第21話 変化

「よし。そうと決まれば女性陣に報告してくるか。どうせプールじゃ、携帯出ないだろ」


 ダンゴムシは両手で膝を叩き、その勢いで立ち上がった。ダンゴムシは入念に消臭スプレーをかけ、服の袖や裾の臭いを確認した。ルーシーもタバコの臭いが苦手なのか。俺も立ち上がり、服にスプレーをかけた。そして扉に向かうダンゴムシの後へ続いた。


「じゃあ、俺は新しい人来るかもしれないんで、部屋で待ってます」


 ロイホはキーボードを叩いていた。早速、依頼者にアポのメールを送っているのだろう。


「新しい奴って、四国から来るんだろ。そんなに早く着かねえだろ」


 ロイホに言われて、ダンゴムシは新しいメンバーの存在を思い出し、溜息を吐いた。新しいメンバーと言っても、どんな奴かわからない。メンバーに加えるのが、はたして正解なのか。


「人手は足りねえが、新しいメンツ入れるの、面倒臭えな。使い物になるのかもわかんねえし」


「だったら今度の『執行』で、その四国から来る人、試してみたらどうですか?」


 俺の提案に、ダンゴムシがニヤける。


「所長。今日は冴えてるね」


「いや、その所長はやめてください」


「じゃあ、婿殿」


「それも、あんまり」


「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。か?ダセえだろ」


 とは、澤村が付けてきた俺の渾名。

 一だから、略して。殺し屋の意味のアサシン。くそダサい。


「普通に、名前でいいですよ」


 俺たちは、楓たちがいるスポーツジムまで向かう間、今後の手順を整理した。

 まずは依頼者に会う。会う場所は、可能性は低いが不知火たちの差金である場合、このホテルではない方がいい。俺たちの潜伏先がバレてしまうことよりも、協力者に迷惑はかけるのを避けるためだ。それを考えると、依頼者の家に出向くのも危険だ。今まで縁のない場所を選ばなければならない。

 東京都美術館がいいのではないか、とダンゴムシが提案した。上野であれば、この品川のホテルからも離れているし、山手線や京浜東北線、バスなど交通手段も多く、尾行を回避する方法はいくらでもある。上野公園内も人出が多く、万が一刺客に尾行されていたとしても迂闊に手を出せないだろう。

 その次は『内偵』だ。執行方法は内偵で対象者がどんな人物かで決める。四国から来る人を試すにしても、彼が何を得意としているかわからない。また試すにしても、そいつに全面を任せるわけにはいかない。どの程度の実力かを見るだけだ。その彼が、不知火が関与するグループの刺客かもしれないことも疑わなくてはならない。

 色々考えなければならないことがあるが、まず依頼者に会ってみないことには話が進まないのはわかっている。俺はいつもより饒舌だった。何も考えていないと、里穂や実家の心配事が押し寄せてくる。

 ダンゴムシは、俺の背中をバンッと叩いた。


「大丈夫だ。里穂のことなら心配するな。所長が一緒にいるんだから」


「そりゃ心配しますよ!それに澤村さんは、もう歳も歳だし」


「里穂、今もフジコのところでテコンドー習ってんだろ」


「俺は反対してるんですけどね」


「里穂、シンイチより強えかもよ」


 現所長でも、婿殿でも、アサシンでもなく、名前で呼ばれたことに少し驚いて、言葉が詰まってしまった。


「それに慶太もいる。アイツ、おとなしいけど男の顔になってた。目を見りゃわかる」


 澤村と一緒にいるのは里穂だけじゃなかった。慶太も知らぬうちに身長が伸びて、骨格もしっかりしてきている。今は勉強ばかりでフジコのところに行ってないらしいが、最近まで里穂と一緒にテコンドーを習っていた。体力作りの基礎がなっていて、その辺の中学生よりは大人びて見えた。だけど、まだ中学生だ。


「アイツも男だ。好きな女くらい守れるよ」


 またその話か!悩むことは、不知火や依頼者のことだけじゃない。

 スポーツジムのフロアに着いた。受付で名前と用件を告げると、スタッフはシャワーを通過しないスタッフ専用の道を案内してくれた。靴を脱いで、ロッカーに入れる。


「シンイチも、そうだろ!」


 プールに向かったところで、パンッと、もう1度背中を叩かれた。体制を崩し前のめりになった。転ばないようになんとか踏ん張って体制を戻し顔を上げると、そこには楓の姿があった。競泳用水着で、肩にタオルをかけていた。


「あれ?シンちゃんもプール入るの?」


「入りましょうよ。気持ちいいですよ」


 ミントは水中から声をかけてきた。ジムのプールなのに、浮き輪を付けていた。目の前にはビーチボールがプカプカと浮いている。ミントはそのビーチボールをフワッと放り投げると、ルーシーはバレーボールのアタッカーの如くもの凄い勢いでボールを弾いた。

 他の利用者は、健康やトレーニングのために泳いでいるので、浮き輪をしている人間なんていない。いったい支配人は、どこまで許容してくれているのか。


「スケベナ、目デ見ルナヨ」


「見てねえよ!しかも、自分の妻だぞ」


 ルーシーに突っ込まれて慌てて否定した。でも実際は、久しぶりに見る楓の水着姿に、少し見惚れてしまった。そう言えば、里穂が小さい頃は遊園地のプールに出掛けていたが、里穂が大きくなったことと仕事の忙しさで、家族で出掛けることはほとんどなくなった。プールなんて久しぶりだ。

 他の利用者が真面目に泳いでいる中、この一角だけレジャープールへと変貌している。ルーシーに至っては、ビキニだ。タンクトップ姿で見慣れてしまったが、水着になると大きい胸がより強調される。サイズが合っていないと思わせる面積の小さなビキニで、胸が溢れそうになっている。

 隣のコースの水中でウォーキングをしている年配の男が、歩くスピードを落としてこちらをジロジロ見ている。

 その男にダンゴムシが軽く舌打ちをした。男は睨むダンゴムシから目を逸らし、俺と目が合い、ギョッとした顔をした。そして、バシャバシャと水飛沫をあげ、足早に去っていく。

 忘れていた。俺は蟹の甲羅のように顔が腫れているんだった。


「俺たちは入んねえよ。あのな、新しい依頼が来た」


 3人の目の色が変わった。ミントとルーシーは無言でプールから這い上がってきた。


「外で待ってて」


 楓にそう言われて、俺たちはプールから出た。受付の前のソファで座っていると、3人は髪も乾かさず、着替えてすぐに出てきた。


「娘の復讐をしたいという主婦だ。その依頼、受けようと思う」


 ダンゴムシは座ったまま話し始めると、詳しい話は部屋で、と楓は早歩きのまま俺たちの前を通過した。慌てて、後へ続いた。


「あそこじゃ人目があるから、部屋で話して」


 エレベーターに乗ると、楓が開口一番そう言った。3人ともピリピリしている。ミントも、さっきまでビーチボールと戯れていた姿は、そこにはない。ミントだって慶太のことを心配しているのだ。落ち着かないのは、俺だけじゃない。

 エレベーターの中でも、話の続きは遠慮した。


 部屋の扉を開けると、ロイホはコーラを飲んで寛いでいた。ロイホは楓の顔を見て、全てを察知した。


「依頼者とアポ取れました。いつでも大丈夫だそうです」


「じゃあ、今日は?」


「メールしてみます」


 ロイホは楓に指示されて、それにテキパキと応えていた。

 彼がキーボードを打つと、すぐに返信があった。


「今日で大丈夫みたいです」


「返信が早えな。不知火の関係者かもしれないことは、まだ疑ってた方がいいな」


 ダンゴムシの言葉に、楓が頷く。


「場所は......」


 エレベーターの中では話を控えたので、まだ場所の案を楓に伝えていなかった。


「場所は上野公園にある東京都美術館です。理由はダンゴムシさんが説明します。時間は夕方こ4時でどうでしょうか」


 俺はスマホで時間を見て、なるべく早い時間を提示した。美術館が開いてる時間も考慮しなければならない。今の時間から3時間あれば充分だと判断した。

 珍しく俺が指示をしたので、楓は驚いた顔をした。なにか言おうとしたところ、ダンゴムシが場所指定の理由を話し始めた。

 ロイホはキーボードを打つ。パンッとエンターキーを押す音。しばらくするとメールが返ってきたようだ。


「時間は大丈夫だそうです。もう少し早くても来れるそうですが」


「じゃあ3時でどうでしょう。こっちも2時間あれば余裕じゃないですか」


「シンイチがそう言うなら、そうしよう」


 ダンゴムシのその返事に、ロイホの指が動いた。

ロイホのメール作成中、スマホで東京都美術館の展示物を調べ、待ち合わせ場所を展示物の前に指定し、合言葉を決めた。それを文面にして、メールで送ってもらった。


「依頼者と面談するのは、俺たち夫婦じゃない方がいいでしょう。ダンゴムシさんたちの方が、相手に顔が割れてる可能性が低いので行ってもらえますか」


 俺の指示にダンゴムシは、俺たちか、と親指で自分とルーシーを指した。俺は頷き返した。


「俺、面談やったことねえからな」


 ダンゴムシは渋々といった態度で引き受けた。じゃあわたしが、とミントが手を上げた。


「わたしは面談や内偵慣れてますから、サポートでついていった方がいいよね。わたしも顔が割れてるかもしれないけど、浅野さんたちよりは可能性が低いし」


「じゃあ、お願いします」


 俺は手際よく指示していった。ダンゴムシ以外のみんなが、俺の変化に驚いていた。しかし、誰もそれを突っ込まなかった。

 楓と目が合った。楓は頷く。俺も頷き返した。

 覚悟を示していかなければならない。

 夫として、父親として。そして、殺し屋として。

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