第40話 路上ファイト

 雑居ビルの隙間は明かりがなく、奥へ行けば行くほど暗い。奥にはビルの非常階段、その横のゴミ捨て場にゴミ捨てのカートがある。カートに入り切らないゴミ袋が散乱していた。その奥が通り抜けできるか、ここからは暗くて判別できない。俺たちはその暗がりを背中に向けて、ホストの男に対峙している。

 一方、ホストの男は明るい大通りを背にしている。大通りには、こちらの争い事を知らない大勢の人たちが行き交っている。俺たちがこの場から逃げるには、賭けで奥へ逃げるか、この男を倒さなければならない。相手は1人。こちらは3人だが、ホストの男の構えを見れば、俺とイズーでは太刀打ちできないことくらいわかる。構えているダンゴムシの背中にも緊張が走っていた。多分、相手もボクサーだ。

 そう言えば、ホストクラブで初めて会った時も、ダンゴムシは他のホストに「あいつは格闘技か何かしているのか」と聞いていた。もしかしたら、ボクサー時代の知り合いのようなものか。

 それにしても相手は若過ぎる。50を越えたダンゴムシと対戦したことがあるとは考えにくい。これはボクシングをやっている者同士がわかる匂いとか勘みたいなものか。


 こいつは十中八九、不知火たちの刺客に間違いない。まさかこんなところから現れるとは。その時の対象者は「元倉洋介』。元倉の友人を辿り、歌舞伎町のホストクラブまで行った。そこにこの刺客が潜んでいたのだ。警察の俊敏な動きと計算、情報網に驚かざるを得ない。

 しかし、待てよ。この男、そのホストクラブでNo.1を争うほどの人気だと言っていた。新人ホストなら潜入も考えられるが、店のトップまで行くには時間がかかるだろう。人気No.1も嘘なのか。すると、あの受付をやっていたホストもグルになる。でもあの時、客もこの男を見てキャーキャー言っていた。客も演出なのか。すると、あの店も警察とグルなのか。下手したら元倉洋介の殺しを依頼してきたあの親子まで疑わしく思える。俺たちは大きな蜘蛛の巣にハマってしまった獲物だ。もがいても逃げきれないと思うと、背中に冷たいものが走った。


「お前、ずっと追跡けてたのか」


「アンタなら、気づくと思ってたよ」


「なんでこんなことする」


「それは、アンタがだからだよ」


 ホストの男はあっという間に間合いを詰め、ダンゴムシにボディブローを入れた。ダンゴムシは咄嗟に腰を引いたが、ボディにモロに食らった。グッと息を漏らしたが、前に屈んだ体を反動させ、右腕を突き上げ、男の頰にジャブを入れた。男は少し足をふらつかせたが、2歩ほど退がった。唇の端が切れて、血が流れていた。


「くぅぅー、やっぱアンタ凄えや。歳食っても流石ですね」


 男は唇の端を手の甲で拭い、ヘラヘラとしていた。


「目的はなんだ」


「そりゃあ、こっちが聞きたいよ。アンタ、なんでこんなことしてる」


「俺のこと知ってるみてえだな」


「ボクシングやってりゃ、アンタのことは誰だって知ってるよ」


「じゃあ、お前は誰だ?」


 え?知り合いじゃないの。


「お前、たしか店でタクヤって名乗ってたが、本当の名前じゃねえだろ」


「残念だね。俺の知名度もアンタに名前知られてるくらいに思ってたけど」


「知らねえよ。だけど、オメエもボクサーだろ」


 2人の会話が続いていた。ただ雑談をしているわけではなく、お互いに相手の隙を探しているのだ。ふとイズーに目をやると、ポケットからこっそりとバタフライナイフを出していた。俺はイズーに向けて首を振った。この男にそんな物じゃあ対抗できない。ここは、ダンゴムシに任せるしかない。

 イズーは「ちょっと奥、見てくる」と言ってその場を離れて、奥の非常階段の方へ走っていった。すぐに戻ってきて、「ダメだ。行き止まりだった」と首を振った。

 もう選択肢は1つしかなくなっていた。


「矢橋誠司って言ったら、知ってくれてますかねえ」


「矢橋?!」


 記憶に引っかかるのか、思い出すためにダンゴムシは少し視線をずらした。不意を突いて矢橋という男がダンゴムシに殴りかかった。反射的に足が出る。


 この場を離れるにはこの男を倒すか、交わさなければならない。この臨戦態勢で表の通りに飛び出せば、すぐに警察沙汰になってしまう。喧嘩や犯罪の起こる歌舞伎町では、いつも警官がウロウロしている。警察沙汰は避けたい。


「反則じゃないです?」


「うるせえ、俺はもうボクサーじゃねえんだよ」


 無鉄砲に飛び蹴りを繰り出した。矢橋は慌てて避けたが、腰の辺りにヒットし、よろけた。俺たちはすかさず表通りに出て走った。

 すぐに態勢を整えた矢橋は、ダンゴムシの前に立ちはだかる。そしてパンチの応酬。ダンゴムシもそれに迎え撃つ。「喧嘩だ」とすぐに野次馬が群がり、遠くからホイッスルの音が聞こえた。警官が走ってくる。


 矢橋はまたダンゴムシと間合いをとり、拳を下ろして「こっちだ!」と手招きしながら、すぐ近くのビルに入っていった。ここで逃げればいいのに、ダンゴムシは矢橋の後に続いた。なんで?


 矢橋は階段を駆け上り、上がってすぐの店の扉を開けた。


「なぁにぃ、タクヤちゃん。どうしたの?」


 派手なメイクと服装の女が矢橋に抱きつこうとしたのをかわし、「非常口、借りるよ」と店のカウンターに入り奥へと進んだ。非常階段から下に逃げると思いきや、上に駆け上がっていく。

 屋上まで行くと、柵を飛び越え、隣のビルの非常階段の踊り場へジャンプした。マジか!ガタンッと鉄の音が響いた。


「早く!」


 ビルとビルがひしめき合い、隣のビルまで2メートルほどだが、10階から見下ろすと足がすくむ。

 ダンゴムシとイズーも続けて、さっと飛んだ。俺も行くしかない。ヒャーっと変な声を出して地面を蹴った。ほんの一瞬で向こうまで辿り着いたが、非常階段の手摺りに思い切り肘を打ち付けてしまった。鼻まで響いた。顔の腫れが治ったばかりなのに、今度は肘が腫れるぞ、と思いながら彼らの後へ続いた。

 飛び移ったビルの非常口から裏の通りに出た。

 人通りが少ない裏通りに、1台のタクシーが路肩に寄せて停まっていた。休憩場所に選んだのか、運転手は居眠りをしていた。

 矢橋は助手席のドアをノックし、運転手を起こすとそのまま助手席に乗り込んだ。運転手はアクビを噛み殺して目を瞬かせ、レバーを引いて後部ドアを開けた。矢橋は助手席の窓を開けて「乗ってくれ」と言った。ダンゴムシが先に乗り込み、俺を真ん中にして乗り込んだ。

 さっきまで一触即発だった彼と、なぜかタクシーに乗り込む羽目になった。展開が読めない。タクシーは人混みのネオン街をすり抜けて行く。



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