第41話 矢橋

 矢橋は運転手に行き先を番地まで告げていた。運転手は言われた通りの住所をナビで設定した。画面のマップではマンション名が表示されていた。まさか、今からコイツの家に行くのか。

 ダンゴムシに目をやると、助手席に座った矢橋をずっと睨んでいる。隣ではイズーが落ち着かない様子で「これって、どういうことですか」と聞いてくる。俺は首を傾げるだけしか返せない。聞きたいのは、こっちの方なのだ。


 ひんやりとしたタクシーのクーラーが汗を冷やし、寒気がするほどだった。しーんとした空気の中、口火を切ったのはダンゴムシだった。


「お前、敦也あつやせがれか?」


 矢橋は振り向いて、唇の端を上げた。


「お前だろ。俺のマネして入場曲、ミッシェルにしたのは」


 とは、ダンゴムシが好きなロックバンドだ。俺がこの仕事に関わったばかりの頃、執行の最中は何を考えているのかダンゴムシに聞いたことがあった。彼は、頭の中でミッシェルを歌っていると答えた。その曲は彼が現役時代の入場曲だったと聞くと合点がいく。それに彼の妻のニックネームが『ルーシー』ときたら、尚更だ。


「アンタが『ゲット・アップ・ルーシー』使ってたから、俺は『バードマン』にしたんだよ」


 後部座席から見る矢橋の横顔は、ダンゴムシの記憶に残っていて嬉しいのか、笑っているように見えた。


「いい線までいってたんじゃねえのか。なんで辞めて、そんなことやってる」


「それはアンタだって同じだろ」


 ふんっ、とダンゴムシは鼻で笑った。


「俺はアンタに憧れてたんだ。それがなんであんなことをしたんだ」


「はあ?それはこっちのセリフだろ」


 タクシーの中には運転手という部外者がいるので、とかとか、濁す言葉で会話しているのだが、話が噛み合っていない。矢橋が鋭い目つきで振り返り何か言いかけたが、運転手の顔を見てそれを飲み込んだ。

 そうこうしているうちに目的地まで着いた。タクシーを降りると、そこは見上げるほどの高級そうなタワーマンションだった。


 タクシーが去るのを見送ると、矢橋は掴みかかってきそうな勢いで話し始めた。


「俺は、アンタが佐藤を訪ねて来た時から、ずっとアンタたちがやってることを見てきたんだよ。だいたい何やってんのか、わかったよ。だけど、殺しは無えだろ」


 矢橋は「殺し」のところだけ少し声量を抑えた。人通りはなかったが、どこで誰が聞いているかわからない。ベランダに出ている住人に聞かれてしまうかもしれない。

 彼は俺たちがオカモトを殺したものだと勘違いしている。


「お前がったんじゃねえのか」


 ダンゴムシは俺たちが思っていることを代弁した。俺たちは彼が殺したと勘違いしていた。思い返せば、オカモトへの銃声が聞こえた時、走って逃げたのは黒いパーカーの男。背格好は同じくらいだったように思うが、矢橋は白いTシャツの上にベージュの薄手のサマージャケットを羽織っている。パーカーからジャケットに着替えるのは簡単だが、態々わざわざ着替えてから追いかけてくるのでは辻褄が合わない。

 じゃあ、いったい誰が。


「とりあえず、家に上がってください」


 矢橋は堂々と高級なマンションのエントランスに入っていく。天井の高いロビーを通り、エレベーターホールに向かった。エレベーターは冗談のような金色の扉だった。外資系の派手なホテルみたいだ。これが所謂いわゆるというやつか。賃貸だったとしても、家賃とか1ヶ月50万以上とかするのだろうか。

 凄いな、としか思わない。逆に趣味を疑ってしまう。ホストでNo.1ともなると金の使い方がわからなくなってしまうのか。



 まあ予想はしていたが、必要以上に広い玄関。大理石の床は土足で踏んでいいのか躊躇してしまう。ダンゴムシはヨレヨレになるまで履き込んだ革靴をポンと脱ぎ、当たり前のように部屋に上がり込んだ。

 またまた広々としたリビングにでっかいソファが真ん中に構え、そこへ当たり前のようにド真ん中にダンゴムシが座った。そしてまた当たり前のようにタバコに火を点けようとするので、「やっぱり禁煙じゃないですか?」と声をかけた。ダンゴムシは火を点けるポーズのまま止まった。

 すると矢橋は「吸っていいですよ」と高級そうな小皿をソファの前のテーブルに置いた。ダンゴムシは遠慮することなく、そのままのポーズでダンゴムシに火を点けて「お前も」と俺にタバコを寄越す。俺は遠慮した。


「これって、灰皿?」


 その高級そうな小皿を指差すと、「灰皿無いんで。違うけど、いいですよ」と、こちらも当たり前のような顔をしている。

 俺とイズーは、ソファの端に座り、この状況を飲み込めないでいた。

「なんか飲みます?」と矢橋は言って、こちらの返事を待たずにワインセラーみたいな棚から1本選び出した。俺たちの目の前にワインが並べられた。「そんな気を遣わなくていいですよ」と言っているのに、当たり前のようにポンッと栓を抜いた。なぜこの状況でシャンパンなんだ。


 タバコを吸い終わったダンゴムシは、シャンパンを一気に飲むと下品にゲップをした。


「で、敦也は元気にしてんのか。ジムの方は賑わってんのか」


「ウチのジムは相変わらずのオンボロジムですよ」


「お前が、こんなに儲かってんなら、親父のジム綺麗にしてやったらどうだ」


「俺がボクシング辞めてホストやってる時点で、勘当されてますよ」


 ダンゴムシは、フンッと鼻で笑ってまたタバコに火を点けた。


「なんであんか辞め方したんだよ」


 そう言われると彼は少し俯き、深い溜息を吐いた。

 ダンゴムシは、勝手がわからない俺たちの方に顔を向けた。そしてわからない俺たちに説明し始めた。


 彼の父親の矢橋敦也は、ダンゴムシと同じミドル級のボクサーだった。ダンゴムシとは何度か対戦したことはあった。当時、無敗で知名度もあったダンゴムシと比べ、矢橋敦也の戦績は著しく、早々に引退した。

 引退してから暫くは連絡を取り合う友人関係だった。矢橋敦也は息子をボクサーにするため引退してすぐにボクシングジムを立ち上げた。現役時代の矢橋敦也自身が人気のあった選手ではないため、個人で立ち上げた小さいジムでは門下生が少ない。所属するボクサーも強い選手が育たず、経営は厳しかった。

 そこへプロテストに受かりデビューしたのが、息子の矢橋誠司だった。デビュー戦で勝ち星を上げる華々しいデビューだった。当時話題になったのは、無名の小さいジムからデビュー戦で勝ち星を上げたことだけではなく、そのファイトスタイルがノーガードて挑発的な態度で煽り、1ラウンドでKO勝ち。まさにダンゴムシのスタイルそのものだったことだ。

 俺はスポーツ新聞も読まなければ、スポーツニュースも見ないから知らなかったが、相当な話題になったらしい。彼のデビュー戦の頃は、すでにダンゴムシも引退してボクシング界から姿を消していた。そのファイトスタイルから『桐島譲次の再来』と騒がれていたようだ。瞬く間に日本ライト級王者に。そして翌年のチャンピオン防衛戦を勝利。そして2度目の防衛戦の日、ベルトをリングに残したまま、試合もせず突如ボクシング界から消えた。


「あれはメチャメチャ叩かれましたよ。勝ち逃げだの、チキンだのって好き勝手言われて。ネットで炎上って言うんですか、心無いこと書かれましたよ。中には、再起不能の怪我をしてるんじゃないかって憶測で俺を擁護してくれるコメント書く人もいて。でも、正直どう思われたって良かった。防衛したって、また挑戦者が現れる。また防衛する。防衛するためにトレーニングする。強い奴が目の前にいて、倒すために強くなるんじゃねえ。倒されないために強くいるっていうのが、もうつまんねえって思っちゃったんすよ」


 ダンゴムシはそれを聞きながら、ふっと優しそうな眼差しになった。彼の言うことに同調するような笑みだ。俺たち凡人には、「倒すために強くなる」ことと「倒されないために強くいる」の違いがよくわからない。イズーなんか話そっちのけで美味い美味い言いながら、手酌でシャンパンを何杯も飲んでいた。


「カッコつけて、リングにベルト置いていなくなるなんて演出、あんなダセえ辞め方あるか?」


「歌手とか引退する時、ステージにマイク置くじゃないですか」


 俺の偏見だが、どうも俺の周りにいるボクサーや格闘技経験者は発想が単純な気がする。


「挑戦者がアンタだったら辞めてなかった」


「階級が違うだろ。それに俺はスランプで辞めてる。今、マジでやってもお前が勝つだろ」


「俺はアンタを倒したくて、ボクサーになったんだ。小さい頃、アンタと親父の試合見に行ったんだよ。もう力量の差がハンパなくて、親父はボコボコだったよ。自分の親父が負けてんだよ。なのにアンタに魅力された。俺はアンタみたいに強くなって、試合でアンタを倒したいって思ったんだよ。親父の仇討ちとかじゃなくて」


「俺のスタイルをマネしてか?」


「アンタのスタイルで、アンタに勝ちたかったんだよ。なのにアンタはいなくなっちまった。もうボクシングに興味がなくなってたね。それでも王者まで目指した。簡単になっちまった。続けてれば、もっと強い奴が出てきたはずだ。でも、強い奴と戦うことが目的じゃなかった。俺はアンタとやりたかったんだよ」


「気持ち悪い奴だな」


「もうボクシングに興味がなくなっちまったから、適当にブラブラしてて、夜の街でもトップ目指そうかと思ったら、すぐにNo.1だ。夜の街も、もうつまらねえ」


「まったく気持ち悪い奴だな。自分で男前って言うのか」


「俺とアンタの違いは、ノーガードでも顔面にパンチ貰ってねえからな」


 矢橋は自分の頰を軽く叩き、軽口を叩く。このナルシストぶりは身近にもいたな、と義理の弟ジバンシイのことを思い出した。


「夜の街にももう飽きた。そんな時、俺の前にアンタが現れたんだよ。俺は今アンタが何をしてるか興味が湧いた。俺は、アンタたちを暫くつけてたんだよ」


 ダンゴムシがずっと気にしていた者の正体は、彼だったのだ。




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