特別なおれは火星行きのロケットに乗ることができる

@phaimu

特別なおれは火星行きのロケットに乗ることができる

 上空に上がるロケット.轟音と共に宇宙へ飛んでいく.忌々しいロケットだ.火星にいけるロケットに乗れるのは限られた富裕層だけ.俺みたいな一般庶民は黙ってこの地球と運命を共にするしかないんだよ.マンションの自室で昭文はひとり毒づいた.この地球に巨大隕石が落ちるまであと六時間を切っている.今日の夕方には地球は消滅するのだ.昭文には最後にやりたいことなどない.しかし,生き延びていたい.死にたくないという気持ちは強くあった.

 昭文はテレビをつけた.しかし,どの局も放送をしていない.火星に局があるテレビはやっているかもしれない.しかし,昭文は火星のテレビを見る契約をしていないので見ることはできない.現在の時刻は昼過ぎ.朝に昭文は外に出たのだが,ひどい事態になっていた.近くにあるコンビニに行くと棚にある品物はすべて盗られていたし,祈りによって巨大隕石を消滅させるとする集団が大きな声で空に向かって歌声を上げていた.コンビニでは食料を調達することができないと思った,昭文はすぐに帰ろうとした.そのとき突然,ナイフを持った男に追いかけられた.

「まて,まて,どうせ死ぬんだろ.死ぬんだったら今,死んでも同じじゃないか.俺は一生に一度は人を殺したいと思ってたんだよ.まて,逃げるな」

 完全に頭がイカれていた.昭文は逃げながら,空に向かって歌声を上げている集団の中に突っ込んだ.昭文はそのまま集団の中から離れることができたが,後ろから悲鳴が聞こえた.集団の中の誰かが刺されたのだろう.痛ましいことだが,俺のせいじゃない.昭文はそうやって自己弁護をした.自室に戻った昭文はテーブルの椅子に腰を下ろした.まさに世界の終末.この世の終わりはひどいものだと昭文は思った.

昭文はパソコンの電源を入れた.昭文の住むマンションは太陽光発電で自家発電しているので,発電所が止まっても電気を使えた.昭文は火星にあるプロバイダーに契約をしているので,地球が大混乱になってもインターネットに接続することができた.別にそうしようと思わなかったのだが,昭文はメールのチェックをしていた.仕事をしていた時は毎回パソコンをつけるたびにチェックしていた.昭文に友達はいない.だから友達からのメールは皆無だ.送られてくるメールは企業の広告メールばかり.こんなときまで広告メールを見なきゃいけないのかよと昭文はあきれた.メールを閉じようとしたとき,新着メールが届いた.昭文はメールの件名をみた.

『緊急.至急見てください.あなたを助けるために火星行きのロケットを用意しました』

 スパムかウィルス付きのメール,あるいは趣味の悪いジョークメールではないかと昭文は思った.しかし,後六時間で死ぬのだ.今更パソコンがウィルスに感染しても何も問題はない.そう思って昭文はメールを開いた.


 親愛なる,佐藤昭文さんへ

 お久しぶりです.私は火星 アテルーラ市 市長 ヴィネチ・レイタです.

 今地球は隕石の衝突により混迷極まる状況であると聞いています.限られた富裕層のみが地球を脱出し,私たちの火星に来ています.自家製ロケットを持っていない多くの人々は地球と運命を共にするしかないことも私にはわかっています.

 しかし,私はあなたを助けたい.成長型アンドロイドとして生まれた私は小学生のころにあなたのいた小学校に入学 しましたが,多くの人間は私を人間扱いせず,ひどい扱いを受けました.その中であなただけが私を人間として扱ってくれたことを今日までに忘れたことはありません.そのおかげで私は人間を信じることができました.私がこうしてアンドロイド初の市長になれたこともあなたのおかげです.

 いまこそ,あなたに恩を返すときが来たと思ったのです.

 東京郊外の山奥にあらかじめ着地させておいた.火星行のロケットがあります.それに乗って,火星に逃げてください.火星に逃げた後は私があなたの世話をさせていただきますのでご安心ください.ロケットの内部には食料がありますが,合成食料ばかりで飽きてしまうかもしれません.火星に着くまでは少なくとも一週間はかかります.もし,準備できるならご自分で食料をロケットに持っていくことをお勧めします.また,ロケットは昭文さん以外のものに乗られないように昭文さんの生体認証機能を搭載していますのでご安心ください.生きている昭文さん以外の方が乗ってもロケットは火星には飛び立ちません.

 それでは火星でお待ちしおります.


 小学校のころ優しくしていたヴィネチから,こんなメールが送られてくるとは思わなかった.昭文は棚から出たぼた餅以上のものに喜んだ.昭文が小学校だったころ,昭文はヴィネチと仲が良かった.昭文はヴィネチがアンドロイドだからといって差別する気は毛頭なかったし,ヴィネチは昭文以外の友達がいなかったからだ.

 メールには地図が添付されていた.地図を開くと,昭文のいるマンションから二十キロほどはなれた山奥にロケットはあるらしい.

 隕石が墜落するまであと四時間.

 昭文は車のキーを取り出し,リュックを持ってマンションを後にした.

 昭文は駐車場から車を出す.公道には車は一台も走っていなかった.しかし,暴徒が車道に出ている.昭文はクラクションをけたたましく鳴らして暴徒たちを蹴散らした.大半の暴徒はクラクションを鳴らせばどいて行ったものの,クラクションを鳴らしてもどかない暴徒もいた.そういう暴徒がいるときは必死に昭文は自動車を横にずらすのだが,走っているうちに何人かの人間を轢いてしまった.昭文は罪悪感に襲われた.暴徒として車道に出ている人間を轢いてしまっていいのだろうか.昭文は最初はそう思っていたが,次第にそうは思わなくなった.どうせこの地球もあと数時間で消滅する.今は警察も機能してないし,国家そのものも機能しているか疑わしい.そんな中で人を轢いてなんだというんだ.数時間後に死ぬか今死ぬかの違いだけではないか.俺は火星に行くことができるが,俺が轢いてきた人間にそんな人間はいないだろう.今,俺は何をしても良いはずだ.今まで守ってきた法や決まり事など後数時間で消滅するこの地球では何の意味もないのだ.昭文はそう思うことで自分自身を正当化していた.

 火星行きのロケットがある裏山まで残り一キロほどとなった.カーナビで確認してみると裏山近くのコンビニは少し先にあるコンビニ以外ないらしい.昭文はそこで,少しばかりの食料を調達しようと考えた.

 昭文はコンビニの駐車場で車から降りた.コンビニの自動ドアはこわされ,ガラスがギザギザになっていた.昭文は,自分が通れるくらいにガラスの穴を足で広げ,コンビニの中に入った.郊外のコンビニだからか,荒らされていたのは自動ドアだけで,中にある商品にはあまり手がついていないようだった.昭文は棚を物色していく.ジャムパンにおにぎり,あとは保存のききそうな缶詰.いろいろなものをリュックに詰め込んでいく.やっていることは泥棒そのものだ.しかし,そんなことを気にする人間はもういないだろう.好きなものを好きなだけもらっていこう.宇宙船の中では時間があり,暇になるかもしれない.そのときのために雑誌もいくらか持っていこう.そう思って昭文は雑誌も何冊かリュックに入れた.いろいろなものを詰め込んだせいで昭文のリュックはパンパンになっていた.

「そこで何をしている」

 昭文はぎょっとして振り向いた.そこには,警官が立っていた.

「駐車場に止めてある血まみれの車は何だ.何人の人間を轢いてきたんだ.それに今お前がやっている行為は窃盗そのものだ.現行犯でお前を逮捕する」

 警官が険しい口調で言った.昭文はたじろいだ.いくら,自分の中で言い訳をして人を轢いたことやコンビニのものを勝手に盗ることを正当化しても悪いことをしているという思いはまだ昭文の心の中に残っていたのだ.

「いいじゃありませんか.あと数時間でこの地球は終わるんだし.それに私の車についている血はあなたには関係ないですよ.あなたは警官かもしれないですけど,今ここでは何の意味もないことです.私にはいくべき場所があるそこをどいてくれませんか」

 昭文は少し笑いながら言った.自分の犯してきた悪事が警官にばれ,昭文は緊張していた.その緊張を和らげるために自然と笑ってしまったのだ.

「裁くものがいなくとも,あと数時間でこの地球が滅びようとも,人を轢いた罪や物を盗む罪は変わらない.あなたは罪を償うべきなのですよ.私は警察官だ.働きだしたときからね.だから地球が滅ぶその最後の時まで私は職務を全うする.それが私の生き方だ」

 警察官が手錠を取り出した.こんなところで捕まるわけにはいかない.とっさに昭文は警官ともみ合った.互いに殴り合い,もみくちゃになった.しかし,一瞬のすきに昭文は警官を押し倒した.不意を突かれた警官はそのまま後ろによろめいた.そして,後ろにあった,自動ドアのガラスのギザギザにそのまま背中から倒れた.背中にガラスが突き刺さる.

「うぐぅ」

 警官は口から血を流した.昭文は警官の様子を見ていた.警官はしばらく口をぱくぱくさせて何か言いたげに昭文を見ていたが,やがて動かなくなった.

 昭文に殺す気はなかったのだが,確かに昭文は警官を殺してしまった.非常に後味が悪かった.やる必要のない殺生をしてしまった.昭文はその場で吐いた.胃の中のものがすべてなくなるまで吐いた.そしてしばらく警官を見ていた.人をいくらか轢いてしまった昭文でも明確に自分が殺した死体をみるのは初めてだった.警官の死体が弁護の余地なく昭文が悪人であることを表しているようだった.

 もう行こう.これは事故だ.俺は悪くない.それに何度も思っているが,もう地球は消滅するのだ.それと一緒に俺の罪も消滅するのだ.そう思って昭文は車に乗り込んだ.昭文の服には警官ともみ合った時についた血がついていた.

 目的の裏山についた.昭文は車を乗り捨てロケットの場所に向かう.

 歩いて十分ほどで昭文はロケットの場所にたどり着いた.球形のロケットだ.ロケットは森の中の小高い丘のような場所にあった.昭文がロケットに触るとロケットが開いた.中は意外に広く昭文以外の人間もあと一人は乗れそうだった.昭文はロケットにリュックを放り投げるとその場に座って,街の方をみた.もう日が沈みかけていて赤く染まった街だ.昭文が生まれ育ってきた地球.その地球の風景を見るのもこれで最後だと思うと昭文は悲しかった.しかし,自分は幸運なことに地球と運命を共にせずに済む.出発のぎりぎりまで最後の地球の風景を見ておこうと昭文は思った.

 隕石が落ちるまであと十数分程度.ロケットの内部のモニターが作動した.

「昭文さん」

 モニターにヴィネチの顔が浮かびあがり,昭文に語りかける.

「そろそろロケットに乗ってください.もう少し時間が経つと危険です」

 昭文はモニターを見ながら答える.

「分かってる.最後の地球の景色なんだ.あともう少しだけ見させてくれ」

 昭文が改めて夕暮れに沈む街を立って見ようとしたそのとき,

銃声が響いた.

拳銃の弾丸は昭文の肩を貫通した.昭文はその場に倒れこみ後ろを見た.後ろには拳銃を持った女が立っていた.

「何をするッ」

 昭文が肩で息をしながら言う.よろよろと昭文は立ち上がった.

「お前は誰だ」

 またも銃声が響く.今度は昭文の太ももを弾丸がかすった.女が口を開く.

「あなたが殺した警官の娘よ」

 昭文はぎょっとして女をみた.

「父さんは立派な警官だったわ.地球が滅ぶ最後の日まで警官としての責務を果たそうとしたのよ.それをあなたは殺した.あなたも死ぬべきよ.この父さんの拳銃でね」

 どうするべきだ.どうするべきなんだ.昭文は必死に思考を巡らせた.地球最後の日だ.女が俺を殺そうとすれば自分の正義と父親の敵討ちという大儀名分で俺をそのまま殺すだろう.だが,俺はまだ警官を殺したと言っていない.そうだ,人違いであると言えばいいんだ.昭文はそう思った.

「なんのことだがさっぱりわからない.俺は警官なんて殺しちゃいない.ただ地球最後の日に山に登って街を眺めようとしていただけだ.お前の親父のことなんて俺は何もしらないッ」

 昭文が両手を上げながら言った.

 銃声が響く.今度は昭文の耳を貫いた.

「ッッッ」

 昭文がうめく.

「嘘をついても無駄.知ってる? 大抵の殺人事件が解決される理由は犯人が初犯で,ありえないミスを犯すからよ.気が動転していて周りが見えないの.私はあなたが父さんを押し倒して殺すところを見てたわ.その後に車で走り去ったこともね.それにあなたの服についてる父さんの血それが何よりの証拠よ」

 女が淡々と言った.昭文は自分の服を見た.確かにそこには血がついていた.こんなことにも気づかないくらい俺は気が動転していたのか.昭文は自分が思っている以上に冷静に物事を見れていないことに気づいた.しかし,今はそんなことに思いを巡らしている場合ではない.昭文は最後の取引を持ち掛けることにした.

「なあ,待ってくれ.あなたのお父さんを殺したことは謝る.だが,後ろのロケットを見てくれ.このロケットは火星に行くロケットだ.調べたときには俺とあともう一人くらいなら乗れそうなんだ.俺はコンビニで食料を調達してた.その食料をあなたと分け合えば,一緒に火星にいける.火星に行けば俺のことを罪人として裁くこともできる.ここで俺を殺したら,火星には行けない.ロケットは俺専用に作られていて生きている俺がいないと火星にいかないんだ.ここで俺とあなた二人とも死ぬ必要はないんだよ」

 女の手が震えている.しめた.今まで死ぬと思い込んでいたのにいきなり助かる道があると聞かされれば動揺するだろう.あとは,女が油断したすきに拳銃を奪って女を殺せばいい.昭文は邪悪そのものに成り下がっていた.

「死ぬのは怖いだろう.あなたは死なずに済むんだよ.銃を下ろしてくれ.死んだお父さんはもう生き返ることはないんだ」

 女の手の震えが止まった.昭文はしまったと思った.

銃声が響く.昭文は脳天を撃ち抜かれて即死した.女の持っている銃口から煙が上がる.女は拳銃を落とし,膝をついた.

女の慟哭があたりに響いた.


火星で昭文が死ぬ一部始終をモニター越しに聞いていたヴェネチはため息をついた.ヴェネチは自分の邸宅の椅子に座っていたが,立ち上がって邸宅のバルコニーに出た. ヴェネチが空を見上げると,火星の夜空には多くの星々が輝いていた.やがて,流れ星が流れ出した.一つ,また一つと光っては消えていく.やがてその数は増えていった.隕石が衝突した地球の破片が流星群となって火星の夜空を彩り始めた.その様子を見ながらヴェネチは涙を流すのだった.

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