セカンド ミッション〜執行

第30話 何者

 残暑が厳しい9月なのに、ここは涼しい。

 壁はコンクリート、天井が高く鉄骨が剥き出している。壁には窓がなく、外の陽が入らないので暗い。間接照明のようなワット数の低い電球だけが、暗い部屋の中を照らしている。暗い中でも部屋の広さだけはわかる。だだっ広いスペースで足元もコンクリート。廃工場のようだ。

 足元のコンクリートが濡れている。何が床に漏れているのかわからない。暗いので、その液体は元倉淳一郎の目には黒く映った。


「おい!誰かいないのか!」


 元倉淳一郎は椅子に固定して座らされている。ロープで胴をぐるぐる巻きに縛られ、手は後ろ、両足は椅子の脚に結束バンドで縛られている。元倉淳一郎は体を揺すってロープを解こうとするが、背凭れにガッチリと固定され動けない。


「どこなんだ!ここは!」


 大声を張り上げると、眉間に皺を寄せ、顔を顰めた。拉致する時にクロロホルムを吸わせたせいだ。目が覚めたばかりで、激しい頭痛に襲われているのだ。

 俺たちは、しばらくの間元倉淳一郎を放置した。恐怖心を煽るためだ。

 彼は激しい頭痛に顔を歪めながら辺りを見回した。だだっ広い敷地に、コンクリートの床。部屋の片隅にはビニールシートを被された物が寄せてある。中にはビニールシートが捲れ、何に使うかわからない古びた大型の機械の一部が見えている。床には錆びた鉄パイプが転がっている。ここが長い間使われていないことを感じたはずだ。

 だが、どう考えても不自然な物が目の前にある。彼から見て、人の歩幅で10歩辺りに長方形の塊がある。長方形の塊は縦200センチ、横80センチ、厚さ60センチほどの長方形。四隅に脚が付いていて、ベッドのように見える。暗がりでも光を浴びて反射している。ステンレス製のベッド。そのベッドだけが真新しく光っている。他のものは全て隅に寄せられているのに、堂々と真ん中に置かれている。


「おい!なんだ、これは!何をする気だ!」


 頭痛を堪え、叫ぶ男。

 静まり返ったこの部屋に、彼の言葉だけが反響する。

 自分の威厳を保持しようとする男。なんとも憐れだ。

 彼は次に起こること、この犯行の目的をじっと考える。状況を把握して、予測するしかない。目の前の不自然なステンレスのベッドが嫌でも目に入る。濡れているコンクリートの床。そのベッドの下の辺りが集中して黒く汚れている。


「おい!」


 誰もいなく、何の反応もない。静寂が恐怖を助長する。ベッドの下の黒いシミは、見ようによっては乾いた血の跡にも見える。1度そう見えてしまえば、もうそれにしか見えない。冷静に判断しようとも、次に起こりうることを想像するのに、悪いことしか浮かばない。


 でも、それは俺たちの演出だ。

 ここは田中金属株式会社の使われていない倉庫。

 田中金属株式会社は、澤村の代から世話になっているスクラップ場。ここでは足がつかない車の調達や、『執行』でも利用させてもらった。経営者の田中さんは、俺たちから受け取る謝礼を元手に、金属資源の輸出や、海外での日本車の販売、最近ではアンティーク家具まで手を出してやたらと儲かっているらしい。有料で廃棄を依頼され、運ばれてくる物が金になるのだから、儲からないわけがない。会社も大きくなり、敷地には新しく工場を建設して設備も充実している。古い方の工場はそのまま潰さずに放置していた。そこを古い重機を仕舞うなどの倉庫代わりにしている。

 その倉庫を、ちょっとした演出で廃工場に見立てた。

 床を濡らしているのは、赤と黒を混ぜた塗料だ。

 俺たちは監視カメラで、元倉淳一郎の様子を別室から見ていた。


「そろそろ、行くか」


 ダンゴムシは、元倉淳一郎を監禁している工場へ繋がる扉を開いた。ギギギギーッと錆びた扉の軋む音が響いた。扉の向こうでは、元倉淳一郎が目を見開いていた。


「誰だ!お前たちは!」


 彼は、俺とダンゴムシの姿を見ると、急に横柄な態度になった。どう見ても弱そうな奴と、髭面で眠そうなやる気のない目をしているオッサンが出てきて、拍子抜けしたのだろう。恐怖の中で、もっと恐ろしい人間を想像していたのだろう。


「これを外しなさい!」


 さっきまで恐怖で震えていたくせに、偉そうな態度で威厳を取り戻そうとしている。この手の輩は、してやらなきゃならない。


「おい、聞いてるのか!私を誰だと思っている。こんなことしてタダですむと思ってるのか」


 こういう輩は、どうしてこんな決まりきった台詞しか言えないんだろう。映画やマンガでこの台詞が何度使い回されていることか。その台詞を言って、「すみません。タダですまないのなら解放します」という展開になった映画やマンガが今までにあっただろうか。


「おい!私は裁判官だぞ!これは刑法220条の監禁罪に値するぞ。おい、聞いてるのか!」


 ダンゴムシは彼を無視をして、ステンレス製のベッドを布巾で拭いた。特に汚れているというわけではないが、その行為によって、それに注目してもらうのが目的だ。


「お前は、私が裁いた人間なのか。なあ、そうだろ。こんなことして何になる。今から考え直しても遅くないぞ。なあ。聞いているか」


 元倉淳一郎は声色を変えた。さっきの命令口調から、少し声を柔らかくして、俺たちを説得しようというのだ。


「気持ちはわかる。でも、こんなことをしても意味がないだろ。お前たちに、どのくらいの刑が下ったのかわからない。すまん、記憶にないんだ。私もこれまでたくさんの人間を裁いてきた。1つ1つの事案を覚えてはいられない。だけど、せっかく刑を終えて出て来れたんだろ。こんなことで罪を重ねても仕方ないじゃないか。私は、他の裁判官と違って、物分かりがいい方だ。犯罪をしてしまう人の気持ちも理解しているつもりだ。私の仕事は、お前たちみたいな人間を刑務所に送ることではない。犯罪自体を減らしたいのだ。だから、今解放してくれれば、今回のことは誰にも言わない。水に流そう。なあ、だから解放してくれ」


 元倉淳一郎は、俺たちのことを、自分が携わった裁判で刑務所に送られた元受刑者だと思っている。


 ダンゴムシは布巾をポンとステンレス製のベッドの上に放った。


「うるせえジジイだな。俺たちゃ刑務所に入ってたことなんて1度もねえよ」


 元倉淳一郎は、的が外れて鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「じゃあ、なんだね。私が有罪にした人間の関係者かね。それとも、私が無罪にしてしまった事件の被害者か、その関係者かね」


「アンタ、相良亜衣さがらあいさんって覚えてるか?」


「誰だね。それは」


「覚醒剤所持で逮捕された子だよ」


「ほう。記憶にはないが、お前たちはその人間の関係者なんだね」


 自分の予測が正しかったことに満足しているのか、ニンマリと笑って、独りでウンウンと頷いた。


「私は法を司る人間として、人を憎まないことを肝に銘じている。罪だけが悪いのだ。そして、どんな犯罪者に対しても罪を償う機会を与えているに過ぎない。お前たちと、その相良さんという女性がどんな関係かは知らない。ただ法は法、罪は罪なんだ。彼女が法を犯して罰せられてしまうことは仕方のないことなんだよ。彼女にだって平等に罪を償う権利がある。彼女は罪を償う機会をいただいたんだよ」


 そしてまた独りで頷く。このジジイは、縛られている今の自分の状況を忘れてしまっているようだ。この状況で人に説教するとは、おめでたい奴だ。


「よく喋るジジイだな。俺らは、その相良亜衣さんの母親に依頼されたんだよ。お前の息子と一緒に薬やってて、娘の方だけ罪に問われるってーのは、どういうことだって。そのせいで娘さんがおかしくなっちゃったから、息子と、その息子の事件を揉み消した親父に復讐してくれって頼まれてんだよ」


 元倉淳一郎の顔色が変わった。息子の事件を揉み消したということを聞かされ、ようやく事態を飲み込めていたようだ。


「お、お前たちは、いったい何者なんだ」


「俺たちか?」


 ダンゴムシは少し溜めてから言った。


「俺たちは、だよ」


 今度はこっちがニンマリと笑う番だ。元倉淳一郎の唇は小刻みに震え、さっきまでとは打って変わっておとなしくなった。震える唇から、息が漏れている。

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