6:幸せな日々の生活

6 幸せな日々の生活


 私はご主人様のものになった。


 それはご主人様の広いお屋敷の、高価そうな壷、真っ赤な絨毯、おしゃれな鏡台、額縁の絵画、そして奴隷の私というように、誇らしいコレクションのひとつ、持ち物の一つとして館に上げられたということ。

 このくらいのお屋敷では奴隷を買うことも当たり前で。身の回りの世話は執事がする。コックは夕食をつくる。メイドが床をお掃除する。仕事は秘書がするから、ご主人様は何もやることがない。では奴隷は何をするのか? やることをつくるのだ。その証拠に、ご主人様は午前中はずっと私と一緒にいた。読み方と書き方を私に教えていたのだけれど、それが誇り高い貴族流のものだったからといって、私はやたら嬉しがって、まさに半狂乱で書き取りを覚えた。もちろんちゃんと正確に覚えるように努めて、ついには上達を褒めてもらうくらいにまでなった。ちなみに読み方と書き方が一致しないのが貴族流の特徴で、それだけに覚えるのが一層むずかしくて、ご主人様も覚えるのにはたいへん苦労したと笑っていた。


 それでご主人様は午後はどうしていたのかというと、午後もやっぱり私と一緒に居た。なにせ、することが特に無いのだ。午後はもっと楽しい。ときたま、彼が趣味でやっているという音楽の演奏を聴かせてくださったりもする。そのたびに私は心の中で精一杯考えた私なりの愛の籠もった賛辞を繰り出そうとするけれど、でもいざとなると、いつも言葉がうまく出てこなくて――もどかしい思いをして、けれど褒めないつもりなんて一片もなかったのに、彼はそんな私の姿を見るや頭を撫でながら気恥ずかしそうにして、またつまらないひどい音楽を奏でてしまった、なんておどけてみせるのだけれど、でも私は誉めたかったのに、気まずそうに黙っているつもりなんて全然なかったのに、言葉が出てこなくて、それだからいっそう胸が締め付けられて……思わず彼の胸の中に飛び込みたくなってしまう。


 ああ、それにしても何て恵まれた日々だったのだろう。毎朝目が覚めると、幸せはベッドの上にあって、私の顔はほころぶ。縛り付けられた椅子の冷たさを感じることもない。ご主人様のベッドは、おしとやかで柔らかく、田舎者の私よりも上品で、生まれが良くて、いつもうんと清らかな澄まし笑顔で座っている。まるでみんなから褒められる愛嬌ある女の子のよう。とにかく、あれは私なんかより全然いいものだった。


 そのお屋敷の中で、私だけが異質だった。その証拠に、そのお屋敷の中で一番幸せなのが、私だった。他のみんなは当たり前すぎて、それが幸せであることを感じていないのだ、だから人でも物でも、雰囲気がどこかちょっと違っている。精神に余裕があって、是が非でも必要としている物が特にない人種に特有の、あの実におっとりとしていて、しかし完全に満足そうというわけでもない態度。いま思うと、あれは退屈の徴だったのだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る