第38話 予想外の展開

 その後も依頼はきている。

 俺たちは、不知火のことを警戒しつつも、来た依頼は引き受けた。新メンバーのルーシーもイズーも、俺たちのルールを理解し、次第に慣れてきた。

 俺とロイホは鈍った体を鍛え直すために、毎日楓が決めたメニューでトレーニングしていた。運動音痴の俺でも、むかしダンゴムシとフジコに鍛えられた感覚が多少なりとも蘇ってきた。だとしても、40を超えて体の衰えを感じざるをえない。まだ20代のロイホが筋肉痛を訴えているが、こちらは筋肉どころか関節まで痛い。錆びたブリキのオモチャみたいに体を動かすたびにギシギシと関節が鳴る。


 ダンゴムシはまだ謎の尾行を気にしている様子だったが、あれから特に何も言ってこない。気を張っていて敏感になりすぎていたのかもしれない。


 現在、2件依頼を受けている。

 1つはオレオレ詐欺に引っ掛かってしまった老夫婦の息子からの依頼で、これはすぐに片付いた。受け子の大学生のバックには大きな組織は関与していなく、ただの不良グループの集まりだった。前回の『執行』で味をしめたのか、イズーはまた医者の格好をして解剖ショーで脅した。


 そして今はダンゴムシとイズー、それと俺の3人はもう1件の『執行』をするために対象者を張っていた。対象者はオカモトハルヒコ、元ボクサー。少々問題を抱えた人間で資格を剥奪されていた。自転車で車に傷をつけられたと因縁をつけ、高校生に暴行をはたらいた上に慰謝料まで請求した。高校生はその怪我が元で部活を辞めなければならなくなった。スポーツ推薦で入学したため学校での居場所を失い、引き篭もり状態だという。これまで調べたところ被害者はこの高校生だけではなく、とにかく素行が悪い。中には弁護士をたてて慰謝料を払わなかった家族に執拗な嫌がらせをして、一家心中してしまったというケースまで見つかった。

 その嫌がらせは立件できず、証拠不十分で無罪になっている。一家心中した家は、母親だけ一命を取り留めたようだが、残った母親にしてみれば悲惨な結末だ。

 だが依頼は、あくまでも暴行をくわえられた高校生の親からのもので、俺たちと一家心中した家族にはなんの接点もない。話を聞いただけで、俺たちが仕返ししてやりたくなるが、ここは冷静に判断しなければならない。俺たちは単なる復讐屋ではないのだ。対象者も更生させることで、依頼者の無念も晴らし後々の生活を取り戻してもらうのだ。

 いつもと同じことをすればいい。むかし、妻の楓に教わった。


 考えてはダメだ。右にあるものを左に動かすだけ、殺す時は、殺すことだけを考える、余分なことは考えない。


 対象者が依頼者にしてきたことがあまりにも酷い仕打ちだと、こちらに感情が入ってしまう。感情に揺さぶれるようだと任務を全うできない。

 ダンゴムシは、同じ元ボクサーとして許せないものがあるだろう。「大丈夫ですか?」と声をかけると、「心配するな」と目配せをして言った。俺が思っているよりダンゴムシの方が冷静なのかもしれない。


 俺たちは新宿区にある高級そうなマンションの前でオカモトを張っていた。ここ数日オカモトの行動を張っていたが、柄の悪い連中と行動していることが多く、なかなか1人にならない。オカモトが連るんでいる輩だから、それらも悪い奴なのだろうが、依頼とは無関係の人間を巻き込むと後々面倒が起こる。オカモトが1人になるのは彼が通うクラブのホステスの家に出入りする時だけだ。このマンションが、そのホステスが住むマンション。そのマンションのエントランスが見える近くのマンションの非常階段に身を隠している。現在夜の9時を回ったところ。この日はホステスが公休日。宅急便で部屋番号を押し間違えたフリをし、家にいることを確認した。今日、オカモトは必ず現れる筈だ。


「来た」


 イズーが、いち早く暗闇の中からオカモトの存在を視認した。マンションの前の通りは街灯が少なく薄暗い。マンションのエントランスの光が煌々と輝いてみえる。

 オカモトと思しき人物は1人だった。女の家には仲間を引き連れてくる可能性は低いが、ゼロとは言い切れなかった。無関係の人との接触を避けるため、もし今日連れがいたとすれば、『執行』は延期する予定だった。1人なのは都合がいい。

 できれば女とも接触を避けるため、女の部屋に行く前に拉致したい。ただ人違いであってはならない。背格好はオカモトだが顔がはっきり見えない。エントランスまで来て、明るい光の下、ちゃんと顔を確認してから行動に移す。


 迎えのマンションの非常階段でしゃがんでいた俺たちは、

 中腰になって、そちらを覗いていた。オカモトらしき人物は下を向いているので顔が陰っている。エントランスに上がる2段の階段を上がると、陰っていた顔がはっきりと見えた。オカモトだ。

 顔が確認できたところで、俺はロイホに連絡した。遠隔操作でマンションの防犯カメラを妨害するためだ。


「よし」


 1番手前にいたイズーが道路に一歩足を出したところ、「待て」とダンゴムシがイズーの袖を引っ張り、止めた。

 オカモトの2、3歩後ろに黒いパーカーを来た男が歩いて、同じエントランスに入っていく。他の住人に顔を見られるのもマズい。

 もしパーカーの男がここの住人、あるいはここの住人の客であれば、同じエレベーターに乗ることになる。今日は諦めるしかなさそうだ。


 そう落胆していると、パンパンパンッ、と乾いた音がした。マンションの壁に反響して、耳が痛くなるほどの大きな音だった。突然の大きな音に驚き、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。イズーは腰を抜かし転んで、ダンゴムシは耳を塞いでいた。

 キーン、と耳鳴りがする。


「まさか!」


 ダンゴムシは立ち上がり、エントランスまで駆け寄った。俺はダンゴムシを静止しようとしたが間に合わなかった。俺もイズーもなにがなんだかわからないまま、とにかくダンゴムシに続こうとヨロヨロとした足取りでエントランスに向かう。


 エントランスの自動ドアが開くと、中に入らずに立ち尽くしているダンゴムシ。ダンゴムシの肩から向こうを覗くと、オカモトが大の字に倒れている。しかも頭部の辺りから何かが流れている。それは一目瞭然、誰が見たって『血』だ。

 パッパッパッ、と少し離れたところから足音が聞こえた。走り去るスニーカーの足音。さっきのパーカーの男だ。


「これ、ヤバくないです?」


 イズーが震える声で言った。

 なにがなんだかわからないが、いち早くこの場を離れた方がいいに決まっている。俺たちは目を合わせ頷くと、踵を返すと、ダンゴムシがもう1度、オカモトの方に近づいた。思わず「ダンゴムシ!」と名前を呼びそうになって口を塞いだ。渾名とは言え、こちらの素性が割れる手掛かりになるものは残してはいけない。


 ダンゴムシはオカモトの足元に手を伸ばし、何かを拾い上げた。


「なんすか!?」


「いいから、行け!」


「そんなのいいですから、早く!」


 俺たち3人は黒いパーカーの男が逃げた方向と反対方面へ走った。目撃者はいないだろうが、周りを見る余裕がない。マンションの上の階から目撃されているかもしれない。顔を伏せて走る。


 いったい何が起こっているんだ。あれは、確認するまでもない。どう考えたって死体だ。頭の形が原型を留めていなかった。思い出したら、喉元に酸っぱいものが込み上げてきたが、唾と一緒に飲み込んだ。道端で吐いている余裕なんてない。少しでも遠くに離れなければ。

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