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 ある日、ご主人様が悲しそうな顔をして言った。お金が足りないのだそうだ。「それよりもっと深刻なことに――」家が、傾きかけているのだという。私は足元の底がすっぽりと抜け落ちたような恐怖を覚えた。その反面「やっぱり」と予想していたところもある。あんなに贅沢な生活には無理があったのだ。「残念だが、このままでは君を――」申し訳なさそうな声色、次に唇から漏れる台詞が怖い。

だけど、言われなくても現実はわかる。それなら、どうなるの? ――私は考えを巡らす。お金が足りないと、生活していく為には物を売っていかなければいけない。真っ先に売られるのはこの私だ。贅沢品を浪費する贅沢品という、明らかにとても効率の悪い剰余品の私は、真っ先にお役御免――ご主人様に手放されなければならないのだ。でも、そうやって身の回りのものから順に手放してお金をつくっていけば、ご主人様もしばらくは何とかなるだろうけれど、その後は……?


 良い生活というものは長くは続かないものだけれど、人生というものはそれよりもっと長く続かないものだから、だいたいのことにおいて人生はうまくいく、そうご主人様は仰っていたけれど、でも人生がそんなに短いものだとは、幼い少女にはとても思えない。そしてこのときの私は、怖れていたことがついに現実になったと、恐ろしがった。でもよくよく考えて見れば、また元に戻るだけ――私はお金持ちではなかったのだから――元の木阿弥……嫌だ、またあの境遇に落ちるなんて考えられない! 売られても仕方がないとはいえ、売られるなんて、地獄と同じ。それで私はご主人様の顔色を伺う、必死に助けを縋る。


「もう私は終わりだろう。それか、さもなくば――」


彼は頭を抱えて辛そうだったけれど、やがてこう言った。このままでは破滅することは必定だけど、ただ財産を二倍に増やせば何とかなる、と。財産を二倍に増やすには、あるゲームに参加するしかない。何でも、今ある館の権利と土地の権利を賭け、そのゲームに勝利することが出来れば、何とかなるらしい。だけどそれはギャンブルのようなものだから、うまくいくかどうかはわからない……。

そのとき、この奇妙なゲームの存在を知った。

失敗すれば館と土地を失うなんて、明日から住む場所さえ失ってしまうなんて危険が大きすぎる。でも、放っておけば手持ちの金が底をつき、負債に追われて没落するだけ。それならいっそ、やったほうがいいのでは……?

私がそう思っていても、ご主人様にそれと意見を率直に伝えることなどできなかったとき、彼はつづけてこう言った。


「そのゲームに参加するには、実は君の協力が必要なんだ。だから、すべては君次第ということになる」


不意に言われたその言葉に、私は、思わず、聞き返したくなるほどの衝撃を受けた。


「!!?」


「理由は直ぐに解るが、このゲームに参加するには、君と二人でなければならない。しかも、これほど稼ぎの良い手段は他には無いんだ…」


私はなんと言っていいか分からず。


「分かってる。君の身に危険が無いかどうかを聞きたいんだろう? 残念ながら――かなり危険だ。しかも、敗ければ全財産を失う。当然君の命さえ保障できない」


ご主人様からそう聞いても、そのときの私は受けるつもりだった。他に行くところなんて無い。思わず彼のもとに駆け寄る。彼を全力で励ますために、そして自分でもわけのわからないこの高揚感を、とにかくも内から外へと逃がすために。彼との距離を精一杯近づける。私は、泣きながら、ともかくも彼に承諾の意志を伝えていた。その涙は、感極まったために自然と出てきてしまうものだった。ご主人様は満足そうに微笑んで、私の望んでいた事柄を、口から一言一句違わず、つつめく。


「ありがとう。本当にありがとう。君は最高に忠誠心のある聖女だ。君を奴隷にしておくのは、お互いの人生にとって勿体無いよ。もしも私たちがこの賭けに勝てたら……君と一緒にこの苦境を乗り越えることが出来たなら、永遠にふたりで暮らそう」


コック長も執事も、この騒ぎに気づいた屋敷の人間はみんな逃げる用意を整えていて、明日にはここから誰も居なくなっていてもおかしくはないという。私は――私だけはただひとりご主人様を信じて側にいてあげないと。彼は何も悪くないのだ、だって、財産のことなんて彼は何も分からなかったのだから――世話役が何か誤魔化しをしていたに違いない。お金を不正に持ちだしたりとか…でも、悔しいけれど、そんなことはどうやっても確かめられないのだろう。


 その日、ご主人様は私に何度も「愛してる」といってくれて、その度に喜びで胸が締め付けられそうだった。 

 さても、夢の中のよう。この困難を通じて、私とご主人様の結びつきはさらに深まり、私がかねてから願っていた通りのものになる。だから、これは神様からの贈り物に違いない、この哀れな少女の人生の意味を明らかにするために、偉大な創造主様が手配してくださった喜劇調ハッピーエンド物語シナリオ。私たちの行く手にはいま「障害」という名の城壁が立ちふさがっていて、私の手元には「役割」という名の箱が握られている。勝利は目前! その夜、ひたすらそんな風に考えて、ひとときの時間を未来の生活の空想のために費やしたことを、はっきりと憶えている。

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