第6話 それぞれの決意
「緊張……する? 」
春の雨が路面を濡らす日曜、樹梨亜は煌雅と共にロイドショップにいた。今日は水野さんに相談がある……緊張の面持ちで彼女を待つ樹梨亜に、煌雅は微笑み優しく手を重ねる。
「お待たせしました」
久しぶりに会う彼女は伸びた髪をまとめ、柔らかく微笑みかけてくれた。
「実は水野さんにご相談があるんです」
樹梨亜は意を決したように話し始める。元々、自分の事を話すのは不得意。だから初めてここに来たときも、不安だったから遥についてきてもらっていた。
「煌雅と、優しい家庭を築きたいんです。子供を……考えるにはどうしたらいいでしょうか」
なぜかわからないけど、水野さんに反対されるような気がして、不安が込み上げる。
「樹梨亜さんは、最初からそうおっしゃられていましたね。ご案内が遅くなってしまい、申し訳ありません」
見透かしているのか、水野さんはいつになく優しく対応してくれた。
「パートナーロイドとの間に子供を設けるには、ベビーバンクから精子提供を受け、それぞれのパートナーにふさわしい形でという流れになっていきます」
「ふさわしい……流れ? 」
「はい、今日は吉日ですし、さっそく手続き致しましょう」
スムーズに事が運び、安心したのか樹梨亜は手続きを済ませると煌雅と寄り添い、ショップを後にした。
若者特有の
「久しぶりですね、この街も」
長期休暇を取り、仕事を休んでいた水野は先週、この街に帰ってきたばかりだ。
「やはり、戻ってきているのですね」
仕事を終えると、ショップの地下にある捜査基地に籠もる。端末には英嗣の詳細データ。
「気になることがあるんです」
捜査員から資料を受け取った水野の目つきが変わった。視線の先には遥が写っている。
「集会には出席しているんですが……射撃を習い体を鍛え続けています。戦闘訓練かもしれません」
「そうですか、海斗との接点は」
「ありません。会社と家の往復ばかりで、不自然な程……先日も朝5時まで仕事をしていたようです」
「朝5時まで……他の交友関係は? 」
「変わりありません。友人ともあまり会っていないようです」
「そうですか……」
疑うのはまだ早い。彼女はとても平凡な、どこにでもいる女性。海斗とさえ関わらなければ。英嗣に海斗、そして遥……懐かしい運命の渦を、今度こそ断ち切ろうと水野は決意を固めていた。
その遥は今日もオフィスにいる。働き詰めでモニターに向かうその目は、少し厳しくなったよう。
「遥さん、今夜も社長とデートなんですってね、うらやましいなぁ~」
「違うよ、仕事の用事」
「またそんなふうにごまかして~、お付き合いしてるならちゃんと教えて下さいね」
環ちゃんと会話しながらも、モニターから目が離れることはない。最近、自分がどんどん嫌な人間になっている気がする。あのバカ社長みたいに。
「笹山さん、社長からで今日はキャンセルだそうです」
「やった!! 」
「出ましたね、本音が」
「え~、じゃあ本当に付き合ってないんですか」
「社長は見掛け倒しですからね」
「あはははっ、本当そう、橋本君いいこと言うね、見かけだって大してカッコよくないんだから」
「お前に言われたくない」
「社長!! 」
ツカツカ歩いてくる社長は、目の前まで来て私を立たせると、いきなり顎を掴む。
「やめてください」
静かに反発する、社長だからといって迎合したくない、キッと睨みつけた。
「いい度胸だ」
近付いてくる顔、こんな男にキスされたくない。周りも静まって社長の愚行を見ている。その動きに隙を見つけ、思いっきり靴を踏んだ。
「ひゃぁっっ!! 」
情けない声が響いてオフィスはくすくす笑いに包まれる。みんな常日頃から社長にいじめられているからか、ざまあみろという感じかもしれない。
「社長、ここはオフィスです。秒刻みで動いておりますのでご要件がありましたらお早めにお願いします」
「いいのか、ここで言って。今日のデートが駄目になったこと、謝りに来たんだ」
「そんな約束していません! 誤解するようなこと言わないでください」
「恥ずかしがるなよ、ハニー」
「気持ち悪いですよ! 早く行ってください」
例の集会に連れて行かれるだけなのに、わざと誤解させるような言い方をする社長に苛立ち、追い出した。
2日働いた分くらい疲れる、まだ仕事が残っているのに。
「笹山さん、久しぶりに午後休を取ってはどうですか? 今日は珍しく仕事も少ないですし、後は環と二人で頑張ります」
周囲はまだ、チラチラと好奇のまなざしで私を見ている。午後休なんて何年ぶりだろう。
「ありがとう、橋本君。じゃあ……お言葉に甘えようかな」
快晴の青空の下、息の詰まるようなオフィスから外に出る。開放感に溢れた笑顔で歩き出す。時間ができたら真っ先にやりたい、そう思っていた場所へ向かった。
「ただいま~」
「おかえり、はるちゃん! お仕事もういいの? 」
「タマ、いつもごめんね、午後休取れたからタマとゆっくり休もうかなと思って」
「ほんとに~! やったぁ!! 」
やっぱりタマはかけがえのないパートナー、声を聞くだけで安心する。着替えてベッドでゴロゴロ、タマとどうでもいい話をしながら過ごす時間は至福の時。
「おやすみ、はるちゃん」
そのうち眠ってしまった遥に優しく声を掛け、布団を掛けるタマ。
遥は、タマの存在を否定するような集会に出てしまった事を心から悔いていた。もう二度とそんなことはしない、タマとの時間を過ごした遥は、目覚めた時、社長と対決する決意を固める。
そしてもう一人、タマと同じように遥を癒やし、樹梨亜と繋ぐ大切な存在が、遥の元へ向かうため努力を重ねていた。
彼女の名前は篠田夢瑠。
幼い頃、遥に心を救われ、友達以上の想いを秘め続けている彼女。一途に遥を愛しながらもその気持ちを打ち明けず、親友でいる事を選んだ。
「考え直すべきです! 」
例の高木さんに何度言われても、彼女の固い決意は変わらない。
「これを書き終えたら辞めます」
既に少ない荷物もまとめてある。
「お約束の通り、二度と筆は執りません。書いたものも好きにしてください。短い間ですがお世話になりました」
静かだけどいつになくはっきりとした口調、瞳に宿る固い決意は社内一、口うるさいと言われる担当者をとうとう黙らせた。
そのぐらい、厳しさがあった。
夢瑠は原稿に向かう。息を大きく吸い込み、目を閉じる。10秒程そうした後、脇目も振らず書き始めた。
夢瑠は元々、父親の仕事の都合で街を出た。超厳格な父親は夢瑠の意見など聞かず連れて行き、作家としての仕事にも制限をかけた。そこに危機感を持った担当者が夢瑠の為に部屋を借りて住まわせ、強制的に親から引き離した。しかし夢瑠がほっとしたのも束の間、今までの分を取り返せと執筆を迫られ、ただ、作品を産み出すロボットにさせられそうになっていた所を、また遥と樹梨亜に助けられたのだ。
二人と話して夢瑠は決めた。
作家を辞め、街に帰ることを。そして誰にも頼らず、口を出されることもない自分だけの道を歩むことを。
結婚はしない。
大切に思う遥への想いを、夢瑠は密かに貫き通すと決めている。誰にも生活を頼らなくていいように小説を書き、自立しようと考えていた。でも、いつの間にかその仕事に、自分を奪われていた。
「ハルちゃん、待っててね」
夢瑠は、遥の笑顔を道しるべに自分なりの道を歩む決意を固めた。
そしてもう一人。公園に通うのをやめた遥に代わってあの場所に座り、池を眺めるのは……草野海斗だ。
考えてみればおかしいと、何故気づかなかったのだろう。
いい歳して、すべての記憶が父のもとにあると思っていた。でも履歴を見れば大学にも行っているし、自分だけの記憶だってたくさんあるはずだ。記憶を失くす前の自分を知っている人だって、きっといる。
それに何か……父さんの様子もおかしかった。
調べてみよう、自分で。
池を眺める、ここの景色は綺麗だけれどずっと見ているには単調だ。景色を見るために通っていたわけではないはず。
海斗……。
呼び掛けてくれる優しい声。
誰かはわからないけれど、もう一度聴きたい。そんな予感が海斗に前に進む決意をさせた。
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