第12話 夜の叫び声

「お前、鼻折れてねえか?」


 後部座席に座った俺を、ダンゴムシがバックミラー越しに言った。そう言われてみると、そうかもしれない。顔を押さえてた上着を見ると、血がぬるっとゼリー状に溜まっている。その上に鼻血がボタボタ垂れて、止まる様子はない。顔面が痺れるように痛いし、熱い。顔全体が心臓になってしまったかのように波打っている。


「先にのところ行くか」


 またむかしの仕事仲間の名前。

 ダンゴムシがドクターの居場所が変わっていないか、楓に聞いた。ドクターが開業している『井山医院』は、むかしと同じ場所にある。郊外の辺鄙へんぴな場所で開業している。俺たちは今でも利用しているためドクターの井山とは、たまに顔を合わせることはあるが、最近では主に井山の弟子の『野口くん』に診てもらうことの方が多い。

 ドクターがどう殺し屋の仕事に絡んでいたかというと、井山は先代の澤村の相棒だったことから始まる。色黒の澤村は『Mr.ブラック』と名乗り、白衣を着ている井山が『Mr.ホワイト』。澤村と井山でこの殺し屋家業を始めた。『執行』で徹底的に痛めつけたあと、井山が治療し、社会復帰させることで俺たちの仕事は完了する。その仕組みを作ったのが、この2人なのだ。

 井山は医師免許は剥奪されているらしい。だから表立っての院長は『野口くん』ということになっている。たが、井口の腕は確かだ。どんな瀕死の状態で対象者を運び入れても必ず復活させてしまう。ただ、治療が乱暴ではある。


「普通の病院に行ってもらえないですか」


 ダンゴムシに懇願してみるが、彼はヘラヘラ笑って、久しぶりにドクターにも会いてえからなぁ、と取り付く島もない。


「それに、こんな時間で診てくれるとこ、あそこしかねえだろ」


 救急センターとかあるじゃないか、と言っても取り合ってもらえないだろう。泣きたくなってきた。

 どうしても回避したいが、無理なのは分かっている。ならば、できるだけ嫌なことは引き伸ばしたいのだが、そういう時に限って赤信号に捕まることなくスイスイと車は進む。あっという間に井山医院に着いてしまった。


 表向きは小さな内科の開業医なのだが、病院近くにコンテナ倉庫を借り、その中には救命医療器具の揃った救急車が2台格納されている。大きな手術はその救急車の中でやるのだ。

 時刻は午後10時を過ぎていた。2階が住まいになっているので井口はいるが、もうこの時間には野口くんはいない。車を降りると生暖かい空気が顔を撫でるが、恐ろしさで体は震える。


 ダンゴムシは裏の階段から2階に上がり、ドアをやかましくノックした。しばらくノックし続けると、パンツ一丁のドクターが、迷惑そうな顔でドアを開けた。


「おう。なんだ、ダンゴムシじゃねえか。久しぶりだな」


 そう驚いた様子もなくいつもの口調で、ボサボサの頭を搔いた。そして、俺に目を向け、


「鼻折れてんな。あがれ」


 と、つまらなさそうに言って、掌を煽って入室を促した。嫌な予感しかしない。せめて下の診療室で診てくれないかと思うが、この人の診療はどこでもいいのだ。

 みんな靴を脱いで家にあがるので、俺もあがるしかない。シンちゃん早く、と楓まで急かす始末だ。

 部屋の電気は間接照明で薄暗く、奥の部屋には人影が見えた。半裸の女の人が着替えの最中だった。ここの看護師だ。まったく、60を越えて何をしてたんだか。

 看護師は、下着姿の上に白衣だけという格好で、乱れた髪のまま平然と俺たちの前に現れた。サイズが合ってないんじゃないかと突っ込みたくなるくらい小さいサイズの白衣で、大きい胸は入り切らず第2ボタンまで弾けていた。まるでAVだ。

 妻の前で目のやり場に困っていると、ドクターもパンツの上に白衣という間抜けな格好で、クローゼットの中を物色していた。


「見えねえ!明るい電気点けろ」


 クローゼットの衣類や段ボール箱を出して、粗雑に放り投げていく。クローゼットの前は瞬時に散らかっていった。看護師が艶かしい動きで部屋の蛍光灯を点けるとドクターは、あった、と叫んだ。奥の方からガシャガシャと重みのある音が聞こえた。

 嫌な予感は当たるもので、ドクターの手にしているものは工具箱だった。蓋を開けて、中から取り出したのは、先の細くなっている尖ったペンチのようなもの。

 すっと肩を触られ、気づくと看護師が後ろに回っていた。そして、いつの間に用意したのか椅子があり、俺は座らされた。


「よーし、お前ら。ちゃんと押さえてろ」


 座らされた俺の後ろに看護師、腰付近をダンゴムシ、両腕を肩からルーシーに抑えられ、妻の楓も俺の両足を捕まえていた。なんというチームワーク。


「待って待って待って。麻酔は、麻酔!」


 工具用のペンチを構えて悪魔のような顔をしているドクターに懇願する。


「麻酔なんて、ここには無えよ」


「じゃあ、下の診療室は!」


「診療室にも麻酔は無え!」


「じゃあ、じゃあ、救急車の方にはあるでしょ!」


「ダメだ。今すぐ鼻をどうにかしねえと、曲がったまま固まっちまうぞ」


「ちょっと待って。お願いだから、ちゃんと麻酔かけてやって!」


「それじゃあ、綾音あやね。お前、オッパイで麻酔かけてやれ」


 そんなくだらないことを言いながら、悪魔は真面目な顔で、工具の先に消毒液を垂らし、ガーゼで拭いている。綾音と呼ばれた看護師は、後ろから俺の後頭部に胸を当ててきた。そんなんじゃ麻酔にならないよ。オッパイに挟まれて泣き叫ぶ俺を見て、楓が笑うのを堪えていた。そりゃないぜ。

 看護師は顎の下に腕を通し、もう一方の腕で頭を固定する。スリーパーホールドをかけられている状態だ。冷たい鉄の工具が鼻の中に侵入してくる。


「すぐに終わるからな。ちゃんと押さえてろよ」


 その数秒後、ゴリッという骨が動く音が脳内に響き、40を越えたオッさんの泣き叫ぶ声が、夜の街に響いたのは言うまでもない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る