第26話 劣等感の塊

 土佐犬はヨレヨレのジーンズで汚い無地の白いTシャツで現れた。写真で見た通り、肩幅が狭くて細い体。バストアップショットの写真ではわからなかったが、背が高かった。180センチくらいはあるだろう。手足が細く、ヒョロ長い印象。髪の毛は寝癖なのか、頭頂部の髪が逆立っていた。


というよりは、だな」


 ダンゴムシが耳打ちしてきた。そう言われると、火の点いたマッチ棒に見える。

 土佐犬の背後に支配人の姿が見えた。責任を感じているのか、恐る恐るといった感じで俺に視線を送ってきた。「大丈夫です、知り合いです」と言うと「失礼しました」と言って下がっていった。


「お前が土佐犬か?」


 ダンゴムシが言うと、ハイ!と大きな返事をしたので、まだ朝早いから他の客室に迷惑だ、と注意した。彼は狭い肩幅を更に小さくしてシュンとなった。

 ダンゴムシは彼の腕を引っ張り、部屋の中に入れ、ドアを閉めた。ヨタヨタっと足が縺れたが、パンッと両手で両太腿側面を叩き、の姿勢で背中をピンとした。

 楓はソファの肘掛けに腰を下ろし、興味なさそうに眠たそうな目をしていた。ルーシーはその横で、岡田健一の上から下まで舐めるように眺めていた。じゃあシャワー浴びてきます、とミントはバスルームへと向かった。

 なぜこんな早朝からこんなアホに付き合わなければならないのだ、という空気が充満している。

 ダンゴムシがダイニングの椅子を2つ持ち上げ、1つは自分が腰掛けた。


「まあ、座れや」


「立ったままで結構です!私、岡田健一は、人助けのために復讐を代行するという御社の企業理念に感銘し、また、相手を徹底的に痛めつけることで相手側の公正もさせ、させること、さ、させて、そ、そしてー」


「ちよ、ちよ、ちょっと待て。朝からうるせえな。選手宣誓みてえなでけえ声出して。一旦落ち着け」


 ダンゴムシが途中で制しても、岡田健一は喋り続けた。


「お、落ち着いております!私は、どうしても御社の皆様と働きたく、グフッ」


 ダンゴムシが拳を、岡田健一の鳩尾に入れた。彼は前屈みになって倒れた。手加減をしているだろうが、もとプロボクサーのパンチは、それなりのダメージだろう。だけど、鳩尾を押さえながらすぐに立ち上がった。


「だ、大丈夫です。体だけは丈夫です、小生は、ここで皆様と一緒に、のさばる悪を倒し、そのために身を削ってでも一生懸命働き、少しでも皆様の力になるよう努力する所存でございます」


 自分の呼称が『私』から『小生』になった。ヤバい。マジでヤバいアホがやってきた。


「いったい、なんなんだよ、テメーは」


 手加減したとはいえ、自分の繰り出したボディにすぐ立ち上がった岡田健一に、ダンゴムシはいくらか怯んでいた。


それがしは御社で働けることに懸けております!」


 今度は『某』だ。

 終わったら起こして、と楓とルーシーはまた寝室に消えた。


「浅野さんは、アナタですか?」


 ダンゴムシがそう呼ばれて、こっち、と俺の方に指を差した。


「アナタが澤村さんの二代目社長ですね。どうか、某を雇ってください」


 掴みかからんばかりの勢いで接近してきた。変な臭いが鼻をついた。なんだか汗臭い人だ。


「あの、岡田さん。澤村さんに何て言われてきたんですか?」


 彼が落ち着くよう、ゆっくりと言葉を選んで話した。


「あの、就職を斡旋してくれるって」


 なんだか溜息しか出てこない。ロイホも畳んだノートパソコンの上に片肘をついて、こちらを眺めているだけだった。


「ワシャ、1度も定職に就いたことねえですから、どうにかお願いします」


「あのー。この仕事って、その真っ当な仕事ではなくて、定職って言われても。割と、犯罪者ですよ」


 澤村はいったいどこまでコイツに話しているのだろう。オブラートに包んで話しても仕方なさそうだから、あえてという言葉を使った。


「はい!存じております。それに、あと、ご夫婦はペットサロンも経営なさっているとお聞きして、某、医師免許は持っていませんが、家にはたくさんの医療の本がありまして、ある程度の知識はあります!預かっているペットの体調とかも、わかる時もあったり、わかんない時もあるかもしれませんけど」


 いったい何のアピールなんだ。医師免許無いのはドクターだけで充分だ。医師免許無くて、知識だけあるなんて、そしてここまでアホな奴に何をさせればいいのだ。お客様から預かったペットを、こんないい加減な奴に診せるなんてできはしない。


「とにかく、一旦座って落ち着きましょう」


 ダンゴムシが運んできた椅子に座らせようと彼の腕を引いた。汗でベタッとしていた。言うことを聞かない彼に、みんながイラついているのがわかったのか、遠慮していた彼も観念して座った。

 俺は彼の前に椅子を持ってきて、真正面に座った。ダンゴムシも俺の横に椅子を置く。反対側にはロイホが椅子を持ってきて、結局3人並ぶ形で座った。1人の前に俺たち3人。まるで入社面接だ。まあ、仲間に入るための面接であることに変わりはないが、みんなムスッとした顔をしていて、これじゃあ圧迫面接だ。


「仕事がなくて焦る気持ちはわかりました。でもね、僕らだって誰でも彼でも仲間に入れるわけにはいかないんですよ。仕事内容だって澤村さんから聞いてるんでしょ?」


「はい」


 さっきまでの勢いはどこかへ行ってしまったようで、また肩を小さくして項垂れていた。椅子の上で萎れた枯れ草のようになっている。


「いつも、そういう感じなんですか?」


「そういう感じって?」


「なんか、こう、自分の気持ちばっかり言って、なんていうか、いつもそんな感じで仕事の面接を受けてるのかなぁ、と」


「僕は学歴がないんで、やる気は伝えないとと思っているんですが。なかなかそれだけじゃダメなんですかね。もう気持ちがバァーッと出て、気がつくと、なんかこういう雰囲気になってしまうんです」


 彼は目の前の空間を手で示し、と言った。それは、俺たちが醸し出している空気のことだろう。


「あのぅ。多分、面接官って、その人の能力も知りたいとは思ってるんですけど、もっと知りたいのは為人なんですよ。時間や期日を守れる人なのか、とか。この人は他の人とうまくやっていける人かな、とか。それが、いずれリーいダーになる人材なのか、サポーターの役目が得意なのか、とかを考えて面接するんです」


 サラリーマンだった時のことを思い出してしまった。なんで俺はこんな男にアドバイスしているのだろう。

 萎れた枯れ草は、萎れたままゆらゆらと頷いて聞いている。


「厳しいこと言うようですけど、今の岡田さんだと、この人は言うこと聞かないんだろうな、って印象ですよ。まずは、人の話を聞くことから始めたらどうですか」


 ダメだ。我慢できずに説教モードに入ってしまった。


「そんなんですよね。ワシの家、爺ちゃんの代から続く医者の家系で、おとんの代で総合病院になったんです。弟2人も医者で、多分次男の方が病院を継ぐんでしょうけど、ワシだけ頭悪うて。もう小学生の時から勉強ついていけんようになって、算数とか理科とか全然わからん。社会とか、他の県の特産品とか覚えてどないしゅうのか意味わからん。国語なんかも、こっちゃあ日本語使っとるから、それでええやんと思うに、テストに出る問題はようわからん。医者になるためには、そういうテストせなならん。親はワシに家庭教師つけよったけど、センセの言ってる意味がようわからん。そのセンセに『人の話を聞きなさい』って、よう怒られとったわ」


 萎れた枯れ草の独白は続く。


「アホではないんよ。いや、アホか。どっちでもええか。興味があることなら、なんだって覚えられる。好きなミュージシャンの曲のタイトルなら英語だってアルバム全部の曲名覚えられる。でも英語のテストだとわからん。AV女優の名前やったら1.000人は知っとるのに、歴史上の人物の名前なんか、ちっとも頭に入らん」


 いったい何の話になっているのだ。興味があることを覚えられるのは、誰だって同じだ。

 ロイホなんて飽きてきて、ノートパソコンの上に顔を伏せて寝始めた。


「弟たちはできることが、できん。でも、医者になんのに国語も算数も理科も社会もいらん。英語は関係あるかもしれんけど。こんなテストで、なんで人を判断すんねん。でもテストの点数が悪いと学校の成績も悪うなる。学校の成績が悪いとええ学校にも入れん。弟たちはええ学校に入って、ワシをバカにしよる。そんなん勉強できなくても、医者になってやるわ、ワシが長男じゃと思うて家にある医学書たっぷり読んだけど、全然わからん」


 この人は劣等感の塊だ。澤村は、なんでこんな人紹介すんねん、って方言が感染ってきてしまう。


「こんなん全部頭に入っとう奴は、キチガイや。でも、興味あるところは覚えられるんよ。お産のところとか、あとどこの血管を切ったら命に関わるとか。切っちゃいかん血管と切っても大丈夫な血管があるんよ。ワシャ、この場で誰か産気づいたら、産ませられるよ」


 このアホの言うことは聞いていて頭が痛くなってくる。もうロイホからは寝息が聞こえてきている。さぞウンザリしているだろうなぁ、とダンゴムシの方を見ると、彼は腰を浮かせて真剣な眼差しを萎れた枯れ草に向けていた。


「お前、なんか得意なことはないか?」


「得意なことですか?んー、あんまり思いつかんです。しいて言えば、AV女優の名前言ってくれたら、出演作品のタイトル全部言えます」


 もの凄い早いスイングで岡田健一の頭を叩いた。


「そうじゃなくて。例えば、ナイフとか得意じゃねえか?」


「ナイフ?えっと、包丁とかだったら。今バイトしてる居酒屋の店長に、お前は皿を割るしオーダー間違えて取ってくるけど包丁捌きは上手えなあ、下ろされてる魚も死んだこと気づかねえよ、って褒められます」


 ルーシー、とダンゴムシは嫁の名前を呼びながら、彼女たちがいる寝室へ消えた。そしてすぐに戻ってくると、ダンゴムシはルーシーのサバイバルナイフを手にしていた。


「ちっと待って、ごめんなさい!」


 恐ろしい顔でサバイバルナイフを構えるダンゴムシに、岡田健一は恐れ慄いた。ダンゴムシはそれを岡田健一に突き出した、と思ったら突きつけられているのはナイフのグリップの方だった。岡田健一は、わあわあ騒ぎ立てて自分に向けられているのがグリップだと理解すると、戸惑った顔をした。


「持て。いいから、持て」


 岡田健一は、なんですか、と戸惑いの表情のまま受け取った。ダンゴムシは、サバイバルナイフを岡田健一に渡すと、辺りをキョロキョロと詮索していた。これでいいか、と客室電話機のコードを引き千切った。何をするのかと思っていると、その電話機を思いっきり岡田健一に向かって投げた。

 危ない!と咄嗟に目を瞑ってしまった。

 ガシャンと電話機が床に落ちる音が聞こえた。恐る恐る目を開けると、ダンゴムシの笑っている姿が目に入った。


「コイツ、本当に人斬り抜刀歳の子孫かもしれねえな」


 ダンゴムシは俺を見て、嬉しそうに笑っている。だから、それはアニメのキャラだって。電話機の落ちた音に反応して、ロイホが目を覚ました。


「なに、なに。どうしたら、こうなるの?」


 俺は岡田健一の方を見てから、ロイホと顔を見合わせた。俺たちの視界には、ルーシーのサバイバルナイフを逆手に持ってしゃがんでいる岡田健一の姿と、彼の足元には真っ二つに割れて転がっている電話機。

 この状況は、岡田健一がサバイバルナイフで電話機を切った、ということになる。こんなにゴツいサバイバルナイフで、電話機をこんなにも綺麗に切ることは可能なのか。でも現状そうなっているのだから、認めざるを得ない。


「合格」


 笑いながらダンゴムシは彼に言った。

 1番驚いているのは、彼本人だった。








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