5:


 はじめの頃の私は、残念ながらベッドの上で朦朧として死にかけていたから、なんというか、それどころではなかった。お医者様が呼ばれて、三日三晩の投薬や瀉血がされる。はじめて彼とお話したのは、その数日後。一時的に症状がしずまると、私もなんとか目が開くようになって、ご主人様は床に臥せった私に向けて、よく好奇心から話しかけて来てくれて、それで退屈なんてしなかった。

 そのころ私は敬語というものがまったくできなかったから(今も書き言葉では苦手だ)、どう喋っていいか、何を話せばいいかなんて分からずに、ご主人様の言葉にも単語でしか答えられない。こんな調子に。


「君の名前はなんて言うんだい?」


「エミリ」


「エミリ? そうかい、良い名前だね、エミリ。気分は良くなったかい?」


「少し」


「君があんなところに居るなんて驚いたよ。売られてきたのかい?」


「……はい」


「もう何も心配しなくていい。けど、辛かっただろうね、君みたいな少女には、あんな劣悪な環境などもってのほかだ。だってこんなに美しい女の子がね。しかし、ここでは何でも手に入る、悲しむことはない…」


「何でも…」


「そうだ。遅ればせながら、私はこの館の主人マスター、アーサー・ラングトンという。一応子爵だが、毎日することもなく暮らしている」


そう言うと、ご主人様は笑って。


「マスター……」


「そうだ。さあ、ゆっくりとお休み。言葉もそのうち話せるようになる」


「! あの…そうじゃないの。言葉は、話せるの…」


そんなこともあった。――どうやら失語症か何かと思われていたらしい。


 最初の頃は、お屋敷にはいれて何より嬉しかったのは、満足な食べ物がもらえることだったかもしれない。こんなに素晴らしい食べ物がこの世に存在するということが、ほんとうに信じられなくて。毎朝・毎晩どころか昼さえ、私はご主人様と同じものを食べた。ひとことで言うと、優遇されていた。扱いが何から何までまるで彼の――であるかのようで……なんというんだっけ、私は、ご主人様の、――だったら、いいなって。

読めるのに、書けない。

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