第9話 金髪
脇腹に何かが鈍く当たっている。
頭痛がして、瞼が重い。無理矢理目を開けると、自分の足が見えた。俺は座ったまま、体をくの字に曲げて意識を失っていたようだ。
「気がついた?」
頭を上げるにも首の後ろが痛い。体を曲げて、頭を下げていたせいで、首筋が痛い。上半身を無理やり起こして、顔を上げると左側の首から肩にかけて激痛が走る。火傷をしたみたいに皮膚がヒリヒリした。痛みのせいで、声が漏れた。
「大丈夫?」
顔を上げると、俺たちは車の後部座席にいた。
あの後、結局車に引き摺り込まれ、拉致されたようだ。
脇腹に当たっているのは楓の肘だった。彼女は背後で手を縛られていた。彼女は手を使えないので、俺を起こそうと、肘で俺の体を
窓の外でビル群や屋上広告が後ろへ流れていく。かなりのスピードだ。外壁があるところを見ると、走っているのは高速道路だろう。目的地もわからないので、今どこを走っているのか検討がつかない。前の座席を覗くと、今時珍しくカーナビが付いていない。目印になる物を探したが、頭がうまく回らない。
「やっぱり、最初からシンちゃんの言うこと、聞いといたらよかったね」
楓は真正面を向いたまま、そう呟いた。いつもだったら相手の隙を探るような鋭い目付きや、思いついた策を披露したくてウズウズしている余裕な眼差しをしているはずなのに、今の彼女は運転手の後頭部をぼうっと眺めているだけだ。
「ごめんね、シンちゃん」
柄にもない言葉に、俺は怯んだ。そして情けないことに、今まで俺は楓に頼りきっていたことに気づかされてしまった。殺し屋の仕事の方では彼女の方が熟練しているが、彼女の暴走をコントロールしていたのは俺だと思っていた。そうやって楓を守ってきたつもりだ。男の守り方は、腕力だけではない、そう思っていた。夫として、仕事の相棒として彼女を支えてきたつもりが、俺の方が自信満々な彼女を支えにしていたのだった。
里穂の顔が浮かんだ。このままじゃ妻どころか、娘さえも守れない。楓は必死で唇を噛んでいる。彼女も里穂のことを考えているのだろう。このまま両親が消されてしまったら、娘はどうやって生きていけばいいのだろうか。ロイホやミントが面倒見てくれるだろうが、まだ中学生の娘にとって両親がいなくなってしまうのは心に傷が残るだろう。
両親がいなくなるのだけは避けなければならない。俺の腕力や知恵では、2人で脱出するなんて無理だ。
車には運転手と、助手席にもう1人。手足は縛られているが体をシートに固定されているわけではない。後部座席から運転手に体当たりし、助手席の奴に足蹴でもなんでもして暴れれば、ハンドル操作を狂わせ車が横転してくれないだろうか。その隙に楓だけでも逃げてくれれば。でも楓も手足を縛られている。逃げるにしても走れない。それにこのスピードだと車が横転した時、楓も無事かどうか保証はない。スピードは120キロ出ている。高速道路から降りるのを待つしかないのか。
考えろ。もっと考えろ。何か手立てはあるはずだ。自分がどうなって構わない。楓1人だけ助ける方法ならあるはずだ。彼女の足先を見つめる。とにかく前の奴らにバレないように楓の足の拘束だけでも外さなければ。
車が車線を左側に変更した時、俺は咄嗟にゴロンとシートから転がった。後部座席の足元に体が嵌った。
楓に視線を送った。彼女は小さく首を振った。
俺が結束バンドに噛みつこうとすると、グッと首が絞まった。作業服の背中を掴まれ、体を引き上げられたのだ。
「何やってんだ」
俺を持ち上げたのは助手席の方の男。俺の体をシートに放り、元の座った状態に戻された。
「余計なことはするな」
助手席の男は前方を見たまま、静かに言った。大声で怒鳴ったり、睨みを効かせて脅してくるわけでもない。余計なことをしなくたって、いつでも殺せると言われているようで怖い。
2人の男は、決して体格の良い方ではない。だが片手で俺の体を引き上げたところを見ると、鍛えていることは間違いない。上下黒いジャージ姿て目立たない格好をしている。この2人は反社グループの一員なのだろうか。2人とも黒髪で、短く刈り上げられていた。どちらかというとスポーツマン然とし、反社の人間には見えない。
最近の反社の人間というのは、見た目でわからない連中も多い。学生の頃優等生だった人でも、こういうグループに属していることもある。悪いことするのにも、頭が良くないとダメなのだ。
派手な柄のジャージを着ていてくれればわかりやすいのだが、黒の地味なジャージを着ているところを見ると、目立たないようにしているのだろう。
目立たない服装、目的地がわからないようにカーナビがない、拉致。この後の展開は殺されることしか想像できない。
運転手が左ウインカーを出した。次のインターで降りるつもりだ。さっきのは、そのための車線変更だった。
なるべく頭の位置を動かさずに、目だけで前方を覗いた。緑の標識がチラッと見え、すぐに通過してしまった。一瞬だが『霞』という文字が見えた。『霞が関』だろうか。カーナビがあったところで、俺は方向音痴なので、インターの降り口から目的地を予測することができる地理感覚はない。
ETCのゲートを通過すると開けた道路を走り、暫くすると一車線の道路に左折した。
突然、後ろから鈍い音がし、体が宙に浮いた。次の瞬間、助手席のシートに体がぶつかった。両腕を縛られているため、顔からモロに衝撃を喰らう。楓も運転席のシートに体をぶつけて、俺を下に折り重なるようシートから転がった。前走座席からは男の呻き声が聞こえた。車は小刻みに揺れて、暫くすると停車した。焦げ臭い匂いが鼻をつく。
後部座席のスライドドアが開く音と、ドアが開く時のアラーム音が聞こえた。俺の背中がフワッと軽くなった。楓が車から引き摺り出された。顔を上げると、手が伸びてきて俺の背中を掴んだ。俺の体は持ち上げられ、外へと引き摺り出された。足も縛られているためバランスが取れず、足が
車の後部からシューッと煙が上がっていた。4駆の車が俺たちの乗っていたワンボックスに衝突した形で停まっていた。
俺の目の前にブーツの爪先があった。
首を上げた。
そこにはタンクトップ姿の金髪の女が立っていた。
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