ファースト ミッション〜久々の依頼

第5話 常盤麗子(1)

「あのー、俺、帰ります」


 小林は彼女の大きなバッグに釘付けで、震える足でフラフラと店の扉に向かった。外の方に背を向けた状態で後退りするような姿勢で、その間大きなバッグから目を離さなかった。


「また、今度ゆっくりお願いしに来ます。それじゃあ、失礼します」


 そう言って足早に去っていった。多分、そのバックにイグアナがいるのではないかと思ったのだろう。俺たちにはわかっている。そのバッグにはイグアナはいない。


「申し訳ありません。うちは爬虫類はお預かりできないんです。どうぞ、奥へ」


 ミントは彼女を奥のスタッフルームに案内した。楓がスマホで時間を確認した。午前11時半。まだ予約の鳴瀬さんが来店するまでには少し時間がある。俺と目が合った楓は、また小さく頷いた。


「お昼は、サンフラワーにデリバリー頼んでおきましょうか?」


 気を利かせて、ロイホが提案する。サンフラワーは、俺たちが助けた依頼人が経営するカフェだ。そこには、その件に関わった何人かが従業員として働いている。彼らは俺たちの仕事のことを知る、ごく僅かな人たちだ。


「そうね。適当に注文しておいて」


 俺と楓は、ロイホに注文を頼み、スタッフルームへ向かった。

 スタッフルームには膝丈くらいの高さのガラステーブルと、それを挟むように長椅子が向いあっている。スタッフルームとは名ばかりで、ここは依頼を受けるために用意した客室なので、その他には何も置いていない。最近は使うことがなかったので、買い貯めてあるペットフードや、おトイレシートのダンボールが積み重ねてあった。


「イグアナを預かってもらえないか」は、俺たちに依頼するための合言葉だ。はじめハムスターとかにしたら、本当に連れてきた人がいて俺たちが勘違いして依頼を聞き出そうとして変な空気になったことがあった。適当に誤魔化したが、あの時は危なかった。

 合言葉を決めたのには理由がある。他の客がいる時に聞かれても大丈夫なこと。一時セレブたちにイグアナやカメレオンをペットにするのが流行ったこと。そして、よくうちに出入りする小林が爬虫類が苦手だったこと。大まかに以上の3点から、イグアナに決定した。現に、小林はイグアナと聞いて颯爽と帰っていったので、選択肢は間違っていないようだ。

 べつに合言葉なんて決めなくてもよいのではないかという疑念は拭えない。俺は、単に楓が合言葉を作りたいだけだと思っている。楓は大真面目だが、あの先代の娘なのだ。殺し屋だからと言ってキラーネームという渾名をみんなにつけて、実の娘まで殺し屋にし、リトルハンドという渾名をつけた親だ。その娘の楓が「殺しの依頼は、合言葉で受けるもんだ」と思っていても不思議はない。


 依頼人の女は、年齢は俺より少し若いくらいか。40歳前後と見られる。俯いているので、よく顔が見えないが、鼻筋の通った端正な顔立ちで、長い黒髪の隙間から気の強そうな切長の目が伺える。小さく尖った顎に少し大きめな黒子ほくろが印象に残る。その黒子が小さな顎を際立たせている。決して暑くはない唇が横一文字に伸び、意志の強さを感じる。きっと信念を持った仕事をする人なのだったのだと想像できるが、今は憔悴してやつれている様子だ。

 おっと、べつにいやらしい目で見ているわけではない。俺には、楓がいる。楓をチラリと横目で見ると、俺の様子にはまるで気づいていない。神妙な眼差しを彼女に送っている。久々の依頼人を前に、気持ちを張り詰めさせているようだ。


「その荷物は?」


 ミントは、いつものようにアイスミントティーを出しながら、さっきから視界に入る彼女の大きなバッグについて聞いた。俺も気になっていたことだった。


「これは、私の全部の荷物です」


 彼女の長い黒髪は、少し脂っこい艶を出していた。窶れてた頬に張り付いている前髪を見ると、数日間シャワーすら浴びてないようだ。何があったのか聞いていないが、彼女はここ数日で、持ち運べるだけの荷物をバッグに詰め、着の身着のまま逃げ出さなければならなかった事情があるのだろうと簡単に想像ができる。


「何があったのか聞いてもいいですか?」


 ミントは、少し間を置いてから話しかけた。ミントが話しかけると、どの依頼人も同じ表情をして顔を上げる。彼女も同じリアクションだった。

 彼女の童顔とコスプレのような普段着に、子供が話し出したと思うのだろう。中学生くらいにしか見えないのだ。慣れている俺でさえも、同じ歳だったことを忘れてしまう時があるくらいだから、初見の人は仕方がないことだ。


「ごめんなさい。これでも私、40超えてるんですよ。中学生の子供もいます」


 ミント自体も、このリアクションには慣れている。毎度、同じ返しを繰り返している。


「すみません。お若く見えたので」


 彼女はまた俯いて、背中を丸めてさっきよりも小さくなってしまった。


「気にしないで。慣れていますから。じゃあ、お名前から聞いてもいいですか?」


常盤麗子ときわれいこと言います。あの、あなたたちって、本当に、その、なんていうか......」


 俺たちが『殺し屋』だと疑っているのは明白だ。ペットサロンを隠れ蓑に、受付するスタッフに案内され、奥から強面の殺し屋が出てくるというマンガみたいな展開を期待している人は、意外に多い。俺も本物の殺し屋なんて会ったことないからわからないが、そんなわかりやすい見た目の殺し屋なんていないのだろう。

 依頼人の多数は、俺たちを1人ずつ眺めてから、1度落胆した顔をする。1人はひ弱そうなおっさん。もう1人の男は金髪でチャラついた学生風。子供にしか見えない年齢不詳の女。あとの1人が体が引き締まっている目つきがギラギラした女だ。唯一、格闘に向いていそうなのは楓だけなのだが、見た目ではスポーツジムの女性インストラクターにしか見えない。

 むかしはボクサー崩れの男や、スキンヘッドの男がいたから、見た目で『殺し屋』っぽい人はいた。先代の澤村も細くて背が小さいがギラギラした目つきで、一見弱そうだが(実際、弱い)何かしら怪しい雰囲気があった。

 でも今のメンツはこの4人。仕事が減っているのはごく自然なことだろう。


「そうです。安心してください」


 楓は胸を張る。だいたい依頼人の次の質問は「これで全員ですか」「他にいらっしゃるんですよね」「あなたたちがやるんですか」のどれかだ。これに対しての返答は、「それは秘密にさせていただきます」だ。

 殺し屋が殺し屋だと名乗る必要はない。あとは勝手に依頼人が解釈してくれる。


「あの、殺してほしい人がいるんです」


 依頼人の常盤は、バックからスマホを取り出した。

 スマホの画面を俺たちに向ける。ネットニュースの経済欄の記事だ。1人の男の胸から上の写真が掲載されている。その男は最近テレビでも話題になっていて、俺たちでも名前を知っている人物だった。


 井上誠。学生時代にSNSでビジネスに利用できるコミュニケーションツールを立ち上げ、会員数が激増。今や多角的にビジネスを展開するIT界の革命児と呼ばれ、年商250億だと言われている。若干26歳で、だ。こんな革命児だとか持て囃されているが、よく聞くフレーズだ。

 最近のテレビでの話題になっているのが、土地開発で東京郊外の廃れた商店街の土地を買い上げ、新たに複合商業施設を建設するという計画。実際のところは何が問題になっているのか、俺には全然理解できない。土地開発と謳い、本当の計画は海外の企業に売るだの、政治家が関与してるだの、なにかどうなっているのかテレビを見ていても、全く頭に入ってこない。多分、反社の人たちが絡んだら、無理な地上げとかが関係してるのではないか。

 こういうニュースを聞くといつも思うのだが、なんでこんなに大事になってしまうことをするのだろうか。せっかく成功したのに、そこで満足できないのか。そこまで金が欲しいのか。人間、欲をかきすぎると破滅する。

 一方では、地元住人の反対運動があるらしいが、元々廃れた商店街の住人は、土地を高値で買い取ってくれるなら都合がいいのではないか、と思ってしまう。よく聞くのは、駄々をこねて退去を渋ると売値が高くなるという話。

 どちらにせよ当事者ではない俺が、どちらが本当の被害者なのかわからない。


「私は、その人に全てを奪われました」


 彼女は訥々とつとつと、俺たちに殺しの依頼をしに来た経緯を話し始めた。

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