第6話 常盤麗子(2)

 彼女の婚約者が、このIT界の革命児に土地の権利など全ての財産を奪われたと話した。依頼人とその婚約者は、井上誠が運営するグループ企業の1つで、人材派遣事業を営んでいた。この複合商業施設ができれば、施設内には多くのテナントが出店する。施設では多くの従業員を必要とする。小売業の通年の課題は人員不足だ。そこに目をつけた井上は、常盤の婚約者が運営する人材派遣サービスを施設に常駐させることにより、その課題をクリアすることで多くの出店を確保する。そういう計画を持ちかけられ、騙されたのだと言っている。

 複合商業施設建設の資金を集めるため、常盤の婚約者は、この事業が始まれば役員の席が約束されたため、一切の権利を譲渡した。婚約者は、実家の土地を担保にして、金の工面をした。それらを根こそぎ奪われたのだそうだ。そして彼は家族と共に命を経った。

 たしか井上誠絡みの事件で一家心中があったとニュースでやっていた。


「私は、この男を許せません。今日の夜、品川のホテルで井上たちの会合があると聞きました。そこで殺そうと思ってました。だけど、どこから出てくるとか、何時にホテルを出てくるのか、どの部屋で会合してるか、なんて考えてたら私1人でなんかできっこない。そんなことでひるんでる自分自身に腹が立ちました」


 彼女はそこで言葉が詰まった。鼻を啜る音が聞こえた。

 今まで何度こういう場面に出会でくわしただろうか。ペットサロンの収入で充分生活できるのに、なぜ楓は殺し屋を辞めれないのか。俺も依頼人を目の前にして話を聞いてしまうと、情が入ってしまう。なんとかしてやりたい、無念を晴らしてやりたい、その気持ちが殺し屋を続ける楓を否定できない。


「わかりました。常盤さんのこと信用してないわけではないんですけど、念のため事実確認をさせていただくのにお時間をください。それによって、私たちが依頼を引き受けるかどうか判断させてください。それが私たちの仕事の手順なので、その点はご了承ください」


 こういう時、ミントだけが冷静だ。任せてください、なんて軽はずみな言葉は言わない。俺たちは仕事の前に、その人物が本当に『執行』すべき人間が『内偵』をする。その説明を淡々とこなす。見た目は若いが、1番大人。年齢も俺と同じだから大人なんだけど。


 常盤はバッグの中をガサガサと探り、B5サイズくらいの紙を出した。


「私は手持ちのお金はもう一銭もありません。これは生命保険の証書です。2.000万くらいは入ると思います。私が死んだら、受取人は弟になっています。弟にも全部話してあります。これで、井上を殺してください」


 この人は死んで、その保険金で殺しの依頼を頼もうとしているのだ。


「私たち、お金は取ってないんですよ」


 彼女は不思議そうな顔を上げた。


「依頼人からは、お金をいただかない主義なんです。悪い奴から、お金をふんだくりますので、心配なさらないでください」


 ミントはいつものように説明する。報酬を取らないということに、みんな不信感を持つ。依頼人たちは今まで散々騙されて痛い目を見てきている。報酬を取らなければ、仕事として成り立たない。あとで殺しを依頼したことを弱みに強請ゆすられるのではないか、と考えてしまうのである。

 ミントは、金を貰わないことを伝える時、あえてという汚い言葉を使うのだそうだ。弱気を助け強気を挫くには、悪い奴らには容赦しませんよ、ということを伝えるのには、にした方がいいらしい。彼女の幼い見た目とギャップがあり、依頼人からは子供が悪ぶっているようにしか見えないだろう。

 だが、ミントは生物学の中でも菌学に精通していて、その菌で夫を殺した。それに4年前に殺しの『執行』をの時、大型トラックを運転してビルのエントランスに突っ込んだのは、このミントだ。本当は怖い人だということを、俺は知っている。


「それでは、調査してみますので、2〜3日お時間ください。それと、先程おっしゃっていましたが、今日の会合、品川のどのホテルかわかりますか?」


 常盤はホテルの名前をミントに伝えた。

 対象者の居場所やスケジュールを特定することは、ロイホの得意分野だったが、予め居場所が分かっているなら手間は省ける。

 会合は今日だと言っていたから、早速今晩から動くことになるだろう。

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