第3話 綺麗な街

 こうして我が浅野家は、ペットサロンで繁盛しているが、殺し屋の方も続けているのであった。


 ロイホが里穂を学校へ送っている間に、サロンの清掃を済ませ、預かっているペットたちに餌をやり、ペットサロンの開店準備を済ませた。病院の始まる時刻を見計らい、ミントがミミちゃんを連れ出した。

 午前中はペットホテルやサロンの予約がない限り暇だ。要望がある飼い主さんたちには、昨日のペットの様子を電話連絡した。このところ『殺し屋』の方の仕事はここ1年くらい受けていない。自分が殺し屋である現実は忘れかけていた。


 ペットサロンは、高級住宅街の隣街に出店した。マーケティングから、サロンを利用するのはセレブが多いことを考え、高級住宅やペット可の高級マンションが多い場所の中から、少しでも家賃が安い場所を選んだ。高級住宅街に入ってしまうと、やたらに家賃が高い。散歩のついでに寄れるくらいの距離がいいのだ。こういう調査も、ロイホなら朝飯前だ。

 あとはなるべく人通りの少ないところを選んだ。最近はこの地域も隣街の高級住宅地に負けまいと、外観を気にして歩道を整備したり、自動販売機の設置を減らしたりして綺麗になっている。歩道が綺麗になったことでゴミが減った。元々コンビニが少ない地域で、夜に出歩く若者も少なく、治安が良い。地元の高齢者も安心して暮らせているわけだ。セレブなお客様が来やすい綺麗な街であるとともに、あまり目立つ場所ではないことで、この物件を選んだ。これは殺し屋の方の依頼人のためだ。

 それに俺たちも、客を見ただけで、どちらの客かが判断しやすく、話を聞く前に心の準備ができる。楓は、そんなのどこでも大丈夫だと楽観的だが、気が小さい俺とロイホは、そこは慎重に考えてこの場所にした。


 人通りの少ない店の外を眺めていると、世の中が平和に感じる。店の外に出て、店先を掃除していると、ポメラニアンを散歩させている近所のお婆さんが歩いきたので挨拶をした。


「うちのキキちゃんは、こんな高いお店で散髪なんかできないよぅ」


「いいですよ。今度半額でやりますよ」


 そんな他愛のない話をして、別れる。東京なのに、この地域のほのぼのとした雰囲気が気に入っている。ここに出店してよかった、と心の底からそう思う。


 ミントがミミちゃんを抱えて帰ってきた。動物病院の診断も大したことはなかったらしい。ミミちゃんは9歳で人間でいうと50歳以上だ。夏場のこの暑さなら40代の俺でも体の調子は悪くなる。飼い主の山辺さんに電話で連絡をすると、仕事が早く終わりそうだから帰りを1日早めて迎えに来る、という返事だった。


 店のウインドウ越しに外を眺めていると、バイクが近づいてくる音が聞こえた。ロイホが帰ってきたのだ。ビルの駐輪場にバイクを停めて、裏から店に入ってきた。


「参りましたよ。先生に怒られちゃいました。バイクでの通学は送りでも禁止だそうです。それにあなたと里穂さんの関係はなんですかって聞いてくるから、店の従業員ですよって言ったんですけど、あれは信じてないですね。彼氏と間違えてられたっぽいですけど」


 ムッとする俺を見て、ロイホはヘラヘラしている。歳下のくせに生意気な奴だ。


「車はOKなのに、バイクはダメって変ですよね。これが所謂いわゆるブラック校則ってやつですか」


「いや、車もダメなんじゃないのか?」


「通院とか、理由があれば車はいいみたいですよ。バイクがダメだそうです」


 なんでもかんでもOKにはできないのだろう。なにかしらの理由があるのだ。社会に出てからも、変なルールはある。刑事訴訟法337条の『一事不再理いちじふさいり』もそうだ。


 一度判決(有罪・無罪判決,免訴判決)が確定した事件については,その既判力の効果として再度の訴訟・審判を禁止する・・・参照 コトバンク


 とある。どう考えても有罪の被疑者に、無罪が決定したことにより、苦しめられている被害者やその関係者がどれだけいるのだろう。本当に無罪の被疑者は、それに苦しめられることがなくなるが、その被疑者が本当に無罪だったのか。警察も検事もちゃんと調べての結果だろうが、どちらも人間で見落としはあるのかもしれない。それに凄腕の弁護士が、法の間を潜って有罪と分かっているのに無罪を勝ち取ってしまうのかもしれない。

 俺たちも本当に対象者が、それに値するのか『内偵』をするが、もしかしたらその判断も偏ったものなのかもしれない。俺たちの感情が介入することによって誤った判断をしていないとは言い切れない。だが、そんなこと考え始めたらキリがない。俺たちは少しでも冷静な判断を下し、目の前の依頼者に手を差し伸べるしかない。俺たちは決して。これでよいのかという葛藤の中、迷うことを許されない。だから、人を助けたくてウズウズしている楓を見ると、ちょっと心配になる時がある。

 このまま依頼が減り続けて、俺たちの仕事のことは忘れられないか、と願う気持ちもある。なにが正しいのかわからないまま、5年も経ってしまった。


 ただ1つわかることがあるのならば、学校へは車もバイクもダメで自分の足で行け、ということくらいか。


「午後1時に、鳴瀬さんのカットの予約入ってるよね」


 楓が一通りのトレーニングを終え、スッキリした顔で店に降りてきた。ヘアゴムで髪を束ねながら、パソコンの予約画面を確認する。


「鳴瀬さんのところのジョニーくんは、おとなしいからカットするの楽なんですよね」


 そう言って、ミントが得意のアイスミントティーを入れ、みんなにグラスを手渡す。この暑い日に、氷で冷えた紅茶にミントの香りが爽やかで、落ち着く。毛をカットする時に暴れる犬が多いから、楓がカットしている時、俺とミントで抑えるのが大変な時がある。


「じゃあ、午前中は暇ね」


 アイスミントティーを片手に、のんびりした空気が4人の中で流れた。この仕事は、こういう暇な時間が多い。高い料金でも払っていただけるセレブたちに感謝しなくてはならない。法外な金額を請求しているわけではなく、ちゃんとしたセキュリティーなどの設備の関係で、料金は高くなってしまうのだ。もちろん楓のカットの腕も評判なのだが、大切なペットを安心して預けられる環境として、その価格帯は仕方のないものなのだ。

 じゃあ儲けはそこまで出ていないのかと聞かれれば、充分なほどの利益があり、こうしてのんびりとした時間を過ごせるわけだ。本当に贅沢な暮らしだ。

 シングルマザーのミントにも、子供1人養う以上の給料を払えるし、犬の散歩以外ほとんど何もしていないロイホにも、その辺のバイトなんかよりも高い時給を払えるわけだ。

 だから本当を言うと、殺し屋の仕事なんか受けたくはない。このままお気楽なこの生活を続けていきたいのだ。


 ぼおっと外を眺め、ミントの香りを楽しんでいる視界に1人の男の姿が映った。4人に緊張が走る。この付近の住民でもなければ、ペットも連れていない。明らかにペットサロンの客ではない。白いワイシャツの男が、ウインドウの外から店を覗き込んでいた。




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