第16話 北海道

「本当に、殺されるのかと思ったわぁ」


 先代の澤村は、ダンゴムシとの久々の再会の挨拶も忘れて、本気で怒っていた。その様子を相変わらずマイペースな義母和江は、腹を抱えて笑いながら眺めていた。

 お互いの両親には合鍵を渡していたので、冷静に考えれば俺か楓のどちらかの両親だということはすぐわかるはずなのに、昨夜の襲撃から過敏になっていた。

 楓が昨日のことを説明し言い訳をするが、そんなのは知らん!と澤村はソファに横になって不貞腐れている。それを見て、益々笑いが止まらなくなっている義母は、澤村に代わって俺たちに謝っている。


「いいんですよ。久々なのに驚かせてしまってすみませんでした」


 ダンゴムシが恐縮して、謝り返す。


「なに言ってるの。先に驚かせようとしたのはあの人の方じゃない。私は、前もって行くよって連絡した方がいいんじゃないのって言ったんですよ。そうしたら自分が脅かされちゃって。それに不貞腐れちゃってるのは、アレよ」


 ガラステーブルの上にはグチャグチャになった紙袋が乗せてあった。長崎カステラの箱は、玄関の格闘の時にダンゴムシが踏んでしまったのだ。

 澤村は4年前の最後の仕事で足を洗うことに決めた。義母とは離婚していたが、足を洗ったことをきっかけに復縁し、新婚旅行という名目で世界一周をすると言って夫婦で旅立った。今まで家庭を顧みなかったことの穴埋めに、老後を海外旅行三昧するという計画は、1ヶ月と保たなかった。海外の食事が合わなくて、澤村がお腹を壊してしまうのだ。

 計画は変更し、老後を国内旅行三昧にしたのだ。俺たちの家と近い場所に住まいを構えて、ほとんどを旅行に費やしていた。2週間前に行った先が長崎で、そのグチャグチャの紙袋はそのお土産だったのだ。

 ダンゴムシは、紙袋からカステラの箱を出し、中身をそおっと開けた。中はビニールでラミネートされている。見事真ん中辺りで形がひしゃげていた。

 そのラミネートの上からねて、形を真っ直ぐにした。無理やり感は否めないが、一応真っ直ぐなカステラが出来上がる。


「所長。あの、結構大丈夫ですよ。食べれますよ」


 ダンゴムシが声をかけるが、そっぽを向いて不貞腐れ続ける澤村。


「ルーシーちゃん、相変わらず元気そうねぇ」


 義母は話題を変えたルーシーに声をかけた。澤村夫婦とルーシーは、面識があるらしい。ドクターも知っているくらいだったから、古い付き合いなのだろう。


「和江モ、相変ワラズ、陽気デ、イイ奴ダナ」


「まあ。日本語、上手になったわねぇ」


 覚束おぼつかないルーシーの日本語を褒めると、ルーシーは満更ではない笑顔になった。義母のコミュニケーションスキルには頭が下がる。


「死ヌ気デ、覚エタカラナ。コレカラ、ズット日本デ暮ラスノダ」


「そうなの?旅行でこっちに遊びにきたのかと思ってたけど、ご実家のビール工場は大丈夫なの?」


「工場ハ、両親ガ従業員雇ッテルカラ、問題ナイ。ソレヨリモ、ワタシタチノ仕事ノ方ガ、問題ダ」


 和江は微笑ましい顔で、ルーシーの辿々たどたどしい日本語を聞いていた。


「お婆ちゃん!」


 里穂と慶太が部屋から出てきた。事の顛末を楓が説明すると、それはお爺ちゃんが悪いよ、と冷静な答えが返ってきた。孫の顔を見て、幾分機嫌を取り直して、小遣いでもくれようと財布を取り出したが、孫の冷たい一言にまたソファで不貞腐れた。


「いやねえ、この人。大人気おとなげない。はい、里穂ちゃん。慶太くんにも、どうぞ」


 義母は里穂と慶太に5千円ずつポチ袋に入れて手渡した。


「そんな。悪いですよ。うちの子にまで」


 ミントは遠慮するが、


「里穂ちゃんにばっかりあげたら、おかしいわよねえ。それに2人とも中学生なんだから、これくらいはあげないと、ねえ」


 2人は臨時収入に喜んでいた。2人で買い物に行こうと言っているのを、今はダメだ、と俺が注意すると、里穂はキリッと睨んできた。


「たまには息抜きでいいじゃない。2人は付き合ってるんでしょ」


 義母が揶揄うと、里穂は、


「そんなんじゃないよ」


 と答えたが、慶太は顔を真っ赤にしていた。義母はその様子を楽しそうに眺めながら、俺に向かって、ごめんなさいね、ふふふ、と笑った。なぜ、俺に謝る。


 ダンゴムシが2人に、昨夜の顛末を説明した。


「だから、お前らにも何かあるかもしれねえから、少し我慢してろ」


 2人は素直にダンゴムシの忠告を聞き、部屋へと戻っていった。


「ともかく、すぐに荷造りして、潜伏先を探そう。ホテルの関係者で、協力者としてまだ繋がりあるか?」


 むかしの依頼人で、俺たちに協力してくれるホテルの経営者とは、未だに繋がりはある。早速連絡すると、快く迎え入れてくれることになった。


「お前たちも荷造りしろ」


 ダンゴムシは里穂の部屋のドアを開け、里穂たちに指示した。なんで、と不満の声が聞こえた。


「それからよぅ。所長、アンタの力を借りたい」


 ダンゴムシが不貞腐れた澤村の背中に話しかけた。


「俺たちだけじゃあ、人数が足りねえ」


「それじゃあ、ダンゴムシさん。また一緒に仕事してくれるんですか?」


 俺は堪らず、話の間に入ってしまった。


「そのつもりだ。お前らが、まだ続けてるならと思って日本に帰ってきた。ルーシーも参加する。いいな」


 喜びのあまり、顎がガクンと音を立てるほど頷いてしまった。ダンゴムシがまた一緒に仕事してくれれば、鬼に金棒だ。楓には申し訳ないが、澤村なんて必要ないと思う。


「べつに、ダンゴムシがいれば、お父さんの手なんか借りなくていいよ」


 楓も同じことを考えていたようだ。


「いや。人は1人でも多い方がいい。所長だけじゃ、まだまだ足りねえ」


「嫌だね」


 澤村は体を起こし、ダンゴムシの正面に据えて、拒否した。所長じゃない、Mr.ブラックだ、とでもいうかと思ったら、真顔でみんなの顔を順番に見た。


「俺はもう所長じゃない。それに60過ぎたジジイに、何やらせるつもりだ」


漢気オトコギガ無イゾ。Mr.地黒ジグロ


 ルーシーは澤村の前に仁王立ちして、見下ろして言った。


「なんだ、地黒って。Mr.ブラックだ。いや、Mr.ブラックでもない。ただのジジイだって言ってるだろ!」


「ウルサイナ。ジジイ」


「ジジイじゃない!」


 ルーシーが仲間になったことは心強いが、ルーシーが絡むとややこしくなって話が進まない。


「いいじゃない。手伝ってやりなさいよ。元々、あなたが始めたことでしょ」


 義母が澤村を宥めるが、ルーシーのせいで更に不貞腐れている。


「嫌だ」


 子供のように拗ねる夫の姿に、義母は溜息を吐いた。


「来週からね、と北海道に行くのよ。この人、どうしてもそれに行きたいだけなのよ」


 とは、俺の実家の母親のことだ。うちの母親もカズエという名前だから紛らわしい。父は静岡で割烹料理店を営んでいるため店を休めないから、母だけ誘ったのだろう。長崎から帰ってきて、また旅行に行くのか。婿の俺がこんなに痛手を負っているのに、旅行優先とは呑気なもんだ。


「じゃあ、里穂と慶太くんも一緒に連れてってよ。北海道なら安全でしょ」


 楓の提案に一同が賛同した。子供たちを守ってよ、と楓が譲歩すると、それぐらいはできる、と機嫌を直した。このジジイにどこまで守り切れるか不安な要素は多々あったが、俺たちといるよりは安全なはずだ。

 公安がどんな組織かわからないが、子供にまで手を出すことはないだろうし、北海道まで足を伸ばす可能性もないわけではないが低いだろう。それに、このジジイは勘だけは鋭いので、危険から回避することだけはしてくれるはずだ。勘が鈍っていないことを祈るしかない。


「支度できたよ。っていうか急がせて、ママたちは未だ支度できてないの!」


 部屋から出てきた里穂は、人に指図だけして話してばかりいる大人たちに腹を立てていた。


「お前たちは、所長と一緒に北海道へ行け」


 ダンゴムシから北海道へ行けると聞いて、里穂の機嫌はすぐに直った。


「僕は、どうすれば......」


 里穂の後ろから慶太が遠慮がちに顔を出した。


「里穂のTシャツとか貸してあげなさいよ」


 楓が母親らしく指図すると、里穂は嫌がる。それに下着類はどうするんだ。慶太は顔を赤らめている。義母が里穂と慶太は付き合ってるのかと聞いた時の慶太のリアクションが気になっている。ミントの息子だし、父親のいない慶太のことを実の息子同然に可愛がってきたが、付き合っているとなると娘の父親の気持ちの方が優先されてしまう。どうせ娘に彼氏ができるのなら、慶太のような真面目で誠実な男の方がいいのだが、父親の気持ちというものは複雑だ。


「どうせ和恵さんを迎えに行くんだし、北海道行くまでは真一くんの実家に泊まらせてもらうつもりでいたからね。静岡で買ったってもいいじゃない」


「え?バアバも来るの?」


 里穂は、うちの両親をジイジとバアバ、楓の両親をお爺ちゃんとお婆ちゃん、と区別している。


「そうよ。札幌にもいっぱいお店あるから、そっちでも買い物できるじゃない。里穂ちゃんも服買ってあげるよ」


「おう。好きなだけ買いなさい。お金ならいくらでもある」


 急に機嫌を回復させた澤村。孫娘の力は凄い。


 俺たちも支度を整え、澤村たちのタクシーを呼んだ。タクシーの運転手に静岡までと告げると、運転手は驚いて、5.6万はいっちゃいますよ、と遠慮がちに言った。澤村は、金ならある、と孫の前で格好つけた。

 子供たちと義母が後ろに座り、澤村は助手席のドアを開けた。


「じゃあ、里穂たちを頼むね」


 楓が告げると硬く頷き、俺の方に視線を寄越した。


「ところで、さっきから気になっていたんだが、オタクはどちらさん?」


 顔が腫れて俺のことがわからず、惚けた質問をする澤村。クククッ、と笑いを堪えているダンゴムシの声が漏れた。













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