから間違いなくいい方に出たことになる。
絶望ばかりの人生なんかありえないからな。
もちろん、いいこともあれば悪いことも多くあるのかもしれないが。
「んー、なんか岩佐が堂々といられている感じがしないんだよな」
「そんなことないわよ? いまでは家族みたいに過ごせているわ」
「それならいいんだけどさ、結構繊細だから優しくしてやってくれ」
家での問題は解決できても学校でのそれはまだ未解決だから仕方がないのかもしれない。
ただ、それもなかったとしたら俺となんていてくれていないだろうから難しい。
正直に言うと、俺はもう岩佐と自分からいたいと思ってしまっているから……。
いやだって頼ってくれるというか、甘えてくれる存在なんて全くいなかったからな。
柚木はどう考えても真の友達だからいてくれているだけだし、あの柚木でさえ最初は俺を怖がっていたわけだから岩佐が余計に特別に見えてくるというか。
「……あなたがいればもっといいけれどね」
「俺なんか家事とかだって適当にしかできないんだぞ? 一緒に暮らし続けていたら不満が溜まって結局追い出していたよ」
「そんなことないわ」
結局ここに戻ってくると。
これをどうにかしない限り姉は前に進めないのかもしれない。
「じゃあ夏の間だけならどうだ?」
「いいの?」
「いつまでも暗い顔をされたくないし、一緒にいるときに出されて微妙な感じにしたくないんだよ。それに俺だっていつまでも姉貴を敵視……みたいなことはしたくないしな」
妥協なんてこれまで何度もしてきたから今更な話だった。
それに兄妹と微妙な状態になっているいま、姉と仲直りすることができてしまえば俺としてはなんにも不安はなくなる。
こっちは言うことをなにも聞かないのに岩佐のことを頼み続けるというのも不公平だしな。
あとはこれで気づいてくれればそれでいい。
一緒に過ごしていたら間違いなくいない方がよかったとなるはずだ。
「そ、それならいまから行きましょうっ」
「待て待て、家主は姉貴だけど岩佐に聞かないとな」
「あ、そうね、それだけは忘れてはならないわね」
自惚れでもなく俺がふたりだったらとか言い出したら岩佐を追い出しそうだから怖い。
それだけはあってはならない。
いまの元気さだって家を出られたからだと思うから。
あとは姉と一緒にいられることの影響もありそうだから取り上げたくないんだ。
「とりあえず行きましょうか」
「そうだな、連絡するより直接話した方が伝わりやすいし」
まずそこが決まらなければ荷物を持ってきても無駄なことになる。
なにも持っていない状態で歩くのとは違うから流石にそれは避けたい。
しかも拒絶されたとなったら兄妹のときと違ってダメージを受けるだろうし。
「ただいま」
「おかえりなさいっ、……って」
「よう」
「う、うん」
まあそりゃそういう反応になるのも無理はない。
やっぱり現実的じゃないよなこれは。
ただ、自分から口にしたことだから逃げることもできないという状態で。
こっちがゆっくりしている間に姉が説明。
「それを決めるのは響子さんですから」
「大丈夫なの?」
「そもそも住ませてもらっている身ですからね、私の意見なんかどうでもいいといいますか」
「大丈夫なら荷物を持ってきてもらうけれど」
「それなら私も一緒に行ってきます」
「ええ、分かったわ」
……頑なに大丈夫だと言わないってことは嫌なのか……。
ま、まあいい、俺は自分の言ったことを守ればいい。
学校がまた始まるまでの間ここにいるだけでいいんだから。
「まさか響子さんといるとは思わなかったよ」
「あの後歩くために出たんだよ、そうしたら姉貴と会ってさ。で、どうしても一緒にいたいということだったから今年の夏限定ならどうだって話をしたんだ。いまのままだと姉貴は前に進めないし、大学生活とかバイトのときとかに絶対に悪影響が出るからな」
「響子さんはなんでそこまでこだわるんだろう」
「さあな、だけどこれで少しでもよくなればいいと思う」
あとは自分の生活にいらないことを気づいてくれればそれでいい。
「悪いな、せっかく姉貴とふたりきりでのびのび過ごしていたのに」
「ううん、私は嬉しいよ?」
「本当かよ……、さっきだって頑なに大丈夫だって認めなかったしな」
お世辞だけはいらないんだ。
最初もそうだったが、彼女はそういうところがある。
変に褒められても調子が狂うだけだから悪く言わないぐらいで丁度いい。
いや違うな、寧ろそれを徹底してほしかった。
「それはあれだよ、響子さんが竜平先輩のことを気に入っているからだよ」
「それでどうして認めないんだ?」
えぇ、そこで黙ってしまったという……。
なにかを言われているよりも黙られてしまう方が色々と影響が出るな。
「ちょっと待っててくれ」
「うん」
改造計画によって寝る場所は一階になっているから持ってくるのは楽だ。
それに物欲というのがないから荷物も少なくて済む。
家を出る前にちゃんと飲み物を飲ませてからあの家へ。
「九月まで頼む、なるべく迷惑をかけないようにするから」
「……それって本当は私が言う側じゃない?」
「そうか? 少なくとも俺のせいで不安にさせたことがあるからな」
「うーん、確かにあるけど……竜平先輩は響子さんの家族なんだし」
「細かいことは気にするな、それに俺はどうせ外で多く過ごすからな」
公園にいても、川を見ていても、遠くまで歩いても、また、帰るだけでも。
それで十分楽しめるから彼女は気にする必要はない。
彼女が頑張らなければならないのは姉と仲良くすることだけ。
まああとはちょっと俺の相手をしてくれればな。
「真の言葉を鵜呑みにして勘違いしてくれるなよ」
「うん……」
とにかく姉の家に行ってからゆっくり話せばいい。
なんとなくだが、悪くなることはなさそうだと考える自分もいた。
「んー」
今日は朝からずっとこんな感じだった。
姉はバイトでいないから相談できずに困っているのかもしれない。
「あ、全く連絡がないんだよ、だからまだ海に行けてないから……」
「それならいまから行くか?」
「えっ、いいのっ?」
「課題は終わらせているし暇だからな、行きたいなら飲み物とか持って行こうぜ」
「行くっ、いますぐに行こうっ」
水着を買った身としてはどうしてもすぐに着たかったってことだろう。
一度着ておけば真に見せる際にある程度落ち着いていられるだろうから悪くはないはずだ。
俺は荷物を見ておく担当みたいなものだから気にしないで楽しんでほしかった。
とにかくタオルとかそういうのをしっかり持って外へ。
「暑い……」
「今年も似たような感じだな」
「そう? どんどん暑くなっている気がするけど」
違う世界の俺だったら暑いとか寒いとか言いまくっていたかもしれない。
だが、現実の俺はそうではないから周りをしっかり見ておくだけでいい。
人工の風に当たらなければ体調を悪くするなんてこともないし。
「俺が着替えとかを持っているわけだけど肝心の水着は持ってきたのか?」
「あっちでは着替えられないからもう着てるよ?」
「まあそれが一番安全でいいか」
「うん」
海まで遠いわけでもないし夏は楽しめるな。
出たくない人間からしたら地獄みたいなものだが。
「じゃじゃーん、どう? 似合ってる?」
「似合ってるぞ」
「あ、ありがとう、……そんな真っ直ぐ言われても照れるけど」
ただ、彼女的には残念だろうな。
やっぱり先に真に見せたかっただろうし。
もっとも、もうこうなってしまったらどうしようもないから口にしなかったが。
……つかそれよりも俺から海に行くかと出したことでまるで彼女の水着姿を見たがっていた、みたいな形になってしまっているのが不味い。
「りゅ、竜平先輩も脱いでよ」
「別にいいけど」
荷物という荷物もないし、人もいないから盗られることもない。
多分一緒に行かないと怒るから大人しく言うことを聞いた。
「真と違って全く運動していないからな」
「……でも、引き締まっているよ?」
「あんまり食べることもしないからな、菓子とかはもっと食べないし」
水の方に近づく。
どうせ来たなら俺だって普通に楽しみたい。
これを楽しんでいれば彼女だって忘れて楽しんでくれることだろう。
「ちょ、ちょっと待ってっ」
「ん? どうした?」
あれだけ嬉しそうだったのに日陰から出ようとしない彼女。
戻ってみたら「背中には塗れてないから日焼け止めを塗ってほしい……なって」と小さい声で頼んできた。
「触れていいのか? 後で文句を言わないなら別にいいけど」
「言わないよ、だからお願い……します」
昔、姉に命令されて似たようなことをしたから気にせずちゃちゃっと塗っておいた。
甘いと酷い結果になりそうだからしっかりとな。
「よし、終わり」
「……な、なんか慣れてる手付きだったね」
「これでふたり目だ、誰にでもしているわけじゃないから勘違いしてくれるなよ?」
「ひ、ひとり目は誰なの?」
「そんなの姉貴しかいないだろ、いいから行こうぜ」
脱いでいるのにここにいるんじゃ意味がない。
あとは地味にテンションが上ってきているのもあって待ちきれなかったんだ。
ここのいい点は水が綺麗だということと、遊泳禁止ではないことだ。
砂利ではなく砂浜だからサンダルを脱いでいても痛くないのがいい。
「夜だったら花火とかしても楽しめそうだな」
「ここは禁止じゃないから確かに綺麗でいいかも」
「夜遅くまでここでゆっくりするのもいいだろうな」
真っ暗で海は鮮明に見えないだろうが、波の音を聞きながら過ごす一日というのも悪くはないはずだ。
そこに一緒にいて楽しめる人間がいてくれたらもっといいだろうな。
「嬉々として水着姿になったわけだけどさ、どうすれば楽しめるかな?」
「水に入ってくるとか?」
「プールとかと違ってちょっと怖いから竜平先輩も……」
「まあいいぞ、それなら行くか」
飽きて解散ということにはなってほしくない。
そのためになら多少は犠牲になっても構わなかった。
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