第24話 それぞれの日常


 それから数日。


 悩みの種になりそうだった人員削減は、思ったより早く目処がたった。


 応援スタッフ二名が企画部と管理課に異動を希望し、妊娠がわかって退職を申し出たスタッフが一人、三人とも希望が叶って楽しそうにその日を待っている。


 あと一人……異動の希望は聞いているけれど、どうしても引き止めたい私は頭を悩ませながら、今日まで答えを引き延ばしてきた。


「橋本さん、データの確認お願いします。良ければ企画課に送信も」

「了解しました」

「遥さん、二宮さんの研修ですがスケジュール空けたので佐伯さんも一緒にお願いします」

「はい、わかりました」


 やっぱり、いてもらわないと困る……モニターを見つめ、テキパキと業務を割り振ってくれる環ちゃんを見て思う。


 私の時のようにキャリア研修があればよかった、それなら橋本君と環ちゃんを出して戻ってくるまで私が留守番していればいい……でも人手不足を理由にキャリア研修はなくなってしまった。


 橋本君と環ちゃんを中心にチームを作りたい、でもどうすれば……。


「遥さん? 」

「は、はい! 」

「どうかしました? 」

「ううん、違うの……環ちゃん今夜空いてる? 」

「はい、残業ですか? 」

「ご飯行かない? 二人で」


 一度ゆっくり話したい、その気持ちからつい誘ってしまう。


「わぁ、嬉しい!! 二人っきりなんてデートみたい! 」


 “メイク直して待ってます”なんて、かわいく喜びながらオフィスを出て行く背中を、橋本君の切なげな視線。


 少し前まであの笑顔は橋本君に向けられていたのに、戻ってきた彼に対する環ちゃんの対応はびっくりするほど冷めていた。


 最初から付き合ってた事実なんてなかったかのように、普通に振る舞う環ちゃんにきっと橋本君は傷ついている。


 環ちゃんにとってはもう過去なのかもしれない……そんな事を思いながら、撮影ブースに向かった。







「遥さん、何食べます? 」


 仕事を終えたのは、夕食にちょうどいい時間。


「環ちゃん、からいの平気? 美味しいお店知ってるんだ」

「はい、大好きです! 」

「よかった、じゃあ行こっか」


 こんなに喜んでニコニコしてくれたら、橋本君じゃなくたって好きになっちゃうよね……私にはない可愛さに惚れてしまいそう。



「これこれ、美味しいんだよ! 」

「ほんとだ、美味しそう! じゃあ、これと……これも食べてみません? チーズが美味しそう」


 お店に入ってメニューを選んで、並ぶたくさんの料理とお酒を満喫して……友達同士のような楽しい時間。


 環ちゃんと出逢えてよかったな……何でかわからないけれど、出逢った頃から今日までがゆっくりと脳内で蘇っている。


「遥さんったらいじわるなんだから」

「いじわる? なんで? 」

「戻って来てるなら教えてくれてもいいのに……オフィスでいきなり顔合わせて、気まずかったんですからね……」


 お酒で染まった頬、潤んだ瞳がつらそうに訴える。


「ごめんね、私もどうしていいかわかんなくてさ」

「勝手すぎるんですよ、そんな大事な事も打ち明けてくれなかったくせに……一緒にいたいとか……彼女なのにありえない……」

「つらいよね、打ち明けてくれないってさ……」

「ですよね……わかってくれますか? 」

「わかるよ、どんな気持ちで一緒にいたんだろうとかさ、色々考えちゃうし」

「そうですよ……そう! さすが遥さん」


 完全に酔っ払った環ちゃんに乗せられてつい話し込む。


「でもさ、やり直したいとか、やっぱり好きとか思わないの? 」


 潤んだ瞳はぼんやりと一点を見つめ……グイッとビールを飲み干した。


「もういいんです、あんな奴……とっとと異動させちゃってください……何処でも行くって言ってるじゃないですかぁ……むにゃむにゃ……」


 言葉がだんだん聞き取れなくなって、ガクリと突っ伏してしまった。


「環ちゃん? おーい、もしかして寝ちゃった? 」


 肩を揺すっても聞こえてくるのは心地よさそうな寝息だけ。


「さすがに飲み過ぎちゃったね」


 結局、環ちゃんの本心は聞けなかった。仕事も激務で恋愛もうまくいかなくて……苦しいだろうな。


 カーディガンを肩に掛ける。


「醍……」


 橋本君とも、こんな日常を過ごしていたのかな。お互い求め合いながらすれ違おうとしている……それがとても切なかった。







「帰ってないんだ……」

「うん、はるちゃん誰といるのかな? 繋いでみたけど応答がないんだ」

「こんな時間に……心配だな」

「うん……海斗君だよね、帰ったら連絡するように伝えておくよ」

「ありがとう」


 ため息が部屋に消えていく。


「まさか……な……」


 珍しく散らかる部屋、山ほどの映画や本に埋もれる自分も物みたいだ。


 キス、恋愛、好き……本を読めば分かる話なのかわからないけれど、とにかく図書館で恋愛小説というものを見つけて借りてきた。あとそれらしい映画も。


 読んでいたら無性に遥の声が聴きたくなって、夜遅い時間なのに連絡していた。


 こんな時間に誰といるんだろう。


 まさかな……脳内に浮かんだのは、ピンクの髪を束ねた長身の男性。


 遥を家に送ったあの日……家を訪ねてきたあの男。深い仲なんだろうな、そう思うと落ち着かない。


「はぁ……」


 漏れ出る溜め息が重い雰囲気になってのしかかる。


「わかんないよな、友達かもしれないし」


 一人なのにわざと大きな声を出して空気を消す。


「映画でも観るか」


 借りてきたメモリースティックを挿すと、映像が流れ始める。


 流れる音色、それぞれ街を歩く男女、機械的な白い街角、出逢い微笑み合う二人。


 ヒロインはなぜか遥に見える。


 記憶さえ失くさなければ……俺と遥もこんな風にしていたのかな、それとも俺が期待しているような仲じゃ、なかったのだろうか。


 “彼氏じゃないってば”


 “彼女は海斗のこと好きじゃないんだ”


 遥は俺のこと好きじゃないのか……あんなふうに背が高くて、センスが良くて、見惚れるような人だったら好きに……なってもらえたのか。


 “好きだよ、遥……”

 “私も……”


 画面の中から確かにそう聞こえた。見つめて肩を抱き寄せて唇を……恥ずかしそうに視線を合わせ、微笑み合う二人。


「好きだよ、遥……」


 その途端、何かが込み上げてきた。


 心地よくて懐かしい……いつまでも浸っていたい気分だ。


 やっぱり俺は……。


「ゔっっ……!! 」

「やはり、ただのバカだ」


 薄れゆく意識、どこからか父さんの声が聞こえた。







 翌朝、眠い目をこすりながら急いで会社に向かう。久しぶりの寝坊、遅刻ではないけれど掃除の時間は取れそうにない。


 しまったな……昨日はさすがに飲み過ぎた。あの後、環ちゃんを送っていったら社長がいて紅茶をご馳走になって……家に帰ったのは深夜。


 海斗から連絡もらっていたのに返せていないし、環ちゃんを引き留めるいい案も思い浮かばない。


 いつまで経ってもだめなままだな。


 自己嫌悪と重い頭を抱えてオフィスに入る。


「あ、おはようございます。遥さん」

「おはようございます! 」


 みんな私に気づいて挨拶してくれる。掃除をしているスタッフ、モニターを見ているスタッフ、ミーティングの準備も、すべてが滞りなく手分けして行なわれていた。


「おはようございます! 」

「橋本君!? 」

「植物がある環境も、いいものですね」


 ずっと私がやってきた水やりを代わりにやっていたのは、橋本君。


 いつもより少し遅れた朝、答えは目の前に広がる景色とみんなが教えてくれた。







「ゆうべはすまなかったね、遅くまで引き留めてしまって」


 意を決して向かった社長室、いつも通り穏やかな笑みで迎えてくれる社長の雰囲気に負けないよう、深呼吸する。


「いえ、美味しい紅茶をありがとうございました。チーム編成が出来ましたのでご報告を」

「さすが、仕事が速くて驚いたよ」


 社長はどう思うだろう……手渡した配置リストに私の名前がないことを。


「環か……まだ私の目には頼りなく見えてしまうのだ」

「ご安心ください。私や橋本君がいない間、留守を守ってくれていたのは彼女です、誰より強く責任感もあります。それに……彼女の側には橋本君がいてくれます。


この二人なら、このチームならきっと未来を切り拓いてくれます」


 こんなに自分の意見を通そうとしたのは初めてかもしれない。でもどうしてもこの配置を通したかった。


「そこまで言うならその通りにしよう、私は現場を見ていないからね」

「ありがとうございます! 」


 最後に出会ったのが丸山社長でよかった。きっとこれからのチームを、環ちゃんや橋本君を優しく見守ってくれる。


「それで、肝心なあなたの名前がないのはどういう事かな」

「せっかく戻して頂いたのに申し訳ありませんが……この仕事を最後に、退職させてください」


 後悔はなかった。


「予想通り……だな」

「はい? 」

「笹山さん、あなたが今の場所ですべき仕事は全て終えた……それは私も同じ想いです」


 社長は言葉を止め、沈黙が流れる。


「あなたに、社員の教育をお願いしたい。退職の話、思い留まってはもらえないかね」


 もったいないような昇進の話、受ければ収入も上がるし、労働時間も減って楽になる、でも……受けることはできなかった。


「短い間でしたが、社長の下で働く事が出来て光栄でした」


 きっとこれが最後と、頭を下げて社長室を出た。



「あ~、なんかスッキリした! 」


 昼下がりのテラス、雨上がりの青空がとても清々しい。過ぎてみれば、どんな出来事も懐かしく感じられて……今日はなぜか隣に海斗がいてくれる気がする。


「ありがとう……草野君」


 私をこの日まで連れてきてくれたのは彼だった。


 ここで会えるのもあと少し。


 通知音が鳴る。


 呼び出しかと思ったら樹梨亜からのメッセージ。


 “来週の日曜、夢瑠のおかえりパーティーやるよ! 海斗君も誘う事、絶対だからね! ”


「連絡しなきゃな」


 海斗の声が聴きたくなった。


 

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