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「あの……もし私が合言葉を喋ってあなたを勝たせたら、『裏切り者』だといって私を虐げるのでは無いでしょうか?」
喋るのは怖かったけれど、「これは演技だ」と思えばすんなりと言葉が出た。こうすることで、策略を弄することによって、あのワインの栓抜きのようなものが私の上に振り下ろされるまでの時間が少しでも延びるかもしれないと思うことにしたのだ。
「んん?」
男が――もはや私の躰を好き勝手触っていたが――私の話に耳を傾けた。
「だって、すべての主人が……忠誠心のある奴隷を求めているのですから。裏切ったら、悪い奴隷です」
と。
男は答える。
「そんなことがあるものか、だいたい、お前がいま仕えている屑のような主人を裏切ったからといって、俺はお前のことを裏切り者だとは捉えんぞ」
私の眉根がピクリと動く。
「な、なんて……」
「何がだ? 別に本当のことを言っているだけだろうが。こんなゲームに参加させるなんて、酷いやつだ。あいつは屑だろう。そうじゃないか? 俺はあいつのことはよく知っているがな、もう何年もこの遊びから抜けだせんのよ。まあ俺もそうだから文句は言わんが――青二才のくせにどうしようもない異常者だぞ、もう何人も奴隷を殺して来ている、ゲームに関わった奴隷は全員な。死ぬ運命さ、奴の手にかかれば。そうだ、前にも知っているぞ、あいつが連れていた奴隷で『このゲームに勝ったら結婚してやる』なんて言われてすっかり惚れ込んでた奴がいてな――死んだよ。あいつは約束を守らなかった。勝ったのに惨殺した」
「ちがう…ご主人様は、そんな人じゃないっ…!」
「いいや、そういう奴だ。拷問にしか興味が無い。使い終わった奴隷は捨てられるか殺されるかだ。だがあいつは殺す。そういうことにしか興味が無いからだ。だから一刻も早く俺のもとに逃げてこい、あいつはうぬぼれの強い詐欺師だぞ、あいつの言葉は全てが単なる遊びだ――どんな嘘で騙された? まあ顔は良いから惚れ込む女が多いのはわかるが……だがそんな奴が未だに独身で居るのはどうしてだと思う? なあ、この”遊び”を楽しみたいからだよ、他にどんな理由がある。まさかお前のために取っておいたとでも言うのか?」
男はあざけ笑った。
そのあと、どうやら『ご主人様』と昔からの知り合いであるらしい黒衣の男は、「彼の正体」なるものを暴露し始めた。地方領主の息子である彼が都に住んでいるのは気まぐれに過ぎないということ、先の戦争中に無実の領民に次々とスパイ容疑をかけ、拷問しては殺していったために地元ではひどく恐れられているということ、今住んでいる館の地下に拷問部屋があるということ、彼と三年来の付き合いである男はこの目でそれを見たということ、そのとき拷問部屋には銀髪の少女の屍体があったということ、だけど、そのどれもこれも信じられなくて、信じられないほどあの優しいご主人様の姿とは隔たっていて、嘘みたいで、男はよほど流暢に喋ったけれど、そのすべてはでたらめにちがいないと思う。
「早く俺に合言葉を言え! おまえの指先に指がついてるうちに!」
やがて、そうがなって男は私の頭を強く引き寄せる。本当に私のことを気遣っているのかは知らない、そう見せかけたいのかもしれないけれど、少なくとも、大なり小なりは――大金が目当てであるということが分かっている。
「や、やだっ……」
私は拒絶する。ところでこのゲームでは時間が経てば経つほど裏切りというものは言い出しにくくなっていく。なぜなら、今この瞬間にもご主人様が相手の奴隷から合言葉を聞き出して「箱」のもとへと向かっている最中かもしれないからだ。もしそうなら、私はあと30秒だけ堪えれば良い。あと20秒だけ。あと10秒だけ。
――ゲームの終了を告げる実行委員のノックが聞こえてくるかもしれない。ドアが開き、拷問者を制止するおごそかな声がひびく。箱が開けられたことを実行委員が彼に告げると、彼は今度は「本当にこの奴隷は合言葉を知らされていたのか! 最初から何も教えられていないのではないか!」と厳しく糾問する。そこで私は合言葉をほんとうに教えられていたことを証明するために、公証人の前で、口に出してそれを言う。合言葉を記した封筒の中身が確かめられ、真実の勝利だったことが分かると、賞金と栄誉はわたしたちのものになる。そう、私とご主人様のものに……
だから『もしあと一秒でも裏切るのが遅ければゲームに勝てていた』なんてことにならないように、あと2秒でも、あと3秒でも、引き延ばしたほうがいいのだ。それこそ、限界まで。目の前に熱い火の粉が迫ってくるまで。
「見れば、お前はなかなかいい顔をしてるじゃないか。さっきは金の約束なんぞどうせ無駄だというようなことを言ったが、どうだ、お前を俺の妾にしてやろう。いや、わかってるよ、どうせお前もあいつのほうが良いと言うんだろう、若いし、何よりもあのハンサムな相貌をしているものな。だが残念ながら、あいつにはその気が無いんだ、わかれ、あいつは女たらしの詐欺師なんだ!! 今も俺の奴隷に得意の色仕掛けをしていることだろうさ、その光景を見せてやりたいよ、まったく!! ……気のない相手にいくら尽くしても意味が無いだろうが!」
何を言われても無視する。それがご主人様から教わった勝利の鉄則。だから、耳を傾けていはいけない。……はずなのだけれど、流石に耳元で大声で怒鳴られては無視どころではない。鼓膜への攻撃にも思える。でも耐えなきゃ駄目。それとは別に、太い腕で首を絞められて息が速くなる。
「…なぜお前は選ばれたんだ?」
ふと、押し黙った男が次に発射した言葉は、上のようなものだった。それは次のような意味なのだろう。『お前のように不細工で何の取り柄もさそうな少女が、どうして絶世の美男子から目をつけられたんだ?』と。
「あ、あなた自身が『なかなかいい顔をしている』と、さっきおっしゃったじゃありませんか……?」
でも、その言葉がお世辞であることは私も知っていた。お世辞というより、空虚な嘘。残骸だけの言葉。だからなぜ私は選ばれたんだろう、と考えてしまう。あのとき店に居た女の子の中で、一番可愛かったのは私というわけではない。たしかにみんな揃って痩せこけて不健康な貌をしていたけれど、私より綺麗な娘は確かにいた。――病気だから可愛そうと思われたのだろうか? ご主人様はいつも私のことを褒めてくださる。でも、本当に私はあんな激賞の言葉をかけられるほど価値のある奴隷だろうか。魅力はあるの――? たしかに私はご主人様のことを思いつめる程愛している。それは事実で、ご主人様も私のことを何よりも愛してくださっている。でも、何かがおかしい。傍から見ると、それは不自然に見えるらしい。
だけど彼は殺人鬼なんかじゃない。
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