2.日本ゾーンのレストラン1

 金山でJR中央本線に乗り換えて高蔵寺へ、そしてそこから愛知環状鉄道に乗って万博八草駅へ向かう。そこから万博会場駅までの移動は、万博の大目玉の一つであるリニアモーターカーであるリニモだ。


 万博八草駅のガラス張りのホームドアの向こうにリニモが止まり、自動ドアが開く。透一は一般のお客さんに混ざり、リニモの車両に乗り込んだ。


 四角く丸みを帯びた車両は空や海、森の木々、太陽の光をイメージした青と緑と黄色のグラデーションで彩られている。混雑日の場合はリニモの他に排気ガスのでない燃料電池バスもシャトル運行しているが、今日はリニモだけのようだった。


 ホームの行列が全員車内に移動すると、リニモはするすると動き出す。比較的すいている日とはいえ、透一を含め多くの乗客が立って乗車している。


 電磁気の力を利用して浮いて走るリニモは、静かで揺れが少なく乗り心地が良いとされている。レールと車体の間の接触がないため修理も少なくてすみ、雨の影響も受けにくいらしい。


(しかし未来の技術と言っても、文系の俺には何がすごいのかよくわからん)


 車輪がなく電磁石が使われていても、車内はごく普通の電車と変わらない。万博八草駅から万博会場駅までたった三分の乗車時間は、何が特別かわからないうちにあっという間に終わってしまう。


 英語交じりの車内アナウンスとともに、リニモは終着駅で停止する。


 透一は人の流れにのってホームに降り、足早にエスカレーターに乗り改札を抜けた。駅を出ればすぐに、会場の万博のメインゲートとなる北ゲートだ。


 北ゲートは真っ白な屋根に覆われた巨大なゲートで、待機列の少ない平日の昼間の込み具合からするとただ大きすぎる印象を与える。


 真新しく整地された路地を歩き、透一は隅に設けられたスタッフ用の通用口の方へと移動した。


「おはようございます。おつかれさまです」


 金属探知をくぐった後、検査台にリュックサックを開いて置き、警備員のおじさんにスタッフ証を見せて挨拶をする。

 数年前に起きたアメリカでのテロ事件の影響もあり、万博会場の警備は非常に厳重で、従業員も含めたすべての入場者に金属探知機によるセキュリティチェックと持ち物検査が行われていた。


「おはようございます。はい、問題なしです」


 警備員のおじさんがにこやかに受け答えて、透一を通す。


 こうしてやっと、透一は万博の会場内に入った。


 ◆

 

 北ゲート付近の「センターゾーン」は冷凍マンモスの展示施設などの人気のパビリオンがあり、まだ春休み中であろう小さな子供を連れた親子など大勢の人で賑わっている。


 しかし透一がアルバイトをしているのはもっと奥の「日本ゾーン」であり、来訪者はやや少ない。

 透一は真っ赤な観覧車や乗り物の体験施設などの企業パビリオンが並ぶ道を足早に去って、西に向かう。


 「日本ゾーン」は森林の近くに設けられたエリアで、涼しげな風通しのよい竹のケージに覆われた日本館や木製の大屋根を持つ愛知県館、切り絵灯籠に囲まれた大地の塔など、日本の文化や建築を取り入れた展示が目を楽しませるはずの場所である。


 その中に立つ西エントランス棟は無駄に長い横幅以外は特に特徴のない白い鉄骨の施設で、休憩所やATMなど華やかではないが必要な機能が集められている。この西エントランス棟の三階にある和食中心のレストランが、透一のアルバイト先だ。


 透一は階段を上り三階に上がると、筆文字風のフォントででかでかと「ニッポン」と書かれた看板の下にある入り口をくぐった。


「おつかれさまです」


 お客さんと間違われないように会釈をしながら、スタッフルームに移動する。


 ドアを押し開けるとロッカーの前には、友人の直樹が先に着替えを済ませてケータイをいじっていた。


「よっ、そういえば今日は珍しく同じシフトだったな」

「そうだな。思ったより、出勤被らんのが意外」

「一緒にさせとくと、サボると思われてんじゃね」


 そう言ってパチンと音を立ててケータイを折り畳む直樹は、髪も染めずにピアスも開けていないのにも関わらず、そこはかとなく雰囲気がちゃらい。


「そこまで不真面目じゃないんだけどな、俺ら」


 男子大学生という信用のない身分を何となく感じながら、透一は直樹と同じように制服に着替えた。ホールスタッフ用の制服は作務衣の形の和服風の男女兼用で、色は落ち着いたトーンではあるがなんとピンクだ。


「透一がそれ着とるとこ、初めて見たけど何かウケるわ」

「お前だって同じ格好じゃん」


 準備を終えた透一と直樹は、タイムカードを切ってスタッフルームから出た。


 透一が万博会場でアルバイトを始めたのは、たまたまバイト先を探していたときに、友人の直樹がちょうどこのレストランの面接を受けていたからだった。やることは普通のファミレスと変わらないのなら、万博で働いてみるのもいいかもしれないとそのときは思った。

 しかし瀬戸市に住んでいる直樹には良いバイト先だとしても、刈谷市民の透一にとっては長久手は遠すぎたかもしれないと最近は少し後悔もしている。


「おはようございます」


 透一と直樹がバックヤードから厨房に挨拶をすると、調理途中らしい店長が後ろ姿で挨拶と指示を返す。


「ああ、おはよう。今日は水野くんが洗い場、都築くんが料理提供と最終下げでお願いできるかな」

「はい。わかりました」


 そうして二人はそれぞれの持ち場へと別れて、前のシフトの人と交代した。

 しばらくの間、透一はランチタイムの客が残して行った食器をひたすらに片付ける。


 透一が働くこのレストランは、日本全国の名物を食べられるということを売りにしている。看板商品は一応名古屋名物の味噌カツやきしめんで、抹茶ソフトクリームには三河の西尾市産の抹茶が使われる。


 内装に凧や扇を使った店内は天井が高く造り自体は広々としているが、テーブルの数が多くやや過密気味だ。


 大名古屋万博はメインテーマが「自然の叡智」で、サブテーマの一つが「循環型社会」であるので、ただのレストランであっても何かしらエコロジーっぽさを出さなくてはならない。

 そのため透一がホールスタッフとして運ぶ食器は、深緑と黄緑のマスコットキャラクターのプリントされたお茶碗もふくめて、水と二酸化炭素に分解が可能な植物プラスチックで出来ているものだ。


 この植物プラスチックは、会場内のごみ袋、標識、パビリオンの外装や内装にも使われている。

 原料はトウモロコシからつくられたポリ乳酸で、この新しいプラスチックの利用により石油などの化石資源の節約につながり、焼却の際のダイオキシンなどの有害物質の発生も抑えることができるらしい。通常のものと比べてやや欠けやすく、高熱に弱いものの、おおむねは普通のプラスチックと同じように扱うことができるとされている。


 また透一が今まさに流し場の前のゴミ箱に捨てている残飯や、厨房での調理過程ででた生ごみは、会場内に設置したメタン処理施設に送られ、メタンガスを発生させる処理が行われる。こうしてできた残りカスは肥料の原料となり、発生したガスは燃料電池に使われ一部のパビリオンに電力を供給するのだ。


(こういう新技術の大規模実行の場だと思うと、この普通にファミレスかフードコートみたいな料理しか出さないレストランのありがたみも増すかな)


 透一は食器を片付けた机の上を拭きながら、ふと窓の外に広がる会場を見た。


 この店は西エントランス棟の最上階に位置しているため、大きなガラス張りの窓からは日本館や愛知館などのパビリオンが一望できてなかなか良い眺めだ。まるで最初からここにあったかのように、青空の下で緑に彩られた景色は枠の中に納まっている。


 しかしこの長久手の土地が万博会場になるには、なかなかの紆余曲折があった。


 当初大名古屋万博は会場跡地に大規模な宅地開発が計画されており、瀬戸市の海上地区の森を広大なメイン会場とする予定だった。しかし海上地区に絶滅危惧動物であるオオタカの営巣が発見されたことをきっかけに、環境保護を訴える市民団体による万博反対活動が行われた。博覧会国際事務局の幹部も、跡地利用計画は環境破壊であるとして批判した。

 その結果宅地開発の計画は白紙になり、メイン会場が長久手の愛知青少年公園の土地に変更になったのである。


(そういえば直樹は、愛知青少年公園は子供のころよく遊んだ公園だからなくなったのは残念って言っとったような。俺はそこまで連れてきてもらった覚えはないけど)


 思い出して見ると小学生の頃には何度か、従兄弟と愛知青少年公園で遊んだような気もする。室内のアスレチックは、おぼろげながら面白かったような記憶があった。

 しかしそれで感傷的になれるというわけでもない思い入れなので、透一はさっさと食器を手にして窓の前から立ち去った。

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