第32話:ファングジャイアントボア

「うわ、でっけぇええええ」


 子供の一人が驚きの余り大きな声をあげている。

 確かにこれだけ巨大な猪を見たら驚いてもしかたがない。

 シスターの友達になった狼どころか、虎よりも大きいのだ。

 いや、軍馬どころか輓馬よりも巨大な猪なのだ。

 体重一トンを超える輓馬よりも大きい猪など、俺も見た事がない。

 こいつを狩ることができたら、虎たちのエサに困る事はないだろう。

 いや、子供たちに美味しい猪肉を食べさせてやれる。


 だが、問題は一撃で狩ることができるかだ。

 剛毛と皮にも固そうだし、皮下脂肪もそれなるの厚みがある。

 なにより盛り上がった筋肉が固く厚みがある。

 宝剣を柄まで差し込んでも、心臓に届かないかもしれない。

 一撃で狩ることができなければ、馬車に突進してくるだろう。

 あの巨体なら、馬車をひっくり返すことができるかもしれない。


 ならば槍に持ち替えて心臓まで届くくらい突き入れるか。

 シスターの魔術防御を展開してもらえば、馬車を破壊される心配もない。

 シスターの補助魔術を展開してもらえれば、一撃で心臓に届くのは確実だ。

 シスターほどの魔力量なら、この後少々の問題は発生しても、魔力切れで追い込まれる事もないだろう。

 うん、ここはファングジャイアントボアを狩るのが一番だな。


「まあ、まあ、まあ、まあ、お腹が空いたの。

 なにか私に頼みたい事でもあるの。

 まあ、まあ、まあ、まあ、食料不足で奥さんの乳の出が悪いのね。

 そうなの、食べ物の少ない皇国から逃げてきたの。

 バルド様、この子に食べ物を分けてあげてくれますか」


 ああ、ああ、ああ、動物と心を通わせるというのは、こういう問題があるのか。

 ファングジャイアントボアを味方にできるのなら、とても強力な助っ人になるだろうが、エサを用意する身になると、とても頭が痛い。

 輓馬などのために莫大な量の野菜と雑穀は用意してある。

 敵の軍馬を魅了した後で再補給した野菜と雑穀もある。

 敵の軍馬を売り払ったから、大量の食糧を買う余裕はあると思うが……


「分かりました、私がこいつの奥さんと子供の所に行きましょう。

 シスターは魔術防御を展開してここにいてください。

 絶対に誰も馬車から降りないようにしてください。

 お前たちも分かったな」


「「「「「はい」」」」」


 俺は忍者スキルを使って全力で駆けた。

 それくらいしなければファングジャイアントボアについていけなかったからだ。

 ファングジャイアントボアはとても家族想いのようだ。

 その点は感心できるのだが、こいつらどれくらい喰うんだ。

 輓馬と同じくらい喰うようだと、これから立ち寄る村ごとに余剰食糧を買わないといけないが、まあ、何とかなるだろう。


 ただで手に入れた敵の軍馬を相当高値で売ることができた。

 そのうえに、税金などは払わないですんでいる。

 不浄な金ではあるが、盗賊団の宝を奪う事もできている。

 よほど無駄遣いをしない限り、金に困る事はないだろう。

 そんな事を考えながら、ファングジャイアントボアの後をついていった。

 たどり着いた先には、痩せ細った雌のファングジャイアントボアがいた。


 一目見て病気なのが分かった。

 単に食料不足で痩せているのではない。

 雄が愚かで間違えたのか、それとも最後に美味しい物を食べさせてやりたかったのか、俺には雄の気持ちなど分からない。

 だがそんな状態なのに、子供たちに乳を与えようとしているのを見たら、涙が流れそうになってしまった。


 とても乳などでないであろうに、自分の血を飲ませ出ても育てようとしている。

 そんな母猪の乳を吸おうとしている六頭の子猪が哀れでもあった。

 こんな状態を見てしまったら、俺も覚悟を決めないといけない。

 本心はシスターの安全を最優先したいのだが、そうも言っていられない。

 それに、こんな状態のファングジャイアントボアを見捨てたら、シスターに蔑まれてしまうかもしれない。


 シスターを護るためなら、憎まれたり恨まれたりする覚悟はしている。

 だが、シスターにほとんど危険がないと分かっているのに、過保護にし過ぎてファングジャイアントボアを見殺しにして、蔑まれるのには耐えられない。

 俺は急いで魔法袋から野菜を取り出して山にした。

 猪が大好きな薩摩芋と山芋を中心に野菜の山を築いた。


「直ぐにシスターを呼んでくる、お前は子供たちと一緒にこれを食べていろ。

 おっと、忘れるところだった、怒るなよ」


 何とか乳離れしていたのだろう、子猪たちが芋の臭いにつられて母猪から離れた。

 それに父猪が気を取られ、一瞬俺を見る眼がそがれた。

 俺はその瞬間を逃さなかった。

 忍者スキルを全て動員して、気配を消して素早く母猪に近づいた。

 そしてその口に、輓馬に与えるのと同じ量の体力回復薬を突っ込んだ。


 ブッフォオオオオオ


 父猪が怒り狂って突っ込んできた。

 俺の想いは伝わらなかったようだ。

 だが、愛する妻が死病に囚われて死にかけているのだ。

 冷静な判断を求める方が無理なのかもしれない。

 動物と心を通わせるシスターのような思考になっている自分を笑ってしまう。

 

 俺はまた忍者スキルを全開にして逃げた。

 できる限り急いでシスターの所に戻らなければいけない。

 体力回復薬を無理矢理口に突っ込んだが、どれくらい効果があるか分からない。

 なにもせずにシスターの所に戻ったら、もう一度母猪の所に来るまでに命が持たないと思ったから、父猪が怒り狂うのを承知で無理をしたのだ。


「シスター、母猪は死病に侵されている。

 助けるには快復魔術が必要になるが、使えますか」


「はい、大丈夫です、エリアパーフェクトリカバリーも使えますよ」


「だったら急いで母猪の所に行きます。

 もう一刻の猶予もありません。

 お前らは絶対に馬車から降りるなよ」


「「「「「はい」」」」」

「「「「「おりません」」」」」


「大丈夫ですよ、バルド様。

 二時間は何があっても壊れない魔術防御を展開しておきます。

 動物たちにも、近づく者は追い返せと言っておきます」


「だったら、もう行きます」


 俺はそう言うと、シスターをお姫様抱っこして駆けた。

 今回も忍者スキルを全開にして駆けた。

 あの母猪の姿を見てしまったら、どうしても助けてあげたいと思ってしまう。

 俺の元々の性格は結構冷たい人間だと思う。

 それが前世の躾と今生に騎士道精神を叩きこまれた影響で、婦女子に対する優しさを発揮できる人間性になった。


 だが、動物に対しては、今生では何も叩き込まれなかった。

 むしろ食料として狩れと教えられてきた。

 前世の動物愛護精神が残っていたとしても、これほど感情が揺さぶられるとは思えないから、全部シスターの影響だと思う。

 こんな埒もない事を考えていないと、脳髄を直撃するシスターのいい匂いに理性を失ってしまいそうだ。

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