第7話 対決、そして……


「遥さん、社長が呼んでます」

「わかった……」


 昨日の事、きっと社長は怒っているだろう。でも悪いのは私じゃない、意を決して社長室に向かう。


「俺に謝る事があるだろう」

「昨日は失礼致しました。ですが、社長にも謝っていただくことがあります」


 社長は案の定、モニターを見つめたまま。


「お前こそ俺に感謝し、服従すべきだ」

「はぁ!? 」


 喋りだしたと思ったらこっちに向かって歩いてくる。


「ど、どういうおつもりですか。社長だって私となんて誤解されたくないはずです」


 怯むつもりはない、戦うと決めた。でも意味ありげな笑みを浮かべながら、近付いてくるこの人に思わず声が震える……後ずさりすると、壁にコツンとかかとが当たった。


 もう、これ以上……逃げられない。


「知ってるか? ここは社内で唯一、カメラがついていない部屋だ」

「だったら……なんですか」

「馬鹿だな、つまり……何をしようが証拠は残らない、ということだ」


 靴の先が当たる距離、そこで社長は止まった。


「社長だとしても、私に、何かしたら、通報しますよ」


 震える声、怖い……逃げなきゃいけないのに、いつの間にか腕で逃げ道を塞がれている。顎をグッと掴まれ、壁に押し付けられた。


「襲われるとでも思ったか、馬鹿が。お前になど興味はない。キャリア社員以外の雑魚ざこに集会の事を漏らさぬよう、取り繕っただけだ」

「社長……やめてください……苦しい……」

「痛いか、目を掛けてやったのにいい気になりやがって」


 苦しい……壁に押し付けられている頭も潰れそうに痛い。


 “助けて……助けて、海斗……海斗! ”


 次の瞬間、社長は投げ棄てるように手を離し、私は床に投げ出される。


「昨日の件だが、来週木曜の同じ時間に変更だ。次は原稿を用意しておけ」


 起き上がろうとする私に降ってくる声。ここで言ったら何をされるかわからない、でも……。


「社長、申し訳ありませんが、もう集会には参加できません」

「お前に拒否権はない」

「私は! 私は、ロイドやロボとも共存できると考えています」

「なんだと……? 」

「以前は我社もお掃除ロボや管理ロイドの助けを借りていましたし、ありがたい存在だと思っていました」

「忘れたか、産業スパイをしていたロイドもいるんだ。有害だ」

「覚えています、でも全てを排除する必要はなかったはず。そのせいでみんな過酷な労働を強いられ、疲労を溜めることになりました」


 言ってしまった……心の中に眠っていた本音が口からこぼれ落ちていく。社長はデスクに戻ると、窓の外を眺め沈黙する。


 もしかしたら……少しは考え直してくれるのかもしれない。


「本心か」


 ただ一言が部屋に響く。


「はい、本心です」

「後悔はないな」

「はい、ありません」


 最後のやり取りは短いものだった。熱が冷めたような社長の声は拍子抜けしそうなほど。


「わかった。もうお前に用はない、但し、この事を他言すれば職と命の保証はないからな。分かったら出ていけ」


 そうして私の直接対決は終わった。


 怖いと思った時……思わず海斗を呼んでしまった。社長と海斗のお父さんが重なって、鮮明に思い出すあの頃のこと。


 忘れると決めたのに……社長室を出てよたよたと歩きながら、守ってくれた海斗の苦しそうな表情が蘇っていた。







「遥さん! 遥さん、大変です! 」


 反旗を翻した私に、社長がした仕打ちは思った以上だった。


[人事異動(懲罰):社内規定第39条により職位降格、70%減給及び管理二課への異動を命ずる。この辞令は発令され次第、即時実行とする。尚、異議申立をした者は同罪とみなす。]


「こんなのありえません!! 毎日あんなに働いてきたのにこんな事……」

「笹山さん……通報しましょう、こんなの間違っています」


 泣いている環ちゃんや怒ってくれる橋本君を見ていると、胸が詰まる。私は、責任者になんてなれる器じゃなかった。


「橋本君、環ちゃん……ごめんなさい。二人に一番迷惑を掛ける結果になってしまって。引き継ぎもちゃんと出来なくて……後の事、よろしくね」


 すぐに人事課が来てデスクは取り調べられ、わずかな私物と共に……長く過ごしたオフィスから追い出された。


 鑑賞に浸る間もない最後に、涙も出ない。


 犯罪者のように腕を掴まれて連れて行かれる。すれ違う、知らない社員までもがヒソヒソと話しながら私を見ている。


 知らなかった、長年……勤めてきた会社にこんな一面があったなんて。坂野さんや山田さん……それに海斗がこの姿を見たらどう思うだろう。


 私は、みんなの期待に応えられなかった。


「入りなさい」


 また、棄てられるように解かれる腕、突き飛ばされて入った部屋は薄暗くて狭い。管理二課……聞いたこともない部署は、管理課の隣にある小さな部屋だった。


 立ち上がって見回すと、あるのは古いメモリーの棚と旧式のPC一つだけ。


「勤務時間は10:00~17:00、業務は特にない。それを使って反省文を毎日提出するように」


 ドアは閉められ、一人取り残される。


「ちょっとは……楽になるかな」


 何だか、身体中から力が全部抜ける。暗い部屋で一人……何もかもどうでも良くなって、座り込んでいた。







 そんな遥のピンチを海斗は知るはずもない。今日も一人、あの公園のベンチに座り、頭を抱えていた。


 “助けて……海斗”


 聴こえてきた声、いつもは名前だけだったのに助けてと叫んで、間違いなく俺を呼んでいる。


 行かなきゃ……でも、どこに行けば会えるのか、それが誰なのか……どうしても思い出せない。


 確かなのは、ここにいる時が一番、声がよく聴こえるっていう事だけ。


 “遥……”


 浮かぶ通り、心の中で呼んでみる。


 “遥……どこにいるんだ、教えてくれ”


 初めて、想いを伝えてみる。


 その時、背後に人の気配を感じた。


「久しぶりですね」


 振り向いた先にいたのは、背の高いスラッとした女性……黒い髪を一つにまとめている、憶えのない人だ。


「俺のこと……知ってるんですか? 」


 そう尋ねる。でもその人は表情も変えず、何を考えているのかよくわからない。


「草野海斗、今さらとぼける必要もないでしょう」

「とぼけていません。すみませんが記憶がなくて……自分の事もよくわからないんです。何か知っているなら教えてもらえませんか」

「記憶がない……なら話すことはありません」


 その人は、背を向けてさっさと歩いていってしまう。


「ちょっと待って下さい!! 」


 とっさに引き留めていた。この人なら知っている、なぜかそんな気がする。


「遥……その言葉の意味を、ご存知ですか? 」


 考えているのだろうか、立ち止まったまま、返事は帰ってこない。


「聞こえてるんです、ずっと。でも全然……思い出せなくて」

「そんな大事なことすら、憶えていないのですね」

「大事なこと……」

「思い出せなくても構いません。その方が彼女の為です」

「彼女……どういうことですか、何か知ってるんですね、あなたは……あなたは誰ですか」

「私の名など、なおさら必要ありません」

「助けを! 」


 歩き出す彼女、引き留めなければ永遠に謎のままだ。


「声が、助けを……求めているんです。何かあったのかもしれない、どこに行けば会えるんですか!! 」

「知りません。第一、思い出せもしないのに会いに行って何と言うのです……迷惑なだけです」


 それだけ言って歩いていってしまう。もう、どれだけ叫んでもその人が振り返ることはなかった。







 今更、海斗の記憶を消すなど……何をするつもりだろうか。


 水野は地下室へ戻り、暗闇を見つめながら思考にふけっていた。遥の記憶を消す為か……それも一つだろう。でもそれなら遥の記憶だけでいいはず。


 以前の海斗が、こちらに寝返ろうとした事がバレたのだろうか。だとしたら……この街に帰ってくるわけがない、危険すぎる。


 理解できない、英嗣の行動が。


 しかも最近の草野医院はいつ行っても患者を診られるよう、しっかり開いている。どういう風の吹き回しだろう。


 英嗣は医者の仕事が嫌いなはず。


 会って直接、尋問すべきかもしれない。でも捜査されていると知れば、必ず逃げる。


 今度こそ……必ず始末する。海斗が全てを思い出す前に、遥と再会する前に。


「ご無沙汰しております。羽島新総帥」


 本来なら声も聞きたくない人間、それでも今度しくじったら次はない。幸いこの跡継ぎは残酷な人間、捕まえて殺すことを反対などしないだろう。


 こうして強制捜査に踏み切ることが決まった。







「タマ、走りに行くよ。仕度して」


 理不尽な異動で気持ちの切れた遥は、この日、何年ぶりかで仕事を休んだ。


「はるちゃん、せっかくのお休みだし、今日は暑くなるからお部屋でゆっくりしようよ」

「お願い、タマ。走ってすっきりしてきたいんだ」


 遥の心は、重いもやが幾重にも重なるように立ち込めていた。会社の事、社長の事、仕事……橋本君や環ちゃんの事、考えなきゃいけない事はたくさんある。それなのに……なぜか頭のほとんどを占領しているのは、海斗の事。


 忘れようとすればするほど、あのくりっとした瞳に見られている気がして……眠れなかった。


「気をつけていってきてね」


 タマに見送られて外に出る。疲れたのは頭と心、今は何も考えたくない。溜まった鬱憤を晴らすように、ペースを上げて走り始めた。


 

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