アットホーム アサシン 2
オノダ 竜太朗
プロローグ〜あれから4年
第1話 本業
朝、キッチンから聞こえる音で目が覚める。フライパンの上で油の弾ける音。卵を割る音。目玉焼きだ。ある程度卵の白身に色がついてきた頃、日を弱火にし、空いたスペースにソーセージを並べて、少し水を入れ蓋を閉めて蒸す。妻の
俺は先に洗面所に寄り、簡単に顔を洗い、手櫛で寝癖を整え、リビングに向かった。
リビングには楓が腕立て伏せをしていた。これもいつものルーティンだ。卵の黄身が半熟に仕上がる時間が、ちょうど腕立て伏せ50回分の長さだと言う。
「
いつもなら娘も一緒に腕立て伏せをしているはずだ。もう高校受験を控えているので、娘のトレーニングはやめてほしい、と父親としては思うのだが、楓はやめてくれない。
「さっきから起こしてるんだけどね。わかってるって言うくせに全然起きないの」
「ちょっと、俺、起こしてくるよ」
「いいよ、放っておけば。遅刻しちゃえばいいんだよ」
「遅刻って。里穂、内申点は大丈夫なのか?」
楓はそれには答えず、48、49、50と数えて立ち上がり、コンロの火を止めにキッチンに入った。
俺は娘の部屋のドアをノックした。ノック無しで部屋に入ると、えらい剣幕で怒られる。着替え中だったりしたら、1ヶ月くらい口を聞いてもらえなくなる。それでなくても最近はあまり話してくれなくなってきた。むかしは、お父さん、お父さんってひっついてきて可愛かったのにな、まあ、そういうお年頃なのだろう。
ドアをノックしても返事がない。様子がおかしいと思いドアを開けた。ムンッと蒸し暑い空気が部屋から溢れた。声をかけながら側に寄ると、ベットから足を放り投げたような状態で寝息を立てている。むかしから寝相が悪い娘だ。
おい、と声をかけて肩を揺すると、里穂は汗だくだった。こんなクソ暑い7月に窓を閉め切って寝ているからだ。いつもクーラーを掛けっぱなしなので注意したところ、タイマーをセットしていたのだろうが、クーラーが切れて、部屋の中は熱気でムンムンとしていた。
「おい!早く起きろ。まだ夏休みじゃないぞ」
「ちょっと!勝手に入ってこないでよ!」
そう言って枕を投げられた。
「勝手じゃない。さっきノックしただろ!」
「知らないよ。放っておいてよ」
寝返りを打って、こちらに背中を向けた。
「大丈夫か?学校どうするんだ」
「ちょっとダルい。休む」
「熱でもあるのか?」
熱中症になったかと思い、俺は里穂のおでこを触り、熱がないか確かめた。
「ちょっと。触んないでよ」
突然起き上がり、両手で突き飛ばされた。さすがトレーニングを積んでるだけあって、普通の女子中学生よりは力強い。俺は部屋から締め出された。
「ほうら。放っとけばいいのよ」
楓は今度は鉄アレイでトレーニングをしていた。ダイニングテーブルには既に3人分の朝食が並べられていた。6枚切りの食パンを最近購入したお気に入りのオーブントースターで焼いてある。表面が少し焦げたくらいで、中がフワッとしているのがいいらしい。そこにバターと蜂蜜をかけて食べる。
「あの子も疲れてんのよ。昨日もフジコのところ行ってるし」
「またなのか。もう3年生は部活引退してるだろ。受験勉強はしてるのか?」
フジコは、むかしの仲間で今は格闘技の道場を開いている。傍ら、里穂の中学のテコンドー部のコーチもしている。
「いいじゃない。本人がやりたいなら。それよりシンちゃん、山辺さんから預かってるミミちゃんが昨日食欲なかったから、様子見てきて」
ミミちゃんというのは猫で、お客様から預かっているペットだ。4年前からペットサロン兼ペットホテルのショップを経営している。最初はペットホテルのみで経営していたが、楓がトリマーの資格を取ったのでペットサロンも展開することになった。賃貸物件で、始めた当初は住まいは別だったが、お客様からお預かりしているペットは24時間体制で見なければならない。同じビルの4階が空いていたので、すぐに引っ越してきた。貸しオフィスなので、中を改装して住居にした。改装費は結構高かったが、俺たちにはそれなりの蓄えがあったから大丈夫。
パジャマ代わりのTシャツとスウェットのままエレベーターで降りて、店舗へ。鍵を開けようとすると、中は明かりが点いていて、鍵も開いていた。誰かいる?と声をかけながら、中に入るとそこには堀内明子が山辺さんから預かっているミミちゃんを抱いた姿があった。
「すみません。驚かしちゃいました?」
堀内明子の通称は『ミント』。彼女の入れるアイスミントティーが絶品なのだ。彼女は仕事仲間で、うちの従業員でもある。彼女は俺と同じ41歳なのだが、どこから見ても女子中学生くらいにしか見えない童顔だ。今日の服装も、フリフリのブラウスにフワフワのスカートを履いて、とても同じ歳には見えない。たまに中年の女性でそういう格好をしている人を見かけるが、どこか無理が祟って悲壮感が出てしまう。ところが彼女には全くないのだ。
「やっぱりミントさんか。勤務時間より早過ぎない?」
「ちょっとミミちゃんの様子が気になって。少し夏バテかな」
「じゃあ山辺さんに許可もらって、病院に連れてこうか」
「そうですね。少し下痢もしてるみたいだし。ワタシ、電話しておきますよ」
ミントさんは気が利く。彼女は顧客様から絶大な信頼を得ている。小動物看護士とペット飼育管理士の資格を持っているので非常に助かる。うちはペットサロンなので、お預かりしているペットの体調が悪い時は、医療には介入できないので病院に連れて行くことにはなる。だが彼女がいることで、的確な判断ができ、顧客様が安心して預けられる環境が整っている。
楓はトリマーの資格しか持っていないので、病気のことはわからない。彼女には本業の方はお休みしてもらっていて、こちらに専念してもらっていることは、顧客様だけでなく俺たちも助かっている。
「朝早いけど、ミントさん。朝ご飯食べた?」
「いや。ミミちゃんのことが気になっちゃって。
慶太くんとはミントさんの息子だ。うちの里穂と同じ歳。彼女はシングルマザーで息子の慶太くんと2人で暮らしている。慶太くんは、里穂と一緒にテコンドー部に入ったが、3年で引退してからはちゃんと勉強をしているらしい。
「じゃあ、朝食、よかったらうちで食べてってください。まだ動物病院やってない時間でしょ」
「いいんですか?」
「丁度、楓が朝ご飯3人分作ったんだけど、里穂の奴、起きてこないから食べちゃっていいですよ」
「え?里穂ちゃん、学校は?」
「んー、またサボるんじゃないですか。まったく、進学する気があるんだか。慶太くんは、もう私立の高校の推薦が決まってるんですよね」
「まあ、あの子、誰に似たのか真面目だけが取り柄だから。里穂ちゃんは進学しないの?」
「どうなんですかね。楓は仕事継げばいいって考えてるので、困っちゃってます」
「いいじゃない。店、継げば。トリマーの資格取るなら専門学校でもいいんだし」
ううーん、と俺は唸るしかなかった。楓が里穂に継がせようとしているのは、ペットサロンの方ではなく、本業の方だ。
俺たちの本業は、『殺し屋』だ。
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