第2話

 みーたんにも、先生を信じようとメッセージを送って私はそのまま家に帰る。早く本を読みたいのをぐっと我慢して、洗濯物を取り込む。シャワーを浴びて部屋着に着替えて、ご飯はコンビニで買って来たとろろそばだ。それをのどに流し込む。


「さてと」


 シャワーを浴びている時点でうずうずしていた私は座椅子に座り本を開く。


 書き出しは、どこかで一人でいるあなたへと書かれている。種子島を舞台に漁師をしている二十歳の男性と彼を頼ってやって来た姉の子の五歳の女の子を取り巻く物語だ。


 男は最初、鹿児島本土からやってくる女の子の面倒を見ることを渋っていた。だが、暗い表情ばかりの女の子と暮らしていくうちにあることに気づく。女の子は風呂に何週間も入っておらず、着るものも洗濯されていなかった。女の子の様子を見てもネグレクト、育児放棄されている。


 男は戸惑った。自分の姉に限って、あり得ない。なぜなら、男と姉は両親から育児放棄をされたからだ。保護された後は施設で育ち、種子島で漁師をしている男性と知り合い、自分も漁師になることになった。


 一方の姉は、まだ十代のうちに妊娠、結婚、そして離婚していた。最後に会ったのは一年前。そのとき姉は言っていた。安心して、自分の親のようにはならないから、と。


 その後、共に暮らしていくうちに、男は自分も両親のようにならないかと恐れていく。それに反して、女の子は島の自然の雄大さ、島の人たちのおおらかさに触れ、本来の表情を徐々に取り戻していく。そのとき、男は気づくのだ。女の子の中にかつての自分がいることに。


 そこで、男はかつて自分がされたかったことを女の子に対して行っていく。


 ――私は夢中で文章を貪っていた。


 峰川遥先生の優しい文体でつづられるのは、これまでに読んだどの作品よりも葛藤を深く描いていた。導かれるように次のページ、次のページへと進んでいく。


 気が付くと読み始めて三時間以上が経っていた。最後の一文を読むと、私は本を閉じて胸に抱く。


「はぁ……」


 自然とため息が出た。こんなにも物語にのめり込んだのは初めてだった。これは間違いなく峰川先生が書いた中で一番の傑作だ。スタンディングオベーションと鳴りやまない拍手を送りたい。


 そして、思った。


 もしかしたら、だから峰川先生は辞めようとしているのかもしれない。これだけの傑作を書いた後だ。これ以上の物語はもう二度と書けないと思うのも道理だった。


 私はスマホを手にして、SNSを開く。みーたんにDMを送った。


『新刊一気読みしちゃった。みーたんは? 読んでいる途中?』


 返事はすぐに来た。


『同じく一気読み。先生本当に辞めちゃうかも。でも、こんなにすごい作品を書けるんだからもったいないよ!』


 ファンとは勝手なものだ。良質な水を貰いながらも、さらに良い水が湧き出てくるのではないかと勝手に期待している。


『絶対辞めないで欲しい。楽しみが無くなっちゃう』


 かくいう私もその一人なわけなのだけれど。


『先生にたくさん辞めないでってコメント殺到しているけれど、どれにも無反応だよ』


 私も峰川先生のアカウントを見てみる。普段は目立たないのに、こんなに愛されていたのだと、驚くほどコメントが殺到していた。


『どうにもできないのかな』


『出来るよ』


『えっ! どうやって?』


 みーたんは何を根拠にそんなことを言うのだろう。


『マヤなら直接伝えられるじゃない』


「え……」


 私はスマホを持ったまま、しばらく固まった。直接伝える。つまりよく甲突川沿いの公園によくいる峰川先生に話しかけるということだ。


『無理だよ! 私が先生には話しかけないって決めたこと忘れたの?』


 私はちょうど一年前に、東京から鹿児島に越してきた。鹿児島にやって来てよかったと思っている。まさか、そのきっかけになった先生を直接見かけるようになるとは思わなかったけれど。


『知っているよ。でもさ。それ以外ないんじゃないかって思うんだよね』


「みーたん……」


 みーたんならば突撃していくだろう。


『でも、私にはそんな行動力ないし』


『本のために引っ越しておきながらなに言っているんだか。ファンですって言って、いままでしてきたことを言えばいいんだよ。そうでもしないと、先生本当に辞めちゃうよ』


 本当に辞めちゃうよ。


 その言葉はまごついている私の背中を押した。そうだ。私にしか直接伝えることが出来ないんだ。ファン代表として、先生に貰ったものを返さなければならない。


『分かった。明日、行ってみる』


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