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暗い鉄色の扉が、開いて、すぐ閉まった。


「今晩は」


ザアザア雨の降る窓のない密室。夕だったことを思いだす。


「昨晩は良く眠れたか?」


黒衣の男が楽しそうに喋る。私は何も言わない。喋ると合言葉を秘する気持ちが薄れてしまうことになりそうだから。無視をすることに決める。


「よくこんなゲームに参加する気になったものだな」


余計なお世話。だって、事情がある。


「ああそうか、お前らは主人の言うことには逆らえないものな。不運なやつだ…」


違う、これは私から進んで決めたこと。

男は鞄を開く。ちらりと見えたのは、白銀のナイフと錆びた鋸。細長い棒のようなものが無数に。あれは……ワインの栓抜き?


「合言葉を喋れ」


いや。それをしたら、敗けになる。だから耐えないと……私はメメント・モリのことを想った。でもすぐにかき消す。合言葉を頭に思い浮かべただけで、まるで喋るまでの用意をしているかのような気になってしまう。それは良くない。


「今すぐ合言葉を喋れ。そうすればお前は俺のものだ」


ちがう、私は、あなたのものにはならない。

 男は、痩せていて、優しい顔つきのない無精髭の中年で、ランプの光に照らされた手先はごつごつとしている。あんなの、今のご主人様の方が全然良い。優しくって、優雅で、信じられないほど丁寧な物腰で、何事にも愛をもって接する、愛しの彼の姿が不意に浮かぶ。私は元気が満ちてくる。そうだ、頑張らなくちゃ。彼のために。

男は鞄を閉じた。

男は私の前に進み出て、突如として莞爾たる笑みを浮かべていった。


「このゲームのルールは知っているだろう。敗けた奴隷は新しい主人の所有物だ。つまり、わかるか? もしお前が裏切ったとして、前の主人が復讐することなんて出来やしないんだ。お前が裏切ればお前の主人の金は俺のものだが、それはお前のおかげでもある。そこでだ、今すぐお前が裏切れば、相当贅沢な生活をさせてやろう」


 …ご主人様の言っていたことと寸分違わず同じ。『相手はまずこう言ってくるだろう』その通り。そんな甘い言葉を囁いて、でも結局は、裏切り者がそんないい思いをできるわけがない。



――このゲームに敗けた奴隷は『裏切り者』だ。わかるかね? どんな事情があれ、前の主人を裏切ったことには変わりないんだ。そんな危険な奴隷を、私は生かしては置かないよ、きっと、殺してしまうだろう。それにしたって私たちが欲しいのは財産なのだから、当たり前じゃないか、君と二人で暮らすんだ。



ご主人様の口から殺すという言葉が出るのは恐ろしかったけれど、私たちの新しい生活に、邪魔な女はいらない。前の主人を裏切るような出来損ないの奴隷なんて、危なっかしくて手許に置いておけないのだから。よってこのゲームでは、敗けた奴隷は新しい主人に殺されるのがセオリー。


「俺がおまえの所有権を手に入れたら、おまえを自由にしてやってもいい! 安全な場所まで逃してやろう。お前の生まれ故郷、あるいは島の向こうの異国まで、お前がどこへ行こうと関係ない、俺は金だけが欲しいんだから! さあ、賢明な選択だと思うが、どうする?」


そんな約束、守るはずがない。


「さあ、裏切れ! 俺に合言葉を言え! 箱を開けて自由をつかめ!」


私は黙っていた。

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