第36話 iZOO
俺たちは品川駅近くの居酒屋に集合していた。
帰りの
「いやー、疲れた疲れた」
ドクターは、彼が所有するドクターカーのシートで横柄な態度で体を横にしていた。このドクターカーは後ろが手術室になっていて、真ん中に手術台及び患者のベッドになっている。まあ救急車を想像してくれればいい。
両壁面に長いシートがあり、この大男は片側を1人で使い、寝っ転がっているわけだ。運転席には野口くん、助手席にロイホが座り、ダンゴムシとルーシーと岡田健一、そして俺の4人が後部の壁面のシート片側にぎゅうぎゅう詰めで座っているのだ。
「疲れたって、アンタ何もしてねえだろ。あの親子の処置も野口くんがしてんじゃねえか」
ダンゴムシが突っ込む。この大男ドクターは、澤村の旧友だ。この男に逆らえるのは、ここのいるメンツの中ではダンゴムシくらいしかいない。
「うるせえな。ちゃんと野口の横で指示してただろ」
横柄な態度と言葉の汚さは、ダンゴムシを上回る。
「お前、鼻、綺麗に治っただろ」
寝っ転がったまま、ドクターは俺に話しかけてきた。
「お陰様で」
あの痛さの恨みは、一生根に持つだろう。
「次の日、メチャクチャ腫れたんだって?」
楽しそうに人をおちょくる。性格の悪さは一級品だ。
品川駅に着くと、俺たちは車から降りた。野口くんはドクターカーがあるので帰ることになった。野口くんは下戸らしく、それにドクターカーは救急車よりも一回り大きく、通常の駐車場に停めることができない。
「じゃあ、ドクターも帰ったらよかったのに」
ダンゴムシが嫌味を言うと、あ?と不服そうな顔を向けた。
「バカヤロウ。俺が飲みに行きたいって言い出してんだ。主役がいなくてどうする」
「主役じゃねえよ、まったく」
予約した居酒屋のあるビルを見つけた。店は細い階段を上った2階にある。ダンゴムシは階段を上る前に、チラッと外の様子を気にしていた。何かあったのか聞くと、いや、と言っただけで、そのまま階段を進んでいった。
「じゃあ、コイツが主役か」
階段を上りながら、ドクターは岡田健一の肩を叩いた。
「今日はコイツの歓迎会にしよう」
なぜ、アンタが仕切る。
居酒屋に入り、従業員が個室へと案内してくれた。楓たちは先に到着していた。個室は8人のテーブル席で、横長のテーブルに4人ずつの迎え合わせになっていた。楓とミントは中央の席に並んで座っていた。楓たちの向かい側に、奥からロイホ、ドクター、岡田健一、ダンゴムシ、の順に座っていった。ダンゴムシの向かい、ミントの横にルーシーが座った。必然と俺の席は楓の横になる。
「どうだった?父親の方は」
楓は不機嫌ともそうでないとも取れる微妙なテンションで聞いてきた。
「息子の方は完全に落ちたと思うけど、父親の方は要観察だってダンゴムシさんが言ってた」
「そう。父親は第2案で落ちたんでしょ。息子の拷問でも落ちないなんて、親として終わってるよね。あり得ない」
俺たちは対象者の弱みを突き、膿を出す。大抵の対象者には『死』を疑似体験させるのだが、今回の父親は違う形で落とした。今までの暴力だけとは違う方法を取ったのだ。
今回ダンゴムシたちが立てた計画だと、秘書官をフェイク動画で射殺後、血塗れで出てきたダンゴムシが父親の元倉淳一郎をモデルガンで射殺する、という流れだったらしい。俺が別室に突入した時、ロイホが血糊の入ったスプレーをダンゴムシに吹き掛けるところだった。俺が突入することでその計画は台無しになったが、父親の謝罪動画を取ることはできた。
ダンゴムシは、実質依頼人の娘を傷つけたのは元倉洋介の方だから、父親の『死の疑似体験』はなくても問題はないと言っていた。だが、父親が完落ちしていなかったら自分のせいだ。事前に俺に知らせてくれていれば、そんな失態はなかったはずだ。そう咎めたがダンゴムシは、そこまでやらなくて良かった、と言っていた。
『俺たちの目的は、復讐を代行することと対象者が公正することで依頼人を助けるためだ。俺たちが復讐を楽しんではいけない』と真面目なことを言うが、俺の中で腑に落ちない部分が幾つかある。たまに自分たちがしていることが本当に正しいことなのか自信を失う。
「シンちゃん、大丈夫だよ」
楓は俺の気持ちを察してくれたのか、それ以上は何も言わなかった。
楓たちに今回の『執行』の流れと、親子の謝罪動画を見せた。
「なんなのコイツ」と言いながら、泣き叫ぶ元倉淳一郎のマネをして茶化す楓だったが、少しも楽しそうではない。みんなも同じ気持ちなんだ。これからは依頼人の方のケアを考えることに専念する。ただ復讐させるだけじゃない。依頼人とその娘さんに立ち直ってもらわなければ意味がない。
みんな重い気持ちを引き摺らないように、対象者を蔑むことを言う。
「そう言えば、いくら取れたんだ」
ダンゴムシがロイホに聞いた。元倉淳一郎の口座から掠め取った金額を聞いているのだ。ロイホの手段だと元倉淳一郎の口座から海外を経由して俺たちの口座に振り込まれるらしい。カナダかどこかの銀行から、世界のいくつかの個人口座を経由させ、どこからの出金かわからなくするらしいが、俺にはよくわからない。
「淳一郎本人の口座からは1.000万近くですね。息子や妻の口座にはほとんど残金はありませんでした。隠し口座までは確認できませんでした」
ダンゴムシは溜息を吐いた。べつに金が欲しくてやっているわけじゃない。俺たちはこういう形で掠め取った金を均等に分け、あとは自由にしているが、みんな結局のところ生活に必要な最低限の金を受け取るだけだ。あとは依頼人や福祉施設などに寄付してしまう。澤村も悠々自適に全国を旅行三昧しているが、旅行先で児童施設を見つけては寄附していると聞いている。
人間は必要以上の金があると、悪いことを考えてしまう。今は恐怖で抑えられているが、いずれ復讐心が生まれた時、金があると変な気を起こしかねない。金がないことでなす術がなく、自分の罪と向き合う時間が必要なのだ。澤村に、そう教えられてきた。だから彼らの金は根こそぎ奪う必要があった。
もしかしたら隠し口座なんてないのかもしれない。裁判官では上層部の人間だとしても、公務員の貯金なんて1.000万もあれば多い方なのかもしれない。息子の不祥事を揉み消しただけで、犯罪をして稼いでいるのではないのだ。ただ可能性として他に金があるのだとしたら。4年前の香川警備保障の件を思い出してしまう。ダンゴムシの溜息は、そのためだ。
「まあ、経過観察をして、また歯向かってくるようなら、そん時はコテンパンにやっちまったらいいじゃねえか」
ドクターはビールジョッキ片手に呑気な声で言った。
「それよりもだ!コイツの渾名を決めてやったのか」
ドクターのデカくて分厚い掌が、岡田健一の肩にパシンと乗った。
「コイツは潜りの医者かなんかなのか。それにしてもメス捌きがヘタクソだったなぁ」
ドクターのデカい声で蔑まされ、シュンとなっている岡田健一。
「お前は、澤村にスカウトされたんだろ。どうせ、どんな奴かも知りもしないのに、渾名付けやすそうだから引っこ抜かれたんだろ」
図星だ。
「なあ、お前。なんて渾名付けられた?」
デカい体にデカい声、威圧感丸出しのドクターに萎縮した岡田健一は体を小さくして、小さい声で答えた。
「あの、土佐犬です」
「土佐犬?健一だからか。土佐はなんの関係があるんだよ」
「僕、高知生まれなので」
ドクターはジョッキの半分を一気に飲んで、ガバガバと笑った。
「相変わらずダセェ渾名付けられたな。高知の健一っつうんだったら、高知県でもいいじゃねえか」
岡田健一は笑ってるのか泣いてるのかわからない顔をしていた。
「お前、その渾名、気に入ってんのかよ。コイツなんて事務所でいつも体丸めて寝てるからダンゴムシなんて渾名付けられてんだぞ。みんな自分の渾名気に入ってねえんだよ。なあ」
そう言われるとダンゴムシは、じきに慣れる、と無愛想に答えた。
「今ならまだ、その土佐犬って渾名浸透してないから変えられるぞ。なんか呼んでほしい渾名とかねえのか」
ドクターに肩を掴まれると、岡田以蔵は少し恥ずかしそうに、あるんですけど、と小さい声で話し始めた。
「僕、岡田以蔵が好きでして」
「ほう。幕末の人斬りか」
ドクターがすぐに反応してくれたので、岡田健一は嬉しそうに頷いた。
「できれば、
興奮してTシャツを脱ぐと、腕にタトゥーが見えた。ホテルでシャワーを浴びたときは、そんなに注意して見てなかったが、二の腕辺りに『IZOO』と彫られていた。
一瞬空気が止まり、笑いが起こった。特にダンゴムシとドクターは腹を抱えて笑っている。
「お前、それじゃあ『iZOO』だぞ。イズー」
「違います。イゾウです。イズーってなんですか」
みんなが笑っている理由がわからない岡田健一は、少し怒りながらみんなを眺める。代表してダンゴムシが答えた。
「静岡の河津町にある、爬虫類しかいねえ動物園だよ」
彼の渾名は『イズー』に決まった。
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