第2話 浅野家の朝
「えー、どうしたの。ミントさん、出勤早くない?」
楓は、今度はスタンド式のサンドバッグで、蹴りのトレーニングをしていた。
貸しオフィスを改装した部屋の間取りは、寝室1つと、里穂の部屋、そして俺たちの部屋の3部屋と、トイレと風呂。余ったスペースは全部リビングにしたため、リビングだけで20畳くらいある。カウンターキッチンにダイニングテーブルと4脚の椅子。テレビとソファ、壁掛けのオーディオと白を基調にまとめられたリビングなのだが、なんの仕切りもなく反対側はトレーニングスペースになっている。ルームランナー、フィットネスバイク、アブドミナルマシン、チェストプレスマシン、ラッドプルマシン、レッグプレスマシン、サンドバッグ、各種バーベルが、窓際にずらっと並んでいる。まるでスポーツジムだ。
トレーニングは朝日を浴びながらしたいのだそうだ。
「ちょっとミミちゃんの様子を見にきたの。少し下痢気味だったから、山辺さんに連絡して、あとで病院に連れてくね」
「あー、助かる。じゃあ頼んじゃっていい?」
「ぜんぜん大丈夫!なんかさ、ミミちゃんって、なんか自分のことみたいで。むかし、所長に『ミーちゃん』って呼ばれてたから。ところで所長は元気?」
所長とは澤村
澤村は元警察官で、訳あって退職したあと探偵事務所を構えた。しかし、それは表向きで『殺し屋』を営んでいた。
『殺し屋』といっても、本当に人を殺すわけではない。世の中には法律で裁けない人間がいる。その法律で裁けない人間を暴力で裁くのだ。
先代の澤村曰く、『どんな悪人でも人間だ。彼らを人として
まず被害者やその家族から依頼を受ける。殺すターゲットとなる人間を『対象者』と呼んでいる。まずはその対象者を『内偵』する。内偵というのは、対象者が本当に殺されるべき人間なのか調査することだ。依頼者のただの逆恨みで動くわけにはいかない。
依頼者が言っていた事実と照らし合わせ、殺すに値する人間と判断した場合『執行』がなされる。執行とは、暴力で対象者の悪の部分を殺すこと。
これが俺たち「殺し屋』の仕事の流れだ。依頼者の悲痛な叫びを復讐という形で解放してあげることが目的だ。
とは言っても、最近は依頼が減っている。先代の澤村の時は、表向きには探偵事務所を開いていたので、依頼が入りやすかった。探偵事務所自体がいかがわしいので、更に探偵事務所が殺し屋をやっているというマンガみたいなシチュエーションに、疑わしいが少しの信憑性が出るのだろうか。現在の『ペットサロン兼殺し屋』の状況は疑うしかない。
俺としては、ペットサロンが軌道に乗り安定した収入を得られるので、殺し屋の仕事の方は終わりにしてもいいと思っている。殺し屋の仕事が減ってきているのは好ましい状況なのだが、楓の方は人を助けたくてウズウズしているようだ。俺の方から、殺し屋の方はやめようとは言えない状況。
また殺し屋の方の仕事が減っている理由がもう1つ。
これは噂の範疇だから確証はないが、最近同業者が増えているようだ。どう考えても有罪の被疑者が無罪の判決が出た直後、行方不明になったという都市伝説みたいな話を聞く。静岡の実家に聞いたのは、ハラスメントの相談を受け、その相手に復讐してくれるというお寺がある、という話だ。そのお寺のホームページを見てみると、ハラスメント専門でカウンセリングをしてくれる相談員がいると載っているが、噂に尾鰭背鰭が付いて、都市伝説のような話になっているのだろう。
『なんかねぇ。お坊さんが仕返ししてくれるみたいなのよ。そんなマンガみたいな話があるのかねぇ』
呑気に言う実家の
その時に先代の澤村に相談を持ちかけた。安田という男はその後殺され、今でも実家の割烹料理店は地元にも有名な店で経営を続けられている。店に出入りしている漁師のヤスという男が、この殺された安田だ。反省して丸くなったチンピラの安田は漁師のヤスとして、今ではうちの両親にコキ使われている。うちの両親が、マンガみたいな話の体験者なのだから、その寺のことをどうこう言える権利はない。
事実、そうやって助けられる人がいる。世の中に揉め事もなく、辛い思いを抱える人がいないことが理想ではある。だが、これだけ人が多く生きている世の中で、悪い奴がいなくなることは難しい。
人は自分より弱い人間を見つけるのが得意だ。他人を見下し、搾取する人間が必ず現れる。楽をして金を得ようとする。保身のために他人を犠牲にして真実を隠す輩がいる。減ってきてるとはいえ、俺たちの仕事を求める人たちが少なからずいる。そのために続けなければならない、と楓は言う。
「ミントさん来てたんだぁ。おはよう」
目を擦りながら里穂が部屋から出てきた。寝巻きのズボンにブラトップのみという半裸の姿のまま出てきたのを、俺は注意した。
「いいじゃん。男はお父さんしかいないんだし。いちいち煩いなぁ。あれ?わたしの朝ごはんは?」
ごめん!とミントが朝食に手をつけてしまったことを慌てて謝った。
「いいのよ。さっさと起きてこない里穂が悪いんだから」
いつの間に食べたのか、楓の皿は片付けられて、またトレーニングに勤しんでいる。結局、俺の朝食を里穂に食べられた。俺はトーストだけで朝食を済ませた。
「アンタ、結局学校どうすんの?」
「もういいよ。間に合わないし」
「じゃあ、バイクで送っていこうか?」
何気なく会話に入ってきたのはロイホ。うちのペットサロンでアルバイトしている学生だ。ロイホは先代の澤村が付けた
その彼は『殺し屋』の方でも仲間だ。ペットサロンの方ではうちの従業員だが、殺し屋の方では先代の頃からいる古株で、先輩だ。彼は、俺と同じく腕っ節が弱いため、内偵要員だ。ネット系に強いため、セキュリティシステムや監視システムにハッキングしたりという活躍を見せる。
普通に会話に入ってきたため、流しそうになったが、はたと気づき、里穂に着替えてくるように再度注意した。
「いいじゃん、ロイホくんだよ。家族みたいなもんじゃん」
楓は笑っているが、父親としては気が気じゃない。
「やっぱ学校行く。ロイホくん、送ってって」
と里穂はパンを咥えたまま自室に入り、制服に着替えてきた。
相変わらず我が浅野家の1日は、バタバタとした感じで始まる。
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