第37話 尾行の陰

 ホテルに戻ると、俺は実家に電話をした。親父は特に変わりはないから心配するな、とすぐに電話を切られた。それよりも里穂の心配をしろ、と言うのだ。そんなことはわかっている。

 親父との電話のあと、すぐに澤村に連絡を入れた。


『もう、蟹は食いたくない』


 こちらの話を聞かず、一方的に話し始めた。相当食べたのだろう。怪我のことを嫌味で言っているのか。俺にとって『蟹』は禁句だ。

 こちらは里穂と慶太の安全を確認したいのだが、話題に上がらないというのは無事だということだ。向こうもほろ酔いで上機嫌だった。


『どうだ?土佐犬は』


「今日、執行に参加させましたよ」


『活躍したかね?アイツ、刃物捌きとか凄いだろ』


「サバイバルナイフ持たせた時は凄かったですが、メス捌きはヘタクソだってドクターに言われてました。少し訓練が必要ですね」


『メス?どんな執行したんだ?』


 澤村に事の詳細を説明した。第2案のフェイク動画の件も、俺だけ聞かされていなかったことも報告した。澤村は茶化すことなく真剣に聞いて、その判断は正しい、とだけ言った。


『やはり、父親の方が完全に落ちているかの点が気になるな。前例もあることだから気をつけろよ』


 前例とは香川警備保障の件だ。俺たちが解散することになった案件。執行対象者は息子と両親であった。当時のメンバーが母親に対する執行を手加減した。そのせいで返り討ちにあっている。澤村はそのことを気にしていた。


「なんで、彼だったんですか?」


 俺は率直な質問をした。魚を捌くのを見ただけで選んだと思えない。いや、澤村だったらあり得るかもしれない。


『始めはよう。やたらオーダー間違えたり皿割ったりして、トロい奴だなあと思って見てたんだが、あんまり怒られてるから可哀想になっちまってよ。皿割れたの俺たちのせいにすればいいからって、弁償する代金払ってやるから、あんまり怒わないでやってくれって店長さんに言ってやったら、アイツ泣いて喜んで。その店には3回くらい行ったかなぁ。次に行った時、これこの間のお礼です、なんて言ってサービスしてくれたんだけど、最後の会計の時値段間違えやがって、えらい金額出してきたんだ』


「なんか、想像つきますね」


『最後に行った時に、俺の顔見るなり寄ってきて、今日でクビなんで最後に会えてよかったです、なんて言うもんだから、仕事上がりに飲みに誘ったのよ。それでアイツの生い立ちを聞いたら、なんとも可哀想じゃない。兄弟でも自分だけバカだから医者にならねえって。アイツは落ちこぼれなんだよ。そういう奴見て、放っとけないだろ』


 俺が『殺し屋』をやるきっかけを思い出した。毎日同じことの繰り返しに嫌気がさして、仕事を辞めようか悩んでた時に澤村に声をかけられた。それは楓が仕組んだことだと後で知ったが、俺は俺で会社で落ちこぼれみたいなもんだった。いてもいなくてもいい仕事を自分がしていることで、社会から外れいてもいなくてもいい人間だと錯覚してしまっていた。

 気持ちが落ちている時、澤村のやっている仕事に興味が湧いた。手段はともかく、困っている人を助けることで、なにか社会に組み込まれた感じがした。


『なんでそんなに旅行ばかりできるんだ、なんか大きい会社の会長さんなのか、って聞いてくるから、俺のやってた仕事の話をしてやったんだ。そしたら、アイツ感動して泣きやがって。自分もそういう人の役に立つ仕事がしたいって。医者になれない自分でもできるからって、アイツ献血ばっかりしてるんだとよ。自分はAB型で特に足りてない血液だからってよ。だから自分も仲間に入れてくれって頼まれたけど、俺はもう引退したんだって断ったんだ』


 献血ばかりしてるから、足元がふらついて皿ばかり割るのではないか。いや、献血してなくても元からトロそうな奴だ。


『今は婿が引き継いで、今は少人数で細々とだか人助けをしてるんだって。だから、婿が人探してたら、聞いといてやるよって言ったのを思い出したんだよ』


 最後に岡田健一の渾名は『イズー』に決まったと報告すると、そう言えば何か刺青入ってたな、と笑っていた。


『里穂に替るか?』


 そう言う澤村の後ろで、「お父さん?話すことないよ」という里穂の声が聞こえたので、俺は断って電話を切った。無事が確認できれば、それでいい。


 電話の内容をダンゴムシに伝えると、


「そう言やあ、血糊じゃなくて本物の血を用意できないかドクターに確認しようとしたら、アイツえらい剣幕で怒ってたのは、そういうことか」


 と言った。


「そんなことよりな」ダンゴムシは途中まで言いかけたところ、部屋でも飲み始めたルーシーに呼ばれた。


「アイツは、どんだけ飲むんだよ」


「そんなことより、って何ですか?」


 ダンゴムシは、んー、と俯いて唸り、言い淀んだ。


「もしかしたら、誰かに、つけられてます?」


 ダンゴムシは顔を上げて、目を見開いた。


「シンイチも気づいていたか」


「いえ。なんか居酒屋に入る前にダンゴムシさんが様子が気になったので。やっぱり、不知火ですか?」


「多分、女じゃない」


「不知火の仲間かもしれないですよね」


「わからん。これは俺の勘だが、不知火たちの追手ではないと思う」


「じゃあ、誰なんですか」


「それも、わからん。気のせいかもしれん」


 そう答えると、ダンゴムシはルーシーのいる部屋へと向かった。

 俺はベランダの外を覗いた。ベランダから見える駐車場。その駐車場に停めてある車の中。車の陰。コの字型に立てられている建物の角。怪しい影はないか注意を払った。ベランダからはそれらしき人物は見えない。

 もし尾行されたとしたら、このホテルも安全ではない。不知火たちでないとすると、誰だ。『執行』を終えたばかりの元倉の関係者とは考えにくい。ここ最近、ダンゴムシが戻って来る前までは大きな案件を抱えることはなかった。しかし、復讐心に大きさは関係ない。どんな些細なことでも根に持つ人間はいる。楓たちと4人で対応してきた案件の執行後のケアは、依頼人と同様に対象者も行っているので考えにくいが、もう1度洗う必要がある。

 隣で聞いていたロイホも同じことを考えていたようで、パソコンを開き、ここ4年間で受けた件を抜粋していた。


「どれも考えにくいですね」


 俺たちに対して更生していた態度をとり、影では復讐のチャンスを伺っている。アフターケアを続けている対象者は、どの人も更生したように思える。


「怪しいと言えば、この人くらいですかね」


 ロイホはパソコンの向きを変え、1つのデータを見せてきた。2年前の案件。反社組織に加わって詐欺を働いていた青年。依頼人はその詐欺に遭った家族だ。一家心中未遂をしている。その青年は『執行』後、反社から足を洗い、更生してパン工場で働いているはずだ。名前は、新庄雅也しんじょうまさやという男だった。新庄の見た目は、反社組織の一員には見えない好青年だった。


「この人、つい最近パン工場辞めてます」


「明日、あたってみようか」


 俺とロイホは、明日パン工場と新庄の家に行くことを決めた。別の部屋でルーシーと飲んでいるダンゴムシを呼び、事の詳細を伝えた。


「もし、その新庄とかいう奴が復讐を考えていたとすると、依頼人の方も心配だな。念のため連絡しておいた方がいい」


 依頼人の名は、野村忠文と記されている。スペイン料理店を営んでいる。

 今では6店舗出店できるほど急成長した。東京に3店舗、神奈川、千葉、埼玉と関東圏内に広げている。まだ本店の1店舗しかない頃、新庄が儲け話を持ちかけ、店を担保に多額の借金を負わせたのだ。人気メニューを冷凍食品にして全国へ拡大させる。そのための新メニューの開発と工場の建設に資金がかかると持ちかけたのだ。

 野村さんは息子が1人、歳を取ってからの子供でまだ小さく、少しでも財産を残したいと考えていたところだった。『執行』は新庄個人のみで終わらせた。野村さんたちへの報復を考え大事にしたくなかったので、大元の反社組織にまで手を出すことはしなかった。執行後、下っ端の中でも下っ端だった新庄からは金を取れなかった。4年前の解散から、俺たち4人では大きい組織との関わりは避けてきた。その点では、以前よりも甘くなっているのかもしれない。


 俺は野村さんの携帯に電話をかけた。


『いやぁー、ご無沙汰しております』


 野村さんは明るい声で電話に出た。2年前に一家心中をしようとしたとは思えないほど、精力的に仕事をこなしている。もう野村さんは60歳近く、普通ならセカンドライフを考えるような歳の頃だが、まだまだ仕事をしたい気持ちで漲っている声だった。


『こちらからも連絡しようと思ってたんですけどね。忙しくて。どうなさいました?』


「あの、新庄くんのことですが」


 パン工場を辞めて、そのあとが気になる。まだ断定できないが、自分たちの周りでも誰かに見張られている。新庄の可能性がある。そちらでも、変わったことはないか、と聞きたかった。


『いやー、そうなんですよ。その新庄くんね。今、うちで働いてもらってるんですよ』


 話が急展開過ぎて、読めなかった。


『新庄くんがむかし悪いグループにいたことは、工場の社長さんは知っとったんだけど、他の従業員には黙っとったらしいんです。それが従業員たちにバレて、勤めづらくなって辞めようと思うって相談されたんですわ。それだったら、うちで働きなさいって。料理できんけど、営業に向いてると思うて。そろそろ地元の大阪にも7店舗目を出店しようかと考えとったところです。新庄くん、営業向いとるでしょ。私を騙した手口で』


 少々混ざる関西弁で一気に話すと、ガバガバと大きい声で笑った。


『新庄くん、うち来て1ヶ月ですけど、本当にやろうと思っとるんです。レトルト食品を作って全国へ広めようと思うてるんですわ。詐欺の手口が、本当になってもうて』


 俺たちの心配は杞憂に終わった。

 電話を切ると、ダンゴムシは溜息を吐いた。野村さんたちのことは杞憂だったが、ダンゴムシが気にする陰は解決していない。


「俺の気のせいかもしれねえからな」


 ダンゴムシはタバコを吸いにベランダへ出ていった。


「浅野さん。この新庄がいた反社組織って『東京サベージ』ですよ」


『東京サベージ』とは、井上誠との関連があると噂しれている半グレ組織の名前だ。不知火が常盤麗子と名前を偽り、井上誠を殺してほしいと依頼してきた。だだ、それは不知火が俺たちをハメるために用意された嘘の依頼だ。俺たちと井上誠と関連がなければ、東京サベージとも関連はないはずだ。俺たちが東京サベージに付け狙われる理由はない。


「なんなんだよ。ややこしくなってきたな」


 俺は頭を抱えるしかできない。











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