第5話 筑前国続風土記によると



 乾杯をして、みんなが飲んだり食べたり始めてすぐ、住職さんが広間全体を見渡しながら尋ねた。

「それで、神社の前の土地がどうしたと?」

 俺はなんとなく挙手して、話し始めた。

「実は……」

 あの土地が曾祖父の代に登記されたこと、村の男全員のものとして登記されたから、相続人が大量にいること、固定資産税を役所が支払ってもらいたがっていることを説明した。


「あそこって神社の土地やなかったと?」

 一人のジイサマがもっともなことを言った。住職は唸った。

「そう思っとったが、なんせあそこは無人の神社で、神主がおらんからねえ。どこからどこまでが神社の土地なのかなんて誰も知らんと思う」


「そもそも何であの土地を登記したっちゃろ? もっと大事な土地ってほかにあるやろうになあ」

 別のジイサマ、というにはまだ若い60代ぐらいの男が言った。

「何を言いよるんね」

 一人のバアサマが呆れたと言わんばかりの顔をした。

「あそこがこの村で一番大事な土地やろうもん」

 多くのジイサマとバアサマが頷いた。

「え、あそこってそんなに大事なんですか? もしかして、天皇の墓ってあそこにあるとか?」

 俺は素朴な疑問を投げかけてみた。みんなは顔を見合わせ、どっと笑った。

「なんね祥吾くん、そんな話を信じとると~?」

「あっはっは」

「いや、笑ったら失礼よ。うぷぷ」

 俺は顔が少し赤くなるのを感じた。そんなに笑わなくてもいいだろうに。

「天皇の墓かあ。そんな話もあったね。懐かしいなあ」

「俺らが子供の頃、この村の大人たちはよく言ってたよな、この村には天皇の墓があるって」

「うん。私もよく聞いた。でも、嘘だと思ってた。祥吾は信じてたんやね……」

「ピュアな子供だったんだよ!」

 住職が柔和そうな顔で、俺に向かって語りはじめた。

「昔、『筑前国続風土記』にそげなことが書いてあったみたいやね。天智天皇の墓がこの村のどこかにあると。ほかにも長慶天皇の墓がこの村にあるとかどうとかいう話もあったなあ」

 奈々果のお父さんが、あとをついで口を開いた。

「確かにここは昔から流れ者がたどり着く場所やけんね。京都から出てきた人は、どういうわけかこっちに流れ着きよるし、偉い人の墓もひょっとしたらこの村にあるかもわからん」

 すると、バアサンが栗をむきながら、話に加わった。

「こんな田舎に本当に逃げてくるやろうか。菅原さんみたいに大宰府あたりに行くもんやないと?」

「さて、ねえ」

「ほら、祥吾くん、食べてみなっせ。今年の栗は甘かよ」

 手渡された栗は、口に入れるとほくほくと崩れて、柔らかな甘みが口いっぱいに広がった。こうやっておばあさんからむき栗を手渡しされて食べると、幼い頃を思い出して、少しじんときた。祖母もよくこうして栗をむいてくれたものだ。

「それで固定資産税の話やけどさ。俺が払おうと思う、いいやろ?」

 奈々果のお父さんがそう言った。

「えっ、おじさん、いいんですか?」

「これまでは栄一朗さんが払いよったっちゃけん、鳴沢の家にまた出してもらうわけにはいかんやろう。今度はうちの番や」

 俺は頭をさげた。

「ありがとうございます」

 住職がうんうんと頷いた。

「大林さんがそう言うなら助かります。そんならよろしく頼みます。皆さんもそれでよかでしょ」

 みな異論はないようだ。もちろん俺も。

「これで一件落着っと。さあ、あとはもう飲んだり食べたりしましょ」

 おじさんがそう言うと、みな拍手した。



 料理をつついていたら、奈々果のおじさんが酒瓶を手にやってきた。奈々果はいない。宴会が始まってからというもの、ふらっといなくなって、ふらっと戻ってくるが、あいつは一体何をしているんだろうか。

「祥吾くん、ちゃんと食べとる?」

「はい、いただいています。棒タラなんて何年ぶりかな。すごく懐かしいです」

「ここだけの話やけどさ、あんまりうまくはないやろ?」

「それ、バアサマたちに聞かれたら殺されますよ」

 俺もよく知らないのだが、棒タラの煮付けはつくるのが大変らしいのだ。その労力に見合う味かというと少し疑問なほど魚臭いので、子供のころは苦手だった。

「でも、酒には合いますね」

 これはごはんのおかずではなく、酒の肴だったのだと今は思う。

「おじさん、さっきはありがとうございました」

 改めて礼を言った。

「なーん、気にせんでよ。それよりさ」

 おじさんはずずいと距離を縮めてきた。

「うちの奈々果によか男ば紹介しちゃらん? まだ彼氏もおらんとよ」

「え、いや、あの、そういうのは本人の気持ちもありますし……」

「もちろん祥吾くんが婿に来てくれてもいいとよ?」

 おじさんはぐいぐい迫ってくる。顔が近い。もしかして固定資産税よりも面倒な事態が発生しているのではないだろうか。

「お父さん、何を言いよると!」

 振り向けば、顔を真っ赤にした奈々果が俺たちを睨んでいた。ブドウの乗った皿を、どんと机に置いた。

「んま~、照れとる~」

 冷やかすようにおじさんは笑う。

「照れとらん!」

 近くで梨をかじっていたバアサマが、おっとりと口を開いた。

「奈々果がこまかった頃、「鳴沢さんとこのお孫さんはお盆は帰ってくると? いつ帰ってくると?」って毎年聞きよったなあ。懐かしいなあ。あの頃は良かったなあ、みんながおって、村も活気があって、学校も子供もまだおってなあ」

 そう言いながら、バアサマは節くれ立った手で涙をぬぐった。

「もうこの村には子供は一人もおらん」

「それに小学校がなくなってから、子供のいる家庭もこのあたりには引っ越してこなくなったしねえ」

「もうこの村は消える運命なんやろうか……」

 しんみりとした空気となった。

 そのときだった。小太りで背の低い高齢男性が駆け込んできた。駐車場で出会った老人、山田さんだ。

「大変だ。川で子供が死んどる!」

 ジイサマたちは、さっきまでの緩慢さはどこに行ったのかと思うぐらい機敏に立ち上がると、外へと走り出た。自分もとっさに追いかけた。


 しかし、

「祥吾くんは、駐在さんば呼んでこらっしゃい」

 奈々果のおじさんにそう言われて、俺は村外れに建つ交番へと全力で走った。

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