第3話
「フルート一本にクラリネット二本なら、香織には低音をやってもらうのがいいかしらね」
「うーん、春野さんがそれで納得してくれんなら、それが一番だよなぁ」
「最悪僕か先輩のどちらかがバスクラをやればいいから」
「えとー、何の話?」
「えっとな、編成のバランスを考えてるんだよ」
アンサンブルをするにあたって取り合えず決めるべきは楽器の編成だ。
当たり前だが、楽器にはそれぞれ出る音の幅がある。
それを音域というのだが、高い音が出る楽器は高音域を、真ん中の音は中音域を、低い音が出る楽器は低音域を担当する。
もし、アンサンブルの編成がすべて高音域だったら、と考えてほしい。
非常に耳が痛い曲になるのではないだろうか。
もちろん、フルートだけのアンサンブルや、クラリネットだけのアンサンブルもある。
しかし、それは全員が同じ楽器だった場合だけだ。榎本さんがフルートだった時点で木管アンサンブル、ないしフレキシブル(木管金管ごちゃまぜの編成でもできる楽曲)確定だ。もちろん例外はあるだろうが。
音域、なんて言うと難しいと考えるかもしれないが、もっと簡単にとらえてほしい。
ソシャゲのパーティー編成みたいなものだ。
攻撃と壁役と回復とバフデバフ、バランスよく編成するのが一番強いのと、似た感じだと思ってくれればいいだろう。
「ふむふむ、なるほどー? じゃあ私は、低音楽器をやればいいのね?」
「その中でも、できれば木管低音だといいかな。……となるとバスクラか、バリサク?」
「ファゴットもあるけれど……一般的ではないのではないかしら」
「だなぁ、その二択だな。一回どっちも吹いてもらってから気に入ったほうでいいんじゃないか?」
「ちょ、ちょっと待って! バスクラ? バリサク? なにそれ? ハクスラしか知らないんだけど!?」
ゲーマーかよ。ハック&スラッシュなんてしたら楽器壊れるわ。
バスクラ、バリサクはどちらも楽器の名前だ。
バスクラ――バスクラリネットの略称。
クラリネットの派生楽器で、より低い音に特化している。かっこいい。
ちなみに、バスクラのさらに下にコントラバスクラリネットなんてものがある。
もっとちなみに、大体の人が最初に想像するであろうクラリネットは
バリサク――バリトンサックスの略称。
例によって例のごとく、低音を得意とするサックスだ。
かっこいいが、でかくて邪魔。
ちなみに、サックス族を金管楽器と勘違いしている人がいるがサックスは金管楽器である。
あんな全身きらきらしてるもんな。どう見たって金管楽器だ。
でも、あいつ木管楽器なんだよね……。
なんで全身金色にしてんだろ、あいつ。
「なるほどなるほど、そーゆーことね?」
「そーゆーこと。んじゃ、とりあえず今日はバスクラ吹いてみて」
「おおっごっつい! 攻撃力高そう!」
「やめろゲーム脳楽器壊れる!」
「ほら、冷凍マグロが武器のゲームもあるし」
「モン〇ンー!」
先輩の手伝いもありつつ、春野さんはバスクラを構えた。
初心者だからこそ姿勢や持ち方には違和感はある。
とはいえ極端に猫背だったりもないため、大して問題はないだろう。
春野さんは息を思い切り吸って、楽器に吹き込む。
ふー……!
「音、出ない……」
「まあ、仕方ないわ」
「クラリネット族は特に抵抗がでかいからな」
「ネックまでで吹いたらどう?」
「首?」
「訳したらそうだけど不穏過ぎない?」
当たり前だが、楽器はパーツごとによって名前が決まっている。
今回の『ネック』と呼ばれるパーツは、口をつける部分である『マウスピース』と、管体の上側、『上管』の間のものだ。
ちなみに上から順で、
『マウスピース』
↓
『ネック』(
↓
『上管』
↓
『下管』
↓
『ベル』
……だ。
細かいところ言えばきりがないので上の五つを覚えていればそれなりに楽器を知ってる風を装えるだろう。
知ったかぶるならぜひ覚えてね。
「ダメだ! 違う楽器にしよう! そうしよう!」
「うーん、あきらめるのが早い!」
「……まあ、ほかの楽器をやってみましょうか」
その後も春野さんはいくつか楽器を試し、そのたびに「違う楽器にしよう!」と繰り返した。
重い低音楽器を何台も持ってきては倉庫に持って帰り、持ってきては持って帰りを繰り返し、へとへとになっている先輩を横目に見る。
バスクラから始まり、バリサク、ファゴット、アルトクラと楽器を持ち換えてついに五台目。
五回目の壮大な「ふー!」を聞き、これ以上楽器を変えるのは時間的にも先輩への疲労度的にも限界だ。
「春野さん、そろそろ今日はこれぐらいに……」
「これだっ!」
「……え?」
「ようやく決まったの? テナーサックス?」
「うん! これ、これなら出来る!」
ど、どういうことだ……?
今までの楽器でもことごとく「ふー!」を連発し、何度もチェンジしていた。
だから僕は「ふー!」したらチェンジだと考えたわけだ。
そもそも初心者がそんな簡単に音が出るかっていうのはひとまず置いておくとして。
今回のテナーサックスでの挑戦も「ふー!」エンドだった。
しかし、彼女はこれだ! と滅茶苦茶いい顔してこの楽器に決定した。
……どういうこと?
「テナーサックス? っていうの? この楽器」
「ええ、そうよ。中低音のサックス」
「ちょ、ちょっと待って! どういうこと……?」
「私、コントローラーには気を使う派なんだよね!」
「答えになってない答えを剛速球で返すのは反則では?」
「あはは~! 間抜け面!」
「誰のせいだろうね⁉」
春野さんが思ったよりやばいやつだということしかわからない。
ぽかんとする僕と、会話をぜーぜー言いながら見ている先輩。
そんな僕たちを、榎本さんは道端で寝転がる野良猫を見るような目で、見ていた。
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